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コスモタイガーのつぶやき(26)~犠牲バントとチームワーク

2023-01-18 | つぶやき/更新中

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
漂走記もボチボチ執筆中?ではあるものの、新年ということで、たまにはつぶやいてみよう。

コスモタイガーは若いころから「現実派」と言われることが多かった。
多分今でもそう。
また、それほど筆達者ではないため、今回、※過去記事(つぶやき9つぶやき12・つぶやき21つぶやき24)と若干つながる部分があることはご容赦願いたい。

チームワークという言葉を若いころに良く聞かされた。
特に趣味の1つであるランニングの世界で。
もちろんそれ自体は今も昔も素晴らしいことではあるんだけど、バーゲンセールのように連呼されると何だか白々しいし、安っぽさを感じるよね。

そもそも何をもってチームワークなのか?となると、コスモタイガーのような凡人には即答できない。
また、その言葉を発してる人間がそんなにチームワークを理解してるとも思えないし。
ただ、1つ言えることは、特定の人間に我慢や犠牲を強いてる状態はチームワークとは言えない、ということは断言できる。

毎度のことながら、チームワークなんて、外部の第三者が見て「素晴らしいチームワークですね!」と称賛する話なら素晴らしいんだけど、自分たちで「チームワークチームワーク」と叫んでる姿はみっともない。
むしろそれができていないことをわざわざ主張しているようなものだ。

話を変える。
野球の作戦に「犠牲バント」がある。
言わずと知れた送りバントのことであり、主に自らはアウトになりつつも、1塁ランナーを2塁に進めるための作戦だ。
これをチームワークになぞらえて説明されたこともあった。

要するに、勝利のためには犠牲も必要だ、と。
誰かが犠牲にならないといけない。
それがチームワークなんだ、と。

歪んでるねぇ。

ドラゴンズファンの自分として、例えるならかつてのアライバ(1番荒木・2番井端)、昨シーズンなら1番大島・2番岡林、ってところではあるけれど、井端選手は荒木選手やドラゴンズの「犠牲」になってたのか?
岡林選手は自己犠牲の精神でバントしてたのか?

何だか「犠牲」という言葉がよほど琴線に触れるのか、おかしな方向に美化する人たちがいる。
「お国のために犠牲にならんとす…」という時代錯誤な教育でも受けたんだろうか?

犠牲バントとはいうけれど、誰も犠牲になんかなってない。
自分がアウトになることでランナーが進塁する。
その形態をわかりやすく例えているだけ。
いわば比喩的表現だ。

井端選手も岡林選手も、自らの仕事としてバントをしてるわけだし、当然それは球団として評価している。
いくつバントしたのか、成功確率はどれぐらいか。
1球目であっさり決めたのか、4~5球投げさせて相手にプレッシャー掛けまくってからバントしたのか、でも評価は異なってくるであろう。
そういったことが細かく精査され、翌年の年俸に組み込まれていく。

犠牲になんかなっていない。
むしろ野球選手としての評価を上げるために仕事に徹してバントをしているのだ。
言い換えれば「自分のため」あるいは「自分の家族のため」にバントをしている。
その延長としてチームのためになっている構図だとコスモタイガーは理解している。

言葉の字面だけに反応して、美化して精神論を振りかざすなど、何と薄っぺらな!としか言いようがない。

さて、話を戻す。
このようにチームワークをいうのであれば、選ばれたわけでもない人たちだけで物事を決し、偏った人に犠牲や我慢といったストレスが集中する状態のチームワークなどありえない。
それを認めることは、昨今のいじめやハラスメントを肯定することと同じだ。

特定の生徒をいじることでクラス全体の調和が取れている状況は、決してチームワークではない。
ただのいじめの構図じゃねーか。

職場で特定の人間がいじられてる。
それにより、職場が波風立たず動いている。
それは平和でなく、ハラスメントという。

これらはみな、それぞれの職場で実践し、場合によっては部下に講話もしたり、教職のかたなら学校で学生たちに教えている話のはずなのに、プライベートになるとできないとは不思議な話。
「仕事とプライベートは分けている」などという話も聞いたことがある。
屁理屈というやつだ。

公の部分ではチームワークを謳うけど、プライベートではそんなことは知らん!という話が通用するわけがない。
マナーやルールに公私は関係ないはずで、正当化もここまでくると見苦しい極み。

飲酒運転なんか良い(悪い?)例で、「プライベートで酒を飲み、プライベートで運転してるんだから職場には関係ない」というのは詭弁でしかなく、絶対世間では通じまい。
公の場では平等を主張するけど、プライベートでは差別思想を貫くぞ、が社会的に受け入れられるはずはない。
いじめを撲滅する立場の人間が、「業務としていじめには反対するけど、プライベートでは特定の人が犠牲になるのはやむなし!」と言ってるようなもので、支離滅裂な話としか言いようがない。

だいたい、犠牲の精神をそこまで尊ぶのであれば、まず自分がそうしろよ、と言いたいところ。
率先垂範という言葉もあるからね。

実際には逆で、あれほどチームワークだの感謝だのと立派な能書きたれていた御仁が、いざ自分(あるいは自分の家族)がその立場になったら超の字がつくほど激怒する場面も少なからずあったりする。
中には自分の娘や息子が少し冷や飯食わされりしただけで(例えば駅伝メンバーに入れないとか、試合に出してもらえないとか…)モンスター化している輩もいると聞く。
今こそ自分たちが信じてきた犠牲の精神とそこから来るチームワークとやらの尊さを教えてあげるまたとないチャンスなのに(笑)。

仕事であろうと趣味であろうと、チームワークは大切なものであることは異論ないけれど、少なくとも「犠牲」ありきの話をしている時点でそれはチームワークではない。
コスモタイガーはもちろん、いわれのない我慢をしたり、犠牲になるつもりはない。

以前にも似たようなことは書いた気がするが、何となく威勢の良い言葉を発すると、人が付いてくると錯覚するのだろうか。
そしてこれらが子供や学生の世界ではなく、それぞれ仕事や家庭ある大人の集団で起きることが驚きではある。

コスモタイガーは子供のころ、先生から「家に着くまでが遠足です!」なんて何度も言われたけどね。
要するに自宅までの帰路といえど、そこは公の場所。
悪さをすればコスモタイガー個人ではなく、「あそこの学校の生徒は~!」ということになると教わった。

大人でもそれはあてはまる話だと思う。
ハラスメントやいじめに対して厳しい目が向けられている昨今、それに反する行いをするということは、たいした仕事(職業)ではない、と自ら告白してるようなものだし、そう思われて損するのは自分なのに。

時間に制約ある中で長々と書いてしまった。
乱文お許しください。

本年も「コスモタイガー発信!」をよろしくお願いいたします。
コメント (2)
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