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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(8)

2013-10-16 | 旧中山道run!!


なんやかんやと忙しく、すっかり春めき、桜の花もまもなく満開となりそうだ。
今日こそ中山道run日和だ!

帰路の利便性も考慮し、自転車で家を出て、名鉄名古屋本線「鳴海」駅へ。
随分と近くなり、東海地区内ウロウロといった感じだし、生活感漂う?名鉄利用だし。

金山でJR東海道本線に乗換、大垣下車。

さて、ここからは前回乗りそびれた「赤坂支線」にするか、養老鉄道で東赤坂駅に出て、そのまま前回の続きを走るか。
迷ったんだけどね。

赤坂支線だと、これまた1.5kmぐらい、重複して走ることになるのもつまらんしなぁ。
電車の本数も少ないし。
またまた例の如く、のんびりし過ぎた上に、大垣駅で軽食も取っちゃったし。

ってなわけで、再び養老鉄道に乗り込み、「東赤坂」の駅に再び降り立ったコスモタイガー。
目の前は中山道であり、前回のゴール地点!

ということで、すぐに東に向かって、本日のトレーニング、開始!

いきなりだけど、ここからしばらくは中山道、右折左折を繰り返す。
「中山道7回り半」というらしい。
ポイントポイントには案内板が出てるはずだから、見落としには注意しないとね。

200mほど先のT字路を右折、すぐに左折。
しばらくして「中沢」の交差点に出るけれど、そのすぐ手前に、右に入る小道がある。
これが中山道らしい。

またすぐに左に曲がって、広い幹線道路を渡り、東へ。
道なりに右折左折を繰り返し、進んでいく。
左手にお地蔵さんもあったりして、ここが中山道であることを教えてくれる。

静かな田園風景で癒されるけど、寄り道するほどの見どころはなく、道なりに走り続けると、やがてT字路に突き当り、道標がある。
「中山道三回り半」と書かれているらしい。
すでに4回は廻ったことになるのかな?

右に行き、「平野井川」の堤防を走ることになるらしい。

1km弱走ったところで、大きな道標を発見。
「右すのまた宿道 左木曽路」

もっとも現代では「墨俣道」に該当しそうな道は無さそうで、そのまま川沿いに進むしかない。

バスの停留所があって、ここから左に緩やかに降りていく道が中山道らしい。
やがて左折、橋があり、「平野井川」を渡る。

「呂久」の集落に入ったらしく、旧街道らしい静かな佇まいが続く。

右手に何やら小さな風情のある公園が現われた。
「小簾(おず)紅園」として整備されているけれど、元々は「呂久の渡し跡」らしい。

現在では、ここから少し先に揖斐川があるけれど、渡し跡がここにあるってことは、この前がかつて揖斐川だったことになるわけだ。
そしてここで舟に乗換えていたってことになる。

ということで、中山道はここでいったん終了。
直進し、行止りを左折、堤防沿いの道に上がり、「鷺田橋」を渡って対岸に出て、今度は反対側(東側)の堤防道路を北上する。

200mほど北上すると、明らかに不自然に斜め(北東)に走る1本の道がある。
これが中山道なのは明らかだ。

静かな住宅街の中、ひたすら北東に走る。
突き当ったところに何やら真新しい建物が。

正確には「瑞穂市西部複合センター」、図書館等が併設された公共施設らしい。
で、今走ってきた道のちょうど延長になる形で、敷地内の散策コースが敷設されている。
実はこれが旧中山道になるという、洒落た演出がされているのさ。(冒頭写真)

その散策路の先は、巣南中学校がそびえ、中山道を塞いでいる。
仕方ないから中学校前の道を左折して北上する。
小さな橋を渡ってすぐ、右折。

道なりに鋭角に左折し、グラウンドの横を通る。
しばらくは道なりだ。
しばらくすると左側に神明神社が現われるのが目印となる。

さらに200mほどで、小さなお寺があって、ここを左に曲がると、左手に「美江寺先手観音像」が安置されていた。


まさに名前の通り、この辺から美江寺宿らしい。
突き当りを左折すると、静かな商店街を走る感覚になる。

右手に大きな屋敷があって、ここが本陣跡らしい。
でも残念ながら、ここから先のコースは全般的に見どころが少ないことはリサーチ済み。
それでもまぁ、何軒かの古い建物が、かすかに宿場町の雰囲気を伝えている。

T字路に出た。
「美江寺」の交差点だ。
正面は美江神社の森が見えるけど、ここで中山道は右折。

商店街が続く中、見落としそうな「美江寺一里塚跡」の碑が建っていた。


さらに走り、線路を渡る。
左手には「美江寺」駅が見える。
鉄チャンとしてはたまらない風景だけど。
この線路は、第3セクター「樽見鉄道」(旧国鉄樽見線)やね。

この道は県道92号に指定されているようだ。
しばらくは道なりに走り続ける。

この辺り、ところどころ古さを感じられる風景が続く。
左側に「代官所跡」の立て札がある。
かつて、この辺りに幕府直轄の「本田(ほんでん)代官所」があったそうな。
そしてここは高札場も兼ねていたらしい。

今度は右手に現われるのが、延命地蔵尊。
この道が中山道であることを確認させてくれる。

本田郵便局を左に見て、100mほどで、信号のない交差点に出る。
ここは正面やや右にカーブする道を選ぶ。
左側に「生津小学校」が見えたら正解だ。

この辺りの主要な生活道路にもなっているらしく、路線バスも通っている。
この道に沿って、やがて左にカーブし、「生津」の交差点に出た。

ここまで来ると、何の変哲もない集落を行く感じになり、残念ながら街道らしさはない。
ちょっと単調感もあるけれど、とにかく道なりに。

運河(正確には柚木川というらしい)を渡ると「河渡(ごうど)2」の信号に出た。
ってことは、河渡宿は近いはず。
いつの間にか行政区域も「岐阜市」になっている。

さらに直進し、河渡集落に入っていくと、河渡一里塚の跡の石碑があった。


残念ながら、かつての河渡宿を偲ばせるものはこれぐらいしかないらしい。
実はこれ、ある意味仕方ないんだけどね。

ここは揖斐川と長良川に挟まれた輪中地帯。
土地が低いため、度重なる水害に悩まされてきた歴史があるらしい。

明治に入ってからの長良川拡張工事により、河渡宿は、中心部を含む半分以上は川の底に沈んだとされるため、かつてを偲ぶことは難しい。

仕方なく直進し、突き当りで堤防に駆け上がる。
堤防沿いの道を走り、「河渡橋」で長良川を渡る。
ここも今でこそ橋だけど、江戸時代は「河渡の渡し」として、舟が頼りだったらしい。
左遠方の小高い山は金華山。
山頂には、織田信長で有名な岐阜城が小さく見えている。


実はここから1kmほど上流へ寄り道すると、「小紅の渡し」があり、現在も現役で頑張っている。
「河渡の渡し」が表なら、こちらは裏街道として、どちらも移動手段として重要だったとされる。
NHKの「街道てくてく旅」では、確かナビゲーターの勅使川原郁恵さんが、この小紅の渡しを渡っていた気がする。
渡り終わったところにお父さんがいてサプライズ!の演出があったような。

コスモタイガーも寄り道したい気持ちは大いにあるんだけど、一応トレーニングの一環だからさ!(爆)
陸路優先で、舟渡りはパスすることにする。

河渡橋を渡ってすぐの信号を左に折れ、今度は反対の堤防沿いを走る。
何だかさっき渡った揖斐川と同じ動きをしている気がしないでもない。

右下に目をやると、明らかに古めかしい地蔵堂が建っている。
当然、その前の道が中山道やね。

堤防を降り、その道に出て、あとは道なりに。

微妙なうねりや、時折見かける古い家に街道らしさは残るものの、この辺りの主要道路になっていて、路線バスも多く走っている。
交通量も多いのに、歩道もなく、ちょっと走りづらいな。

まぁ、逆に言えば、ここから先はしばらく、交通機関に困ることはないだろうから、どこでゴールにしても良いんだけどね。

岐阜バス「鏡島弘法前」のバス停を発見!
ここを左折すればすぐ、バス停の名前通り「鏡島弘法」に出る。

正確には「瑞宝山乙津(おっしん)寺」。
天平の頃の創建とされ、岐阜市民には古くから親しまれているお寺やね。

さて、このまま先に走ろうか。
でもさっきの「岐阜バス」(正確には岐阜乗合自動車)も気になるなぁ。
本数も多いようだし、予定を変更し、思い切って今日はここをゴールにしてしまおう!
すでに実走距離も20kmぐらいにはなっているはずだしね。

そうと決まれば少しのんびりお参りしていこう。

名前の通り、ここは弘法大師にゆかりがあるらしい。
秘密の鏡を竜神様にかざしたら、この辺りが一面、桑の大産地になったとか。
だから「鏡島」なんだけど。
あくまでも伝承だけどね。

さっき左折した地点に徒歩で戻る。
まだ15時を少し過ぎたところだからさ、お洒落な喫茶店でもあればゆっくり時間つぶしたかったけど、残念ながら該当なし。

バス停で時刻を確認すると、名鉄岐阜駅(またはすぐお隣のJR岐阜駅)行は、10~15分ごとにあるらしく、すこぶる便利だ。

少し待ってたら、バスが来たから、とりあえず乗車して、岐阜駅で時間をつぶすことにしよう。
JR岐阜駅構内の、お気に入りのラーメン店に寄り、今回の行程を復習しながらのんびり過ごした。

「名鉄岐阜」駅は、ロータリーを越え、信号を渡ってすぐ。
ほとんど隣同士と言っても良い位置関係だ。

そして名鉄名古屋本線は、ここ「名鉄岐阜」駅が始発駅。
急行に乗れば、「鳴海」までは乗り換え無しで1本。
確実に座っていけるのはありがたい。
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(7)

2013-10-01 | 旧中山道run!!

若干寒いけど、空は晴れ渡り、気分も乗っている。
さぁ、間髪置かず、中山道run、決行だ!!

大高駅に車を置き、毎度おなじみの東海道本線乗継。
といいたいところだけど、違うのは、今日からは青空フリーではなく、普通に切符を購入するってこと。

もう近くなりすぎ?ちゃってね。
青空フリーでも元が取れないのさ。

大高→関ヶ原は、1,280円。
帰りは間違いなくもっと安くなるからね。

ずぼらな性格でさ、前回同様、近けりゃ近いで、家でのんびりし過ぎちゃうんだよね。
関ヶ原駅に降り立った頃には昼12時を過ぎてしまった

といいつつ、前回、夕暮れが近かったのと、少々疲れたこともあり、最後に端折っちゃったからね、簡単に関ヶ原駅周辺を散策してみたくなった。

駅から少しだけ西へ向かう。
八幡神社がある。

ここにひときわ目立つ巨木がある。
「スダジイ」と称するらしい。
また、ここがかつての関ヶ原宿本陣跡だったということらしい。

しかもこの前の道は、かつての北国脇往還(または北国街道:現在の国道365号にあたる)であるとされ、長浜や木ノ本方面に繋がっていたんだね。

さて、今日のトレーニング、始めるとしよう。
せっかくだから、そのまま国道21に出て、十六銀行関ヶ原支店の前に出る。

200mほど前回と重複しちゃうけど、面倒だからここを本日のスタートとする。
「関ヶ原駅前」交差点を再度通る。

左、道路に面して「枡屋旅館」があるけど、かつての旅籠で、今も営業しているらしい。

「関ヶ原東町」の信号を超えると、中山道は左に緩やかに分岐する。
この辺りから落ち着いた雰囲気で走れるね。

「1ツ軒」という交差点でいったん国21に合流するものの、すぐに分岐。
今度は「徳川家康最初陣跡」の案内板がある。
どうやら国道を渡った反対側らしいけど、「東軍」の総大将だからね、敬意を表して寄り道していこう。

階段を駆け上がると、見通しの良い小山の上。
ここに名前の通り、家康は最初の陣を敷いたんだね。
ちなみに山の名前は「桃配(ももくばり)山」ね。


さて、中山道に戻ってrunを再開。
関ヶ原一帯は、2大合戦の地としてあまりにも有名なため、「中山道」は隠れちゃってる感じだったけど、この辺りから松並木が始まり、ようやくに中山道らしさが出てきた。

街道らしい独特の道が続く。
これといった見どころは無いけれど、走ってて楽しい区間だ。
天気も良く、見通しも良いため、心も軽い。

しばらくすると、左から国21のバイパスが現われ、国21の本道と合流するんだけど、ここで中山道はバイパスの上を渡るのが正解。

ちょっとややこしいけど、道なりに走ると「日守西」の交差点に出る。
ここで太くなった国21を横断し、すぐに左に折れる道が中山道なのだ。

地図で見ると、バイパス渡る前の道と繋がっていることが判るから、ここはチェックしておくポイントやね。

国21から離れてすぐ、「垂井一里塚」。

南側(右手)のみ、完全な形で残っている。

さらに200mほどで、今度は「日守」の交差点。
ここは歩道橋があるから、便利だ。
渡って左の道を選び、東海道本線の踏切を渡る。

ここからは少し単調な道が続く。

800mぐらいかな?
2手に分岐する地点に出た。

明らかに右に行く方がメインみたいだけど。

ここが「垂井宿西見附跡」らしい。
ここからが垂井宿ってことね。
で、この右に行くメインストリート?が中山道ね。
愛宕神社が、道に面して、右側にあるのが目印だ。

左手に「本龍寺」を過ぎると、所々にいかにも旧街道らしき建物が現われる。
ちなみにこのお寺の前が「高札場」だったらしい。

すぐ隣、「油屋卯吉家跡」。
名前の通り、かつての油商人の家で、当時のままの旧宅が建っている。

すぐの小さな4ツ角には、南宮大社の大鳥居が目立つ。
残念ながら、本陣跡は説明板と石柱が残るのみ。

大垣共立銀行垂井支店が見える。
ここが枡型になっていて、道の反対側には「亀丸屋旅館」。
ここもかつての旅籠で、現在も営業を続けている、貴重な建物だ。

T字路に突き当ったら左折。
相川橋が見えてきた。

その橋の手前が東見附跡らしい。
さらに「人足渡跡」。

今は橋だけど、ここはかつて、人足によって渡河してたんだね。

さて、橋を渡ろう。
下を流れるのは、「相川」。
そのまんまだけどね。

今日は空気も綺麗だ。
橋の上からは遠くの山並みも映えて見え、思わず足をとめた。(冒頭写真)
遠く雪をかぶるのは、伊吹山かな?

でもさ、この橋渡るのは、実は2回目なんだよね。
美濃路編6でゴールした後、垂井駅に出る際に、ここを通ったんだよね。
あの時はすでに辺りは暗く、景色に見とれる余裕もなかったよ。

橋を渡り終え、すぐに右折する中山道。
50mもしないうちに相川の支流の小さな川を渡ると、見覚えのある風景に。

そう、垂井追分だ!


直進が美濃街道。
「美濃路編」で、宮の宿をスタートし、ここまで辿って完走した、あの美濃街道だ!
懐かしいなぁ!

中山道は左ね。
ここからは再び初めての道。

右手に大型ドラッグストアを見ながら、北東に向かって直進している。
ちょっと単調な風景が続き、runに集中。

やがて左手に常夜燈を発見!
ここが「青野一里塚跡」らしい。

さて、ここでまた寄り道だ。
200mほど先で、案内板に従い左折。
そのまま進むと「美濃国分寺跡」。

「国分寺」。
江戸よりはろか昔の741(天平13)年、聖武天皇の命により、各国に建立されたお寺のことやね。
当時としては、美濃国を代表するお寺だったわけだね。
そしてこれまた「東山道」系の史跡やね。

綺麗に「史跡公園」として整備され、のんびり散策している人も多い。
その隣に歴史資料館が併設され、さらに奥へ進むと、現在の「美濃国分寺」がある。
こっちも江戸初期に建立されてるから、それはそれで歴史があり、参拝客も多い。


ここもまた、東山道と中山道がリンクしていたことを示しているわけだ。

参詣を済ませ、中山道に復帰。
しばらく走り続けると、コンビニがあって、この辺りの幹線道路となっている「県道216号」を斜めに横断し、さらに進む。

すると見えてくるのが「中山道青墓宿」を示す標柱。
この辺り一帯は、「青墓町」で、かつての青墓宿だったことは間違いないらしい。

でもさ!
青墓宿は東山道でしょ!

すでに説明したとおり、中山道は江戸幕府により定められた宿駅制度として、69次の宿場が設置されている。
その中に「青墓」なんてないぞ!
「東山道青墓宿」が正解のはずだけど。

まぁ、いずれにせよ、この道が東山道時代から利用されていたことは間違いないけれど。

その少し先、西町集会所がかつて「円願寺」というお寺の跡らしく、青墓宿の中心的な存在だったらしい。
義経一行もここで休息したとか。

「白髪神社」「延長寺」と続けてあり、確かにこの辺り、昔の雰囲気をわずかばかり残している。

東海道本線の下をくぐり、昼飯(ひるい)町に入ってきた。
トレーニング中だからね、確かに昼飯らしい食事、してないけどさ。

「その昼飯と関係ねぇ~」と云いたいところだけど、関係あるのさ、それが。
善光寺に如来像を運ぶ一行が、ここで昼飯をとった。
それが由来だそうな。

右側に小高い公園が見えてきた。
「大塚古墳」。
前方後円墳らしい。

しばらくすると貨物線の踏切を渡る。
一応、貨物専用の私鉄、「西濃鉄道」の路線ね。
時刻表には載ってないからさ、専門外なんだけど。

時刻表検定1級なんだけどさ、よく「鉄道マニア」と混同されちゃってね。
まぁ、広義の鉄チャンには違いないけどさ。
厳密?な意味での鉄道マニアなら、西濃鉄道もJR貨物も専門分野?なんだろうけど。

その代わり、時刻表は、鉄道だけじゃなく、路線バスや割引切符、駅弁の情報とかも載ってるからさ、微妙に守備範囲が違うのさ。

って、マニアの言い訳はそれぐらいにして、話を進めなきゃね。

線路を渡ったところに「甲塚」
こちらは関ヶ原の合戦にまつわる史跡らしい。

一気に町の雰囲気が変わった気がする。
赤坂宿に入ったようだ。
いかにも宿場町の雰囲気になってきた。

妙法寺の前が、「赤坂宿脇本陣跡」。
さらに100m弱で、小さな4ツ角。

そこにあるのは江戸時代からの道標で、「左 たにくみ道」とある。
谷汲山華厳寺への参詣道を示しているらしい。

両側には古い建物が鎮座し、いかにも宿場町の風景で、素晴らしい。
しばらく足を止めてしまう。

圧巻は4ツ角の南西、「矢橋家住宅」かな。
木造2階建、天保年間に建築されたとかで、国登録の有形文化財に指定されている。

さて、コスモタイガー、当初の予定ではここをゴールにしたかったんだけどさ。
この4ツ角を南に行けば、東海道本線赤坂支線、「美濃赤坂駅」がある。

鉄チャン的にはぜひ乗ってみたい支線。
でも、寄り道し過ぎちゃってね、さっき電車は発車したところ。
つまり乗り遅れちゃったのさ!
何せ1時間に1本だからさ。

痛いなぁ!
美濃赤坂駅に寄るだけ寄って、未練たらたらでウロウロしたけれど、1時間も時間をつぶすのも勿体ないしなぁ。

仕方ない。
予備案を決行するか!

再び4ツ角に戻り、もう一度気持ちを入れ直し、中山道を進もう。
すぐに右手、本陣跡。


で、すぐにまた線路を渡る。
赤坂支線の延長にある貨物線やね。

またちょっと走って、今度は「赤坂港跡」。
「港」なんて海のイメージあるから、一瞬変な感じがするけれど、これは「川」の港だ。
杭瀬(くいせ)川の水運を利用するため、明治時代に整備されたらしい。

元々赤坂宿は、水運が盛んな場所として、平安時代から栄えていたとか。
東山道時代には「杭瀬宿」と呼ばれていて、宿場町としての原型はすでに存在していたとされる。

赤坂大橋で、現在の杭瀬川を渡る。
渡り終わってすぐ、分岐路を左へ。

周囲は静かな住宅街になった。
道はくねくねと、街道らしく続いている。

やがて右側に「中山道一里塚跡」の標柱が建つ。
「池尻一里塚」と称していたらしい。


白山神社を右に見て、さらに走ると、左からやってきた県道230号と合流。
200mほどそのまま道なりに進み、線路をまたいだところで、目を左に向けると駅がある。
養老鉄道養老線「東赤坂」駅やね。

一昨年(2007年!)までは近鉄の路線だったんだけど、現在は近鉄の子会社として分離されながら、揖斐駅から三重県の桑名駅間を結んでいる路線だ。


こちらもまた、なかなか乗る機会のない、ローカル色ある路線だ。
ということで、これが予備案!
ここを本日のゴールとする。

随分前に(まだ近鉄時代だけど)乗車済なので、初乗りじゃないけどね。
わずか数分のミニトリップだけど、楽しいなぁ!

大垣駅で下車し、そのまま東海道本線に乗り換え、帰途に付いたのであった。
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