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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(6)

2014-12-03 | 旧伊勢街道run!!

さぁ、今日は伊勢街道!
残りは旧街道だけなら、恐らく10km少々。
起伏も相変わらず、ほとんど無し。
ってことは、ほぼ確実に、今日で伊勢街道完全走破!となるはずだね。

どうも中山道に比べると、気が抜ける部分があるせいか、今日ものんびり出発で、9時半ごろに自宅を出発。
大高駅に車を置く毎度のパターンで、「青空フリー」を購入後、本日のスタート地点の、JR「宮川駅」に到着した頃には、12時半を過ぎちゃってるんだよね。

ホームで記念?のシャメを撮り、早速ゴールに向けてスタート!

駅前の少し広めのメインストリート?を直進すれば、約200mほどで、伊勢街道に再会。
前回と少しだけ重複するけれど、ここを右折し、約100mで「紀州藩高札場」ね。
ここからが、純粋に前回の続きやね。

地図で云うと、「県道428」がそのまま伊勢街道になっているから、案外わかりやすい。
伊勢街道は、ここを左。
格子窓の古い家並みが残り、いきなり街道オーラ満載だ。

升形になっているらしく、150mほどで今度は突き当たりを右折。
すぐまた左折。

街道らしい雰囲気が続く中、小さな川を渡る。
「宮古橋」の名前が付いているらしい。

渡ってすぐ、左手に自動車学校があり、大きな川(宮川)の堤防にぶちあたる。
かつての伊勢街道はここから河川敷を直進していたらしいけれど。

現代では、すでに消失しているらしく、堤防に沿って右折。
JR参宮線の下を潜ると、その先に車も通る「宮川橋」があり、対岸に渡るしかない。

でもここから遠くに山々が見える風景は、何気に綺麗で、思わずシャメに納めてしまった。

渡り終えたところで、旧伊勢街道が復活することになるらしく、そのまま直進。
左には、さっき潜ったはずのJR参宮線が、やや距離を置いて寄り添ってくれる。

特段、見所はないけれど、明らかに旧道オーラを感じる、うねった道で、なかなか楽しいrunが続く。

大きな幹線道路の高架下をくぐり、道なりにくねくねと進むと、商店街の連なる、主要道に出た。
県道37号、ということらしい。

ここで伊勢街道は、いったん消失。
本来の旧街道は、県道に合流手前の三叉を、直進していたらしい。

仕方なく、県道を少し走り、「浦口」の交差点を右折。
2本目を左に折れ、すぐ右へ。
「筋向橋」の交差点に出る。

ここから再び伊勢街道。
でも肝心の橋は?
実は、橋どころか、その下の川も現在は地下水路になってしまったらしく、1849(嘉永2年)製の欄干が残るのみ。

ここは変則の交差点になっていて、伊勢街道は、右斜めに進む、県道22号を行くのが正解。
この一角は、何の変哲もない、街中の県道runだけど、600mほど走ると、左側に忽然と古い和風建築に遭遇。
明らかに、この建物だけが、雰囲気が違う。

「小西万金丹薬舗」。
名前の通り、かつての薬屋さんだね。
江戸当時のまま、現存されているらしい。

斜め前には、某電話会社の大きなビルが、無粋に立ちはだかっている。
そのすぐ後方には、こんもりとした森がある。

いよいよ到着!
伊勢神宮!

といっても、まだゴールじゃないよ。
これは「外宮」ね。
伊勢街道の終点とされる「伊勢神宮」は、内宮のこと。
その内宮までは、まだ4kmほどある。

どちらも過去にも訪問済みではあるけれど、せっかくここまで来たら、「片参り」にするわけにはいかない。
ということで、外宮にも挨拶していこう。

あまりにも有名な伊勢神宮。
格式でも、全国津々浦々にある神社の、№1に君臨しているそうだけど。

ちなみに外宮というのも通称で、正確には「豊受大神宮」と称するらしい。
広大な社域と背後の深い森に、背筋は引き締まる。

もっと時間をかけて参拝したいところだけど、一応、トレーニング中だから、メインとなる正宮を拝殿して、伊勢街道のrunに戻る。

神社の前の幹線道路を走る。
「御木本道路」と呼ばれる、メインストレートだ。

300mほどで、左側に「マリア保育園」。
日本古来の神様の総元締の前に、別の神様の保育園が普通にあるのもなかなか凄い話だね。

この保育園の脇を入っていくのが、伊勢街道ね。
一気に静かな、街道らしい雰囲気となった。
小さな川を渡り、小さなお寺や塚を目にしながら、足を進める。
幸い、道なりに進むだけだから、迷うこともなく、快調な足取りで、ゴールを目指す。

「古市」の町並みに入った。
この辺りは、かつての遊郭街だったんだね。
そこかしこに、歴史を感じさせる民家や古寺が残っている。(冒頭写真)

JR参宮線の上を渡り、しばらくすると、今度は伊勢自動車道の上を渡る。
その手前にあるのが「伊勢古市参宮街道資料館」。

いや~、無茶苦茶寄って行きたい心境なんだけど。
気持ち良く走ってる最中だし、トレーニングだし!

ということで、ここも泣く泣くパス。

下り坂に差し掛かる。
左手は、小高い森になっている。
いよいよ伊勢街道もラストスパート!

小玻美術館、という、個人の可愛らしい美術館があるけれど、残念ながら、絵心はなくってね。

そこからさらに100m少々で、「宇治浦田西」の信号に突き当たり、左折。
御木本道路に再会したというわけ。

すぐ左手、猿田彦神社。
手を合わせるだけで、先を急ぐとしよう。
もう、ここまで来たら、早くゴールしたい!

次の信号が「宇治浦田」。
といってもピンと来ないけど。
そのすぐ先の、賑やかな参道を右折。

そう、内宮の門前町、「おかげ横丁」の入り口やね。
一気に人口が増えた感じだ。

交差点を過ぎてすぐ、右へと入るのが「おかげ横丁」=伊勢街道。
両側は土産物店が立ち並び、観光客が溢れている。

その中を黙々と走るコスモタイガー。
ちょっと恥ずかしいけど、こんなシチュエーション、今までにも何度か経験済みだし、もう慣れたわ!

事前リサーチに寄れば、両側の建物自体も、昔の面影を色濃く残しているらしいけれど、何せ凄い観光客で、情緒を味わうどころじゃない。
人並みを掻き分けるように、ゴールを目指す。

その中でも、ひときわ目立つのが、かの有名な「赤福餅」の本店ね。
もはや全国区の人気となった、定番の和菓子だけど、ここが本家本元。
地元伊勢が生んだ金メダリスト、野口みずき選手も、大好物だったとか。

さぁ、ラスト400m!
おかげ横丁をひたすら走る。

ちなみに横丁や裏路地のような狭い道のことを、伊勢では「世古」と称したらしい。
現在でも、「せこ」は伊勢をはじめとして、三重県に多い苗字やね。
往年の名ランナー、瀬古利彦選手も、そういえば三重県出身だ。

さぁ、目の前で、おかげ横丁が行き止まりになっている。
その先には、立派な鳥居が見えてきた。

着いた!
伊勢神宮内宮!
そして伊勢街道の終点。

時計はまもなく15時になろうとしている。
ここまで来て、このまま帰る手はないよね。
トレーニング?はここで終了とし、ゆっくりと「お伊勢参り」をしていこう。

鳥居を潜り、すぐに五十鈴川を「宇治橋」で渡り、神域へ。
内宮も通称で、正確には、「皇大神宮」。
神様の中でももっとも偉い?天照大神が祀られている。

難しいことはコスモタイガーにも判らないけれど、簡単に言えば、格式で一番上が、伊勢神宮。
それに次ぐのが、熱田神宮と出雲大社になるのかな?

そしてこの3つの神社に共通するイベントがある。
「駅伝」ね。

10月の「出雲大学駅伝」(全日本大学選抜駅伝)。
11月の「全日本大学駅伝」。(熱田神宮→伊勢神宮内宮)
特に全日本大学駅伝は、熱田神宮と伊勢神宮を結ぶという格式高いもので、学生駅伝の最高峰と位置づけされている。

え?箱根?
だから、箱根は、格式じゃ、この2大会には及ばないよね。(旧東海道編35参照)
そもそも「全国大会」じゃないし。
実態はともかく、一新聞社の販売戦略上、いかにも「全国大会」という報道になちゃってるけどさ。

広大な内宮をのんびり参詣・散策し、途中、横を流れる五十鈴川で水と戯れたりしながら、まったりとした時間を過ごした。

さぁ、これにて「伊勢街道run」は、ホントに終了!
さっきの鳥居まで戻り、1本西にある広い道沿いのバス乗り場から、三重交通バスに乗り、「伊勢市」駅に出るのさ。
ちなみにその広い道は、国道23号。
ここは国23の、終点でもあるんだね。

2010年5月16日、中山道のオプション?として走り始めた伊勢街道も、これにて完全走破。

伊勢市駅からは「快速みえ」に乗車し、一気に名古屋へ。
車中、充実感に浸りつつ・・・と云いたいところだけど、残念ながら?空席がないほどの繁盛振りで、約1時間40分、ひたすら立ちっぱなしで車窓を楽しむコスモタイガーなのであった。
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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(5)

2014-10-14 | 旧伊勢街道run!!


世間ではGW。
天候にも恵まれ、これで出掛けない手はないよね。

どっちにするか迷ったけど、とりあえず今日は伊勢街道にしようっと。

今日は休日だからね、懐かしの?「青空フリー」が利用可能。
そういうことなら、当然JR利用が安いよね。
伊勢鉄道区間も気にする必要はないし。(東海道編19参照)

久々に大高駅に出て、青空フリーを購入し、名古屋駅へ向かう。
ここからは関西本線で、街道run初の快速「みえ」号の乗客となった。

松阪で鈍行に乗換え、前回のゴール地点、「徳和」駅に着いたのは、12時を少し過ぎた頃。
駅前といっても、何もない無人駅で、散策するような場所もない。

すぐ脇の、踏切を渡る道が、伊勢街道やね。
踏切上からの徳和駅をシャメにおさめて、さっそく本日のトレーニング開始とする。

すぐに常夜灯を発見。
「上川西」の信号もそのまま直進し、右手に小さな神社を発見。
「八柱神社」というらしい。

さらに進むと、庚申堂と地蔵堂が並び立ってたりする。
ところどころに連子格子の古民家も連なり、街道らしい雰囲気だけど、地元民の抜け道にもなっているらしく、車の通行が多いのがちょっと残念なところ。

さらに地蔵堂の隣にある古民家が「おもん茶屋跡」。
名前のとおり、ここに茶屋があったんだね。

ありがたいことに、ただ道なりに進むだけだから、足どりは順調だ。
「櫛田」の交差点で、幹線道路(県道37)を渡る。

櫛田川の堤防に突き当たったところに、古い道標が残る。
1819(文政2)年建立のもの。

ここで堤防道路に駆け上がり、右手50mほどの所にも同じような道標が残る。
実はここがかつての渡し場跡らしく、櫛田川を舟で渡ってたんだね。
もっとも手元の資料に寄れば、春や秋の渇水期には、仮の橋が架けられていたらしい。

現代はそのいずれもなく、県道に出て、櫛田橋を渡るよりほかはない。

わたってすぐの信号を左折。
さっきの反対側の堤防道路を走り、50mほどで右下へ降りる。
県道428に指定されているらしいけれど、いかにも旧街道っぽい道だ。

こちら側にも、文政年間に建立されたとされる道標が残っている。

右手にお地蔵さんを見て、街道を走る。
ところどころに田んぼもあり、のどかな風景に、足取りも軽い。

突然左側に墓標のような石柱が1基。
「六字名号碑」と称するらしいけれど、なんだかよく判らない石柱だ。

その先の細い道を左折すると、50mほどで、近鉄山田線「漕代」駅なんだけど、まだゴールするには早すぎるよね。

ここら辺も伊勢街道は、くねくねしながらも1本道。
歴史を感じさせる古民家も散見し、走ってても退屈しない。

1km弱で、またまた近鉄の駅。
「斎宮」駅ね。

名前からして由緒ありげな駅だけど、この駅を超えた300mほど北側には、「斎宮の森」がある。
そこがかつての斎宮跡なんだね。

ちなみに斎宮とは、天皇の名代として、伊勢神宮をお世話する斎王さんが、仮の宮殿として、ここを拠点にしたもの。

興味はあるけれど、駅の反対側だし、街道runのコンセプトからは少し外れるからさ。
それにトレーニング中だし!

ってことで、先を急ぐ。
でも、その存在は、いよいよ伊勢神宮が近づいたんだなぁ、と実感させられる。

しばらく進み、右側やや奥まったところに、地蔵堂が2つ並んで大切に守られている。
左側は盃地蔵と称し、防火のご利益があるらしい。

くねくねした街道は、1本道。
迷うところもなく、今日は順調だ。
左側、少し離れたところには、相変わらず近鉄山田線が寄り添っている。

「勝見」の交差点もそのまま直進、しばらくして左手に「安養寺」。
「明星水」なる井戸が現在も残っている。
また、この辺りにも、かつては茶屋が軒を並べていたとされる。

「上野」の交差点も直進。
相変わらず、連子格子の民家が時折姿を現し、所々にかつての面影を残している。

まぁね、中山道という「劇薬」?を並行して走っている身には、ほとんど平坦な伊勢街道は、負荷的には物足りないぐらいだけど、うねりのある1本道を延々と走れるのは、街道runの原点回帰みたいな感覚で、楽しいな。

少しだけ道は下りとなり、「そうめん坂」の名前が付いているらしい。
由来は、道沿いにそうめん屋があったから。!
そのまんまやね。

「新茶屋」とよばれる集落に入ったようだ。
これまた名前の通りで、さっき通った安養寺周辺の茶屋が混雑(というより繁盛?)してきたため、この辺にも新しい茶屋ができたことによる。

壁に寄り添い、目立たぬ道標を発見!
「従是外宮二里」と読める。(冒頭写真)

弘法大師堂、庚申堂と、続けて道なりにあり、飽きることはない。

やがてT字路に差しかかり、ずーっと走ってきた県道428は右へ。
ちなみに左折は県道713号で、近鉄山田線を超えたところには、甲子園に何度か出場した、野球の名門「明野高校」がある。

伊勢街道は、そのまま428号に従う。
200mほどで、立派なお屋敷が。

「へんばや」
漢字で書くと「返馬屋」になるのかな?

ここで馬を借りて伊勢に向かい、参拝済ませてまた馬を返し、ついでにお茶してったところなんだとさ。

さらに300mほどで、小さな川を渡る。
相合橋といって、かつては木橋だったんだけどね。
残念ながら、一人で走って渡っちゃったけどさ。

「新出」の交差点に出た。
油断してそのまま直進してしまいそうだけど、ここで久しぶりに、県道428とお別れね。
少し手前で右斜めに分岐する、狭い道。
これが伊勢街道。

分岐してすぐに、庚申堂があるから、ホッとする。
相変わらず、古いお屋敷が点々として、街道らしい空間が流れている。

左に「小俣小学校」を見て、さらに約300mほどで、「紀州藩高札場」の標柱が建っていた。
ここが札の辻も兼ねていて、小俣集落の中心ともいえる場所やね。

ここで伊勢街道は左折して、さらに進んでいくんだけど、直進し、すぐの十字路を右に行けば、JR参宮線「宮川」駅。
迷ったけど、時計を見れば、まもなく15時。
実走距離も、14~15kmといったところで、少々短めだけど、今日はこの宮川駅をゴールにしようっと!

この気楽さも、中山道じゃ無理だよな。
近いって良いよな。

参宮線の普通列車に乗り、「多気」駅で、快速「みえ」号に乗換え、名古屋駅着。
せっかくの青空フリーなんだから、しかもまだ明るいし、ということで、名古屋駅で途中下車。

名駅(名古屋弁で「め~えき」!)周辺をぶらついた後、帰途についた、コスモタイガーであった。
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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(4)

2014-09-03 | 旧伊勢街道run!!


桜は散ってしまったけど、今まさに春爛漫。
窓を開ければ、穏やかな春の日が差し込み、素晴らしい天気だ!

今日は平日なんだけど、勤務の都合で、コスモタイガーは休日だ。
そして、夜7時からは名古屋駅近くで別件の野暮用がある。

ということで、中山道は後日にして、前回、途中打ち切り状態のようになってしまった伊勢街道の続きを走ろう!

目指すは前回のゴール、JR「高茶屋」駅。
でも残念ながら平日だから、青空フリーは使えないのさ。(旧東海道編19参照)

ということで、市バスと地下鉄で名古屋駅に出て、近鉄に乗換える。
JRだと第3セクター伊勢鉄道が足かせになり、割高なんだよね。

「津」駅はJR駅の中に近鉄が間借りする形で、双方の乗換には実に便利だ。
JR紀勢本線の鈍行で10分足らず。
高茶屋駅に着き、写メを撮ったりしていると、11時近くになってしまった。

駅前の道を100mほど直進したところで伊勢街道にぶつかる。
さぁ、本日のトレーニング開始!

すぐに国道165の下を潜り、今乗ってきたJR紀勢本線の踏切を渡る。
そのまま道なりに、右方向へ。

いきなり静かな集落を縫うような感じで、くねくねとうねりながらの1本道が続く。
こんな風景は、走ってても楽しいなぁ。
「島貫」という地区らしい。

県道と交わる信号もそのまま直進。
しばらくすると、ひっそりと残る古い道標を確認。

さらに進むと、目の前は一段高くなった堤防にぶつかり、道は行き止りに。
堤防に駆け上がると、目前に流れる大河?は「雲出川」。

ここはかつての「小野古江(おののふるえ)の渡し」で、当時は舟で渡河してたらしい。
現在は、舟はなく、200mほど右に大きな「雲出橋」がある。
県道413号にもなっている、立派な橋だ。

さぁ、橋を渡ろう!
と思ったら、その入口の角には、常夜灯が…。

1835(天保5)年のものらしいけれど。
ただ今居る場所は、伊勢街道から外れてるわけで、元からここにあったはずはなく、本来は、さっき堤防を駆け上がった辺りにあったものをここに移設したということだ。

渡り終わった対岸は、松阪市。
津市側と同じように常夜灯があるけれど、こちらも恐らく移設したものやろね。
まぁ、渡し舟無き今、「この橋を渡れ」と主張しているようで、道しるべ代わりになって、ありがたいことではある。

で、ここで左折し、堤防沿いに200m弱。
階段を下りると、旧街道が復活。

本楽寺、貴船神社と、いかにも旧街道を今に伝える史跡が続く。
またすぐに左側、ちょっと目立つ感じで古民家が構えている。

「松浦武四郎生家跡」。

松浦武四郎は、蝦夷地の探検家。
昔、北海道マラソン後に、道内旅行した際、このおっさん(失礼!)にまつわる史跡が点在してたのを思い出す。

その蝦夷地に「北海道」という名前を与えたのもこの人で、いわば「北海道の名付け親」ということになるね。

しばらくはまた、静かな道なりを走る。
右手に金剛寺、反対側には常夜灯。
この辺りは神社やお寺も多くあり、伊勢街道を意識できるエリアだ。

でもここを過ぎると、静かな住宅街を走るだけで、見るべきポイントはなくなり、runに集中。

1.5km弱走っただろうか?
突然、大きめの道標が見えた。
すぐ脇には常夜灯もあり、思わず足を止めた。

道標の字が達筆すぎて、解読できないけれど、右の道行くと「なら」、このまま直進すると「さんぐう」に行くという趣旨は何となく理解できた。

ここは伊勢街道最大の追分とされ、「月本追分」と呼ばれている。(冒頭写真)
当然、コスモタイガーは直進。
「さんぐう」の方に向かうわけなんだけど。

その先、紛らわしい二股。
でも、雰囲気的に、左の道だろうことは、今までの経験で判る。

100mほど先の十字路で右折。
ここにも道標や常夜灯が残されている。

直進は「香良洲(からす)道」。
名前の通り、香良洲町へと向かっている。

国23中勢バイパスの上を通過した地点にあるのが、「小津一里塚跡」。

ん?
確かリサーチした資料には、伊勢街道には一里塚が整備されなかったとあった気がするけれど…?
それに一里塚は、当然ながら「どこから一里なのか」を示すために築かれたわけで、そのためには2つ以上ないと意味ないしさ。

ちょっと疑問には思ったけれど、まぁ、走ってる最中だし、先へ行こう!

「小津西」の信号もそのまま直進。
左手には小さな郵便局があり、旧街道であることを確認できる。

小さな川(三渡川というらしい)を渡ったところにも、道標と常夜灯。
ここから右に行くのが「初瀬(はせ)街道」。
「六軒追分」と称されている。

「初瀬」は「長谷」とも表記され、アジサイで有名な長谷寺も、名字としての、長谷部さんや長谷川さんにも通じているとされる。

右奥、400mほどにある「常福寺」に寄り道。
立派な境内を持つ、曹洞宗のお寺だ。
伊勢街道沿いにあった道標の一部が、ここに集められ、現存している。

街道に戻り、しばらくは道なりだけど、ここからの街並みは、江戸の面影を色濃く残し、素敵な空間だ。
「市場庄」集落で、地元松阪市としてもそれなりに力を入れているのか、説明板も建てられている。

こういう、全国的には無名だけど、地元で静かに守られている街並み、好きだなぁ。
東浦町の緒川村を連想させる。(気になる古道たち10参照)

切妻造というのかな?
江戸から残る古民家もところどころに残り、道標・常夜灯が静かに鎮座している。

JR紀勢本線をアンダークロス。
すぐに枡型かな?
左折してすぐ右折。
ここにも常夜灯やお地蔵さん(庚申堂)が並んでいる。

さらに道なりに走る。
県道756号の下を潜り、すぐにT字路。
右の道がいかにも街道らしい雰囲気だから、ここも迷わないけれど。

右手に薬師寺。
いかにも古刹の雰囲気で、立派な仁王門が印象的だ。
本堂・仁王門ともに、松阪市の指定文化財となっている。

街道をそのまま進む。
突き当りに古民家があり、ここを左折。
そしてまたすぐ右折。

100mほど先で再び左折。
要するに、またまた枡型になってるわけね。
そしてここからの道は、狭いながらも県道24号に指定されているらしい。

しばらくはこの県道を走り、一気に松阪市の中心へと入っていく。
ペースも自然と早くなる。

小さな橋を渡ってすぐ、左手にあるのが、「商人の館」。
江戸の豪商、小津家の旧宅を資料館として保存・維持している。
残念ながらトレーニング中のため、写メだけ撮って、足を進める。

松阪といえば、何といっても「松阪牛」!のイメージだけど、実は江戸の頃から、商人の街でもある。
近江商人(旧東海道編19、旧中山道編4参照)とともに、全国的に有名だっんだね。
あちらは、西武グループの堤家や、伊藤忠の伊藤家を輩出しているけれど、松阪も負けてはいない。
三井グループは、この松阪商人がルーツなのだ。

その三井家発祥の地が、その先100mほどの「本町」交差点の手前、左手にあった。

さて、リサーチによれば、この本町交差点右手300mほどで、松阪城址に至る。
気になるところだけど、今日はまず伊勢街道に集中!
お城散策はまたの機会にする。

ただどうしてもチェックしておきたいスポット!
そのお城に向かって右折。
すぐの道を右へ。
そこに説明版があり、目の前の空き地?が「本居宣長旧宅跡」であることを示している。

そう!
学校の歴史の授業にも出てきた、本居宣長さんも、この松阪出身だったんだね。

旧街道に戻ってすぐ、「日野町」の交差点。
ここに大きな石の道標が残されている。
和歌山街道との追分で、ここを右折すれば和歌山であると示している。

伊勢街道はそのまま直進。
ここからは見どころもなく、商店街の中を走るイメージで、「愛宕西」の信号も、そのまま直進。

お店の数も減り、やがて左後方からやってきた道と合流し、そのまま旧街道は右へと続いている。
すぐに歩道橋があるのが目印だ。

200mほど先で、右に分岐する伊勢街道。
再び街道らしい雰囲気になり、右側に「信楽寺」。
すぐ隣の閻魔堂ともども、結構な歴史があるようだ。

その反対側(左側)には、こんもりした森があり、こちらは神戸神社。
良いねぇ、街道イベントが一気に現れた感じだ。

地味ながら、道沿いには常夜灯や庚申堂もあり、街道オーラを満喫しながら、淡々と走る。

と思ったら、目の前に踏切が現れ、その右手には、小さなJRの駅が。
紀勢本線「徳和」駅。

時間はまだ13時過ぎたところだし、実走距離も15~16kmといった感じ。
しかもほとんど平坦だし、中山道に慣れた?体には、少々物足りなさもあったりするけれど、先述の通り、今日は別件で約束があるからさ。

名古屋駅なんだから、帰路ついでに…、としたいところだけど、ランニングとは無関係の話のため、この走った後のむさくるしい恰好では少々厳しい。

いったん帰宅してさっぱりしたいからさ、いつもよりかなり早いけど、今日はここをゴールとする。

徳和駅は、普通しか停車しない無人駅。
幸い、すぐにその普通列車がやってきた。

隣駅「松阪」まで、わずか5分弱。
そこで近鉄の急行に乗換、名古屋駅経由でいったん帰宅。
1時間ほど寛いだものの、再び名古屋駅に向かった。

1日に2回も自宅~名駅を往復し、何とも非効率かつ慌ただしい一日だったけど、予定通りの行動でもあるため、自宅~名駅間は、今朝購入した、1日乗車券を利用。
こちらの方は、実に有効活用したことになるわけだね。

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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(3)

2014-08-05 | 旧伊勢街道run!!


空を見上げると、泣き出しそうな天気。
でもせっかくの休日で、特にスケジュールも埋まってないから、家にいるのはもったいない!

というわけで、今朝もそそくさと身支度を整え、前回終了地点の近鉄「江戸橋」駅に向かうコスモタイガー。

名古屋駅から約1時間、「江戸橋」に到着したのはお昼時。
コンビニで軽く腹ごしらえして、さぁ、本日のトレーニング開始!

と思ったら…。

携帯忘れた~~~!!
写メ取れないじゃん!

かと言って、ここまで来て引き返すのも馬鹿だしなぁ。
いいんだよ、別に自己満足でやってるだから。
今日に限っては記録すら残せないけど、将来、公開するつもりもないし、自分の中で「走った」事実さえあれば、それでいいんだよ。
(※この時点でホントにそう思ってました、はい)

と言い訳しつつ、今日は写真を撮ることのない、街道ランとなった。
まさに初期の身軽だった旧東海道が思い出される。(旧東海道編1、2参照)

そうはいっても写メ取れないのはテンション下がるよね。
スターとしていきなり、街道らしい雰囲気なんだけどね。

右側、阿部家住宅。
かつての醬油屋さんね。

この辺り、上浜町といって、江戸初期より人家が立ち並んでいたらしい。
いい感じの雰囲気。
写メ取れないけど(泣)

道なりにどんどん進むと、ビルや事務所が増え、都会の雰囲気になってきた。
右手奥には「津」駅。

1文字の最短駅名としても有名だけど。
言わずと知れた、三重県の県庁所在地、津市の中心駅。
その中心街に埋もれた感じで残る、伊勢街道。
歴史を感じるお寺も存在し、微妙に街道の雰囲気は残している。

藤堂高虎が津城主となり、城下町として整備した、津市。
その際、伊勢街道の宿場も整備し、この津の街を大きく発展させたということらしい。

女子レスリングの吉田沙保里選手の出身地のため、あちこちに彼女を応援する旨の看板や横断幕が目に入る。

しばらく走ると、今度は右手奥に三重県庁を望む。
で、川の堤防に突き当り、この道はここで終了。

「安濃川」ね。
左の国道23号で、「塔世橋」、渡りましょ。

で、伊勢街道はしばし消失しているらしく、23号をそのまま約300m、歩道橋が目印で、ここを左折。
すぐの道を右折したところから、旧街道が復活。

300mほど先の信号のない十字路を左折すると、急に歩行者が増える。
そこにあるのが「観音寺」で、ここに道標がある。

この観音寺も、津市では有名な参拝スポットらしい。

道標はここで右折を示している。
ここからはアーケード付の「大門商店街」。
走ってるとちょっと目立って恥ずかしいけどさ。

商店街は脇目も振らず、駆け抜ける。
すぐにまた道標が残り、示す通り、右折し、商店街を抜ける。

1本目を左へ。
百貨店の裏を通り、川沿いの県道にぶつかる。
右折して、国道に出る。

川の名前は岩田川。
そして渡るのは岩田橋。
そのまんまやね。

この岩田橋の手前から、右へ、国道163号が分岐しており、約700m、歩けば10分ほどで、近鉄「津新町」駅に出るんやね。
この周辺だけ、妙に土地勘あったりする。
感慨深いなぁ。

何がって?
まぁね、20数年前の、純情青年?時代の話だからね。
津新町駅近くの某所に住む女性と縁あって、足繁く通ったもんだ。
よくあんなに熱くなれたもんだなぁ。

今、彼女はどうしてるんだろう?
もちろんそんなこと、知る由もないけれど。

まさか、20数年後、旧街道runで、その至近距離を走ることになろうとは!
せっかく近くに来たんだから…って、こんな汗ダクダクの状態で、もちろんそんなことする訳ないけれど(ってか、汗かいてなくてもしないけど)。
遠い青春の思い出やね。

おっとっと、また脱線しちゃったよ。
鉄ちゃんのくせに、脱線ばかりしてるよね、俺。

別に何も悪いことしてないけど、妙な緊張感を持ったまま、岩田橋をそのまま直進。
わずかながら、そのまま国道23号が、旧街道ということらしい。

600mほど先で、「岩田」の信号に出た。
ここから斜め左に分岐する、一方通行の細い道。
これが旧伊勢街道だ。

ほぼ南東に向かう形で、道は直進している。

リサーチによれば、途中、酒屋さんの前から右折する道が、1632(寛永9)年以前の伊勢街道らしいけれど、コスモタイガーは、一般的な?江戸期の伊勢街道を選択。
そのまま直進する。

やがて変則の五叉路に出ると、そこには立派な祠が現れる。
「延命子安地蔵尊」と「閻魔堂」が並んでる、ということらしい。

その奥が小さな神社で、こちらは「市杵島姫神社」。
伊勢国司、北畠氏の守り神だったとされる。

道なりに斜め右へ行く。
ここを境に一気に街道らしい風景となった。

神明神社、薬師寺と、小さいながらも歴史を感じるポイントを通過。
あとは道なりにひたすら南下。
左手に、弘法大師作と伝わる、地蔵堂も安置されている。

道が右にカーブしてすぐ、左に分岐する道が現れる。
ここは追分で、分岐するのは「香良洲(からす)道」。
香良洲神社への参詣道のことらしいけど、当然コスモタイガーは、そのまま伊勢街道を走る。

「垂水南」の交差点で、国23を横断し、そのまま直進すると、しばらくして右からかなり雰囲気のある古道が合流する。
さっき分岐した、江戸初期の古道と、ここで再会だ。

ここからは再び、旧街道らしい雰囲気となったけど、ついに雨降ってきたよ!
この時期の雨は、冷たいからね~。
とはいえ、こんなところで止めるわけにも行かず、とにかく足を進める。

成就寺、金剛寺、南昌寺、と、如何にも由緒ありげな古刹が続き、家並みにも歴史を感じて、もっとゆっくり味わいたいけれど、雨がね~。

突然背後から大型バスが!
実はこの道、普通に三重交通の路線バスが走ってるのさ!
この狭い道に、不釣り合いなバスが来るからね、少々ビックリする。

交通量も結構あったりする。
地元の方々の抜け道にもなっているようだ。

そういえば、学生時代の無二の友人は、ここから右の高台の辺りだ。
何度か遊びに来たけどね、そのたびに、この辺りの謎の道をくねくねしていた記憶がある。
この伊勢街道も、もしかしてその際通っていたのかもしれない。

道標、常夜灯も残り、古民家も残る素敵な一角だ。
「藤方」という集落らしい。

右手奥には、こんもりとした一角。
「加良比之神社」。
立ち寄って手を合わせておく。

よく見ると、沿道沿いにいくつかの由緒ありげなお寺も並ぶけれど、いちいち寄ってるわけにもいかないし、何より雨がさらに強くなってきた。

こりゃ、ちょっと厳しいな。
ペース上げるか。
どうせ写真撮れねぇし!

小さい川を渡ったところに常夜灯があり、ここで「高茶屋」集落に変わったようだ。
名前の通り、かつては茶屋が並んでたんだろうね。

こんもりした一角は高茶屋神社。
でもごめん、雨、さらに強くなって、まじヤバい!

そのまま400mほど、あわてて駆け抜けると、左に行く直線路の50~60mほど離れたところにある、JR紀勢本線の高茶屋駅。

土砂降りだ!
もうたまらん!
もう思考停止状態。
ここをゴールとする。
ゴールというより、打ち切りと表現した方が正確かな。

全身びしょびしょ。
体を拭いて着替えただけで、やってきた電車に飛び乗った。

落ち着く間もなく、「津」で下車。
このままJRの快速「みえ」に乗り継ぐ方法もあるけどね、運賃を考えれば、ここからは近鉄利用が賢明だ。

JRだと途中、第三セクター、伊勢鉄道を通過することになってさ、運賃が割高になってしまうのさ。

体は濡れてても、脳みそは濡れてないからね。
近鉄の急行で約1時間、名古屋駅に到着。

あ~疲れた!
ってか、今日は旧街道run始めて以来の、ついてない一日だったかも。
ケータイ忘れるし、雨降られるし。

今日は記録にも残せず、記憶に残るほどの名所もなく、本当に、ただ「走った」事実だけを残しに行った、そんな感じの一日だった。
実走距離も、途中で打ち切ったぐらいだから、当然短く、11~12kmぐらいやね。
ガッカリ!
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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(2)

2014-07-18 | 旧伊勢街道run!!

HappyNewYear!
2010年を迎えました。

若干雲多めながら、冬の澄んだ青空。
まさに「街道日和」?

そういえば今日は成人式だ。
行きかう人々の中に、可憐な振り袖姿の若い女性たちがちらほらしている。

そんな華やかさとは無縁?のコスモタイガー、今日も鳴海駅に自転車を置き、名鉄→近鉄のルートで、白子駅に降り立った。

だだっ広い濃尾平野の中を動いてるだけだから、中山道runを思うと拍子抜けするような感覚だ。
このルートは、トンネルすらない。

あえて街道の反対側、西口から駅を出て、白子駅周辺をしばらく散策する。
若かりし頃、仕事や研修等で何度も来たり、長期間過ごしたりという経緯があり、懐かしさを感じたりする。

駅前を直進すると、左手に某電話会社の白子ビルが見え、すぐに国道23号に出る。
この辺りが当時の「マイコース」の一部だったりするんだけど。

適当にぶらぶらして駅前に戻ると、何やら観光案内所のようなスポットが出来ており、ちょっと覗いてみる。
白子周辺の歴史案内などもしてあり、数枚のパンフレットもいただいておく。

さて、駅構内を通って反対側、東口(海側)に廻り、そろそろ今日のトレーニング開始としよう!

駅前の広い県道(551号)を進み、300mほど先で旧伊勢街道に再会。
右折してすぐに、前回のゴール地点、「鈴鹿白子本町局」という小さな郵便局、そしてその隣が、旧河芸郡役所跡を利用した児童公園だ。

ここは枡型になっていて、そのまま道なりに進む。
この辺りも前回の続きという感じで、白子宿の面影を残す町並みだ。

小さな川を渡る。
「和田橋」というらしい。
ここも枡型になっている。

右に「久留間(くるま)神社」。
名前の通り、「車」関係にご利益があるらしい。

そのすぐ先で、三たび枡型になっていて、その正面にあるのが「唯信寺」。
真宗高田派の寺院で、立派な門が印象的だ。

どうやらこの辺りが、白子宿の南端らしく、あとは直線的に進むことになった。
とはいえ、そこは旧街道、微妙なうねりをかすかに残している。

左手前方に何やらグラウンドが現れたら、左折する。
この奥にあるのが、子安観音。

安産の観音様として、地元でも信仰されている。
不断桜というのが有名らしいけれど、まだ桜には早すぎる。
それよりも、三重塔が映え、美しい境内に、思わず写メを撮る。

ここは「寺家」という集落で、裏路地のような狭い道が入り組んでいる。
伊勢街道はその一部だ。

曲がり角には道標がちゃんと残っているのはありがたいけれど、リサーチしておいた方が無難な区間だ。

先ほどグラウンド前で別れた道に再度ぶつかり、右折。
すぐに大きな川が目の前に。
「堀切川」ということらしい。

堤防に突き当たるところに「右いせみち」の道標が現役で?存在しているからありがたい。
わずかの区間ながら、この堀切川の右岸に沿って走ることになる。

近鉄の線路をクロスし、国23に出る。
23号で橋(堀切橋)を渡って対岸に。

この堀切橋の正確な場所は、現在では不明らしいけれど、今走った堤防沿いのどこかで、対岸に渡っていたんだね。

200mほどで、堤防を駆け下りる左の道を選択。
そのまま道なりに。

23号の1本西の抜け道のような形だけど、これが旧伊勢街道。
両側に、大きな屋敷が散見され、なかなか歴史を感じられる一角だ。
磯山集落というらしい。

磯山の中心、八幡社を右に見て、さらに進むと、23号に吸収されてしまった。

そのまま23号で、中ノ川橋を渡る。
下を流れるのは、中ノ川、そのまんまやね。
そしてこの小さな川が、鈴鹿市と津市の境なのだ。

左側に工場が見えてくると、歩道だけが車道から少し離れ、すぐに今度は左に分岐する道が現れる。
これが旧伊勢街道なのは、もう感覚でわかる。

100mぐらいで今度はY字分岐。
立派な地蔵堂が立っていて、ここが旧街道であることを教えてくれている。
ここは右。
ちなみに左は、「巡礼道」という信仰の道だったらしい。

この巡礼道も、詳細は不明だけど、何やら伊勢街道に寄り添うように存在していたらしい。
その上、旧街道に付き物の神社やお寺は、ここからしばらくは、巡礼道の方に面しているらしいから、街道に拘らなければ、こっちの方が楽しいのかもしれないけれど、コスモタイガーのコンセプトはあくまでも「旧伊勢街道」!

ごく普通の古い集落の中を走る感じで、約700m。
斜め右の道を選択し、近鉄の「千里」駅前に出る。

国23の信号(千里駅前」を横断し、100mほど先で左にカーブ。
すぐにまた立派なお地蔵さんを発見!
「田中地蔵」というらしい。

右後方からやってきた県道(645号)に合流し、橋を渡る。
大蔵橋の名前が付いている。

県道に沿って右に行く。
かつての「上野宿」で、ここもまた、立派な屋敷が残り、微妙なうねりとともに、旧街道の雰囲気を残している。
気持ちよく走れるなぁ。

右側に上野小学校、左に上野公民館。
さらに少し先には「最勝寺」という何やら縁起良さそうな立派なお寺もある。

さらに200mほど走る。
この辺りが上野宿の中心だったらしく、本陣や問屋場もこの辺りにあったらしい。
現在も、所どころに、武家屋敷風の建物が残っている。

ここに「上野城跡」の標柱があり、右手奥に入るように案内している。

小山の上に小さな公園があり、それが城跡ということらしい。
「本城山青少年公園」として、整備されている。

この上野城は、1569(永禄12)年、織田信長の弟、信包(のぶかね)が5万石で入城し、一時は、妹のお市の方とその3人の娘たちも住んだとされている。
夫、浅井長政を兄信長の手により滅ぼされ、信包を頼って、この上野城に3人の娘を伴って逃げてきたんだね。

お市の方自身も数奇な運命を辿る、悲劇の女性ではあるけれど。

その3人の娘、長女が「茶々」で、のちに豊臣秀吉の側室となり、嫡男秀頼を生む。
秀頼可愛さのあまり、大坂夏の陣で、悲劇的な最期を遂げる。

次女の「初」。
のちに京極高次の正室となる。
実像はどうか知らないが、史実的には、3人の中ではもっとも地味な?存在ではある。

3女の「江(ごう)」。
3人の中では最も激動の人生だったかもしれない。
2度の結婚→離縁・死別を経て、最終的には、徳川家2代将軍、秀忠の正室となり、嫡男家光を生む。

何やら来年(2011年ね!)のNHK大河ドラマは、この「江」を取り上げるとかで、複雑な彼女の人生がどう描かれるのか、楽しみではある。

そして、それだけに結構立派な城だったらしく、天守台跡、本丸跡、二の丸跡と、それぞれ案内が行き届き、なかなか楽しい「プチクロカン」だった。
公園内には展望台も設置されており、本城山からの絶景も楽しめる。

さて、予想外に随分楽しんじゃった!
展望台には資料館も併設されているけれど、さすがにそれはパス。
っていうか、まじめなトレーニング中だし!(またそれかよ)
伊勢街道に戻り、先に進もう。

道なりに進むと、「一色南」の交差点を斜めに渡り、確かに道は続いている。

「中瀬」という集落らしく、ここも街道オーラが充満した、趣ある道筋が続く。
右手に「高山地蔵尊」、またすぐに今度は「松林寺」、と、古くからの信仰を忍ばせる史跡が続く。

名前の通り「中瀬」の交差点に出て、国23に吸収される。
しばらくは国道runやね。

800mほどで、パチンコ屋の前で、右に分岐する道が出現!
もちろんこれが伊勢街道。

現在、この辺りは「津市栗真小川町」。
江戸の頃には「粉川」と呼ばれた集落で、特にこの辺りからは、伊勢地方特有の「妻入り」という形式の古い民家を見かけることができる。
要するに、出入口(玄関)が、屋根の妻のところにあるから、パッと見て、確かに変な感じがしないでもない。

くねくねと続く街道を気持ち良く走る。
約1kmほど、素敵な景色が続く。
その間にも、善行寺、観音寺といった名刹があり、道標も残っている。

左手に逆川神社。
一応、ここらでは名のある神社らしく、集落の南端を守っているようだ。

さらに400m、久しぶりの信号で県道(410号)にぶつかり、いったん伊勢街道は消失、ということらしい。
実際には、信号すぐ手前の、小さな十字路のところから、左斜めに突っ切ってたんだろうね。
そこには現在、某材木店が存在している。

信号を左折すれば、またすぐに右へと、旧街道が伸びている。
ちょうど、この先の「栗真中山町」の交差点をショートカットするような形だ。

国23を斜めに横切るのが旧街道だけど、渡る手段がないため、いったん「栗真中山町」の交差点に迂回して、続きを走る。

コンビニの裏を通り、再び国道と離れた静かな街道runだ。

約600mで、左後方からやってきた、これまた何やら街道オーラ漂う道と合流。
実はこれ、前述の「巡礼道」。
追分になっていて、ここで再び巡り合ったわけだ。

追分地点には、当時から目印として、松の木が植えられ、今も「名残松」として大切に守られている。(冒頭写真)

静かな道が続き…、と言いたいところだけど、突然前方から「ガガガ…!」とけたたましいドリル?の音がする。
道路工事のようだ。
車も片側交互通行になっていた。

工事の脇を抜け、すぐに伊勢街道の最たる目印、常夜灯を発見!
1854(嘉永4)年建立とされる。

右にカーブすると、すぐに「三重大前」の大きな交差点に出て、国23と再会。
名前の通り、左手には三重大学の広大なキャンパスを望むことになる。

ここは国道がそのまま伊勢街道になっているらしく、国23を走る。
先のことを考え、信号で、反対側に渡っておこう。

「江戸橋北詰」の交差点。
ここから右前方に分岐する道がある。
もう、これが伊勢街道であることは一目瞭然で、地図を確認するまでもない。

志登茂川を渡る橋が、「江戸橋」。
参勤交代の際、江戸に向かう藩主をここで見送ったとされ、それが名前の由来になっている。

渡り終わった十字路のところに、今度はかなり立派な常夜灯がある。
1777(安永6)年建立のもので、津市の指定文化財にもなっているらしい。

実はとっても意味ある常夜灯で、この地点が伊勢街道と伊勢別街道の追分となっていて、それを示しているのだ。

ここで左(南)に曲がるのが伊勢街道。
逆に、右(北)へ向かうのが、伊勢別街道で、東海道の関宿へと向かっている。

で、コスモタイガーは、ここをゴールにし、多分、後年になって出来たであろう、最も平凡な道を歩き、近鉄名古屋本線「江戸橋」駅へと向かった。

平坦で地味ながら、天候にも恵まれ、結構あちこち楽しめるコースだった。
街道自体では15kmぐらい?
実走17~18kmかな?

「江戸橋」駅は、特急こそ通過するものの、急行も停車する主要駅の1つで、先ほど前を通った、三重大学の最寄駅でもある。

名古屋方面の急行に乗れば、あとは眠気を誘う列車の揺れに身を任せるだけ。
1時間少々で、終点の名古屋駅だ。

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