cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(18)追記

2014-08-18 | 旧東海道run!!
東海道編(18)の地図、作成しました。 【ここをクリック】

東海道編(18)、本編末尾にも、入口を設けました。
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(23)

2014-08-15 | 旧中山道run!!


2010年もいよいよ春になった。
桜の蕾もふくらみかけた3月下旬。
朝から綺麗な青空が広がり、名古屋では、うっすらと汗ばむほどの暖かさ。

いくら長野県といえど、もう大丈夫だろう!
さぁ、待望の中山道run、再開だ!

前回のゴールはJR「みどり湖」駅。(旧中山道編22参照)
でもさ、塩尻から1駅、接続も良くないからね~。

そんなことなら、3kmほど重複するけど、塩尻駅から始めようか。

すでに「青空フリー」の圏外も完全に脱出し、対応できる割引切符もなく、経路通りに普通に乗車券を購入するのみ。
ってことで、拠点は再び勝川駅ね。

勝川駅のコインPに車を置き、中津川発10:10の、お馴染みとなった列車に乗車。
約2時間後、塩尻駅のホームに降り立った。

塩尻駅は乗換客が多いため、立ち食いそばが繁盛している。
結構うまいんだ!
走る前の栄養補給として、お腹に入れておこうっと。

駅舎の写メを撮り、upがてら少し駅前を散歩する。
そういえば、結局デジカメは結局、壊れたまま。
新しいものを買おうにも、そんな金あるなら、伊勢街道や中山道に使いたい!
ついつい、体を動かす方に投資?してしまう、貧乏性のコスモタイガーなのだ。

さぁ、3か月半ぶりの中山道run、塩尻駅前をスタート!
といいつつ、まずは中山道に出るために、塩尻の街中を適当に走る。

「下大門」の交差点で、中山道(国153)に合流。
あとは前回の道を辿りつつ進むと、やがて見覚えのある、「堀内家住宅」。

ここも素通りし、さらに進むと、前回慌ただしく通過した「阿礼神社」。
今日は天候にも時間にも恵まれ、ゆったりした気持ちで再度お参りし、写メも収めておく。

「仲町」の信号を左、すぐに永福寺。
ここまでが前回との重複やね。

もはや改めて写メ取る気もなく、ここは素通り。
「下柿沢」の信号を過ぎ、一気に周囲は静かな集落と化し、旧街道オーラ満載の道となる。

やがて長野自動車道の上を立体交差。
この下に高速バスの停留所(長野道みどり湖)があり、名古屋との間に高速バスもあって、ここを拠点にする手もあったりするんだけど。
前回、ゴールをJR「みどり湖」駅にした時点でその方法は消えたわけだね。

さらに走って、今度は国道20号との初対面。
階段が設けられていて、出会ったばかりの国20をトンネルで潜り、そのまま直進する。
この国20が、ここからの中山道の相方となるわけだね。

1本裏道、みたいな感じで、人通りも少ないけれど、微妙なカーブに街道の雰囲気を感じる。
右手に小さなホテルが見えると、国20に合流。

正確には、この国道の右側の一部が、旧中山道ということらしいけど。
渡る手段もないし、面倒だから、このまま左側を走る。

200mほど国道を走ると、歩道橋がある。
ここはちょっと迷いやすいけれど、歩道橋を超えたところから、左に分岐する狭い道を発見!
これが中山道だ。

ここからはしばらく、1本道。
いつしか人家も疎らとなり、山の中を一人走っている。

さっきの歩道橋から1kmぐらい走ったかな?
「東山一里塚」が現存している。
ご丁寧に、それを案内する碑(看板)が3つも建っている。

さぁ、いよいよ本格的な登り坂!
一気に高度を上げていく。

お地蔵さんが2対。
そこに「夜通道(よとうみち)」と書いてある案内板がある。

この先の岡谷宿に住む男に恋した女性が、毎晩この道を歩き、男に会いに行っていた、という。

要するに、街灯もない時代に、毎晩、塩尻峠超えをしてたってことやね。
事実だとしたら、恋の力は凄いねぇ~!

ぽつんと一軒の家が出現。
かつての茶屋本陣ということらしい。

「熊に注意」の看板にヒビりつつ、さらに急坂となった道を登り切ると、ちょっと開けた感じになり、十字路となっている。

「塩尻峠」に到着!
ちょっとあっけない気もするけれど。

まぁね、馬篭峠や鳥居峠を経験してるんでね。
この程度の坂道には、免疫できてるのかもね。

中山道はこのまま十字路を直進するようだけど、左折してすぐのところに展望台が設置されているらしい。
途中には、「明治天皇塩尻峠御野立所」の碑もあり、かつて、明治天皇もここでごゆっくり休憩されたんやね。

展望台に立った。
うわ~、これは見事な願望だ~!
ここまでの中山道では、№1の絶景だ!(冒頭写真)
癒されるなぁ~。

遠く諏訪湖が見下ろせる。
その向こうに見える、雪をかぶる山々は、方角的に八ヶ岳かな?

ハイキングなら、ここでお弁当!なんだろうけど、コスモタイガーはトレーニングの一環。
休息もほどほどにして、さっきの十字路まで戻り、中山道runを再開。
といっても、ここからはほとんど下りなんだけどね。

くねくねしてるから距離感つかめないけれど、激しく下る途中にあるのが「大岩」。
名前の通り、大きな岩で、そのまんまだけどね。

いかにも崩れ落ちそうな状態で、でも昔からこの状態でちゃんと存在してるというから、不思議やね。

前方は見通しが良く、中央道岡谷ICが見えてきた。
行き止りとなった左手に「石舟観音」。

とりあえず階段を上り、観音様に手を合わせておく。
すぐそばには湧水があって、ラッキー!
ちょいと給水だ。
うまい!

階段を下りて、目の前のT字路は左へ進む。
下り坂を一気に降りると、さっきから見えていた岡谷ICの真ん前に出た。
国道20号バイパス(下諏訪岡谷バイパス)との接点だ。

ちょうどいい具合に?国20バイパスを渡る歩道橋が設置されているから、思わず渡ってしまいそうになるけれど、ここは左折が正解。

というより、本来の中山道はまっすぐ突き進んでたんやろね。
恐らく岡谷IC敷設の際に、消失したんだろうけど。

50mほどで右にカーブし、国20バイパスの上を横断。
渡り切ったところから、中山道が復活だ。

左にカーブしながら、道なりに。
一気に人家が増え、都会?の雰囲気に。
岡谷市街の郊外、といった感じだ。

300mぐらいかな?
古い道標が残り、大きく「中山道」と書かれている。

さらに進むと、茶屋本陣今井家。
黒塀が印象的な、見事な邸宅だ。

岡谷は正式な宿場じゃなかったから、ここは茶屋本陣、つまり休憩所だね。

隣といっても良いぐらいのところに、今井番所跡の碑。
簡易な関所?みたいなもので、ここで通行人の荷物とかをチェックしてたんだね。

この周辺は、かつて今井村といったらしく、やたらに今井さんが多い。
小さな川を渡り、道なりに進む。

右手に、病院があり、その向こうが自動車学校。
まさに地方都市の郊外、といった感じだ。

おっとっと!
左側に「東堀一里塚跡」の碑。
駐車場の入口に、ポツンと庭石のようにあったから、思わず見落とすところだった!

国20を斜めに横断し、そのまま直進。
400mほど進むと、これまた古い道標が現存している。
「右 中仙道 左 いなみち」かな?
現在は「いなみち」に該当する道は見当たらず、ここは1本道だけど。

県道14号線を信号で渡り、住宅街の中を道なりに走る。
設置された案内板が、右手奥の「旧渡辺家住宅」を指している。
わずか50mとのことだから、ちょっと寄り道。

諏訪高島藩の武士の家系とかで、この辺りの名士の家ということらしい。
写メだけ撮って、中山道に戻る。

二手に分岐するところは右ね。
間違えて左を選んでも、すぐに国20に出るだけのことなんだけど。

300mほどで、水路のような小さな川に出る。
これが実は岡谷市と諏訪市の境界らしい。

小さな橋で川を渡ってさらに直進。
150mぐらいかな?
少し広い道に出て、左を見ると国20号で、信号がある。

ここはリサーチしておいて良かった!
実は、思わず国道に出てしまいそうだけど、実はここを直進!が正解。
といっても、まるで泥棒さんのように、正面の家と家の隙間としか思えない極狭の道を通るんだよ。

これが中山道!
一応簡単な案内表示もあったけどさ。
目立たないから見落としそうだ。

まぁね、この家に住む人々は、自分の家とお隣さんの隙間が中山道ってことは恐らく知ってるんだろうから、変なおじさんたちがウロウロすることに慣れてるかもしれないけどさ。
そうでなければ、どう見ても、不審者の構図だ。

幸い、誰の視線も感じることなく、無事通過。
50mほどで突き当たるから、そこを左折すると、すぐに国20に出る。
ここも本来はそのまま直進の道が続いてたんだろうけどね。

国道にかかる「富士見橋」を渡る。
下を流れるのは、「砥川」。

渡ってすぐに、右斜めに入っていく道が中山道。
さらにその先、70~80mで、分岐点があり、今度は左。

右側に何やら、お墓のような石碑が並んでいるけれど、これは「魁塚」といって、江戸末期に江戸城攻撃を試みた「赤報隊」なる人たちのお墓らしい。

ごめん、君たちの活躍はあんまり詳しく知らないけれど、確かコスモタイガーが学生の頃だったから、20年ちょっと前になるのかな?
確か朝日新聞社襲撃事件があって、その際に「赤報隊」の名前を聞いた気がする。
きっと、君たちにあやかって付けられた名前なんだろうね。

国20に合流した。
すぐに「駅前」の交差点だ。

中仙道はこのまま国20を直進だけど、名前の通り、ここを右に曲がると、200mほどで「下諏訪」駅に出る。
コスモタイガーも、今日は予定通り、ここで中山道をコースアウトし、下諏訪駅に向かい、ゴール!

そう、予定通り!
ここは、前述のとおり、中山道を走る(歩く)上での重要な拠点の1つだ。(旧中山道編15参照)

今日の実走距離、16~17kmかな?
峠越えがあったとはいえ、若干少な目だけど、この先の中山道、いよいよ交通機関空白地帯となるからさ。
いったんここで区切り、改めてリサーチ後、またここに来ることにしよう。

まだ時計は3時半にもなっておらず、予定の電車まで1時間ほどの余裕がある。
これもまたリサーチ済みだけど、下諏訪といえば、名のある温泉地の1つ。
公衆浴場(共同浴場)も駅周辺にいくつか点在しているらしい。

走って汗かいたし、ちょうど良いわ!
温泉入ろう!

駅から一番近いのは…。
多分「菅野温泉」かな?
ただちょっと入口がわかりづらそうだけど。

さっきコースアウトした、「駅前」の交差点に戻り、国20(=中山道)を進むと、次の信号が「大社通り」。
この左角に、個人病院があり、その隣に「第三区事務所」の建物がある。
かなり寂れた感の、地元の集会所、といった感じだ。

この左横の通路を入っていく!
お世辞にも立派とは言えず、松本零士の初期の漫画にでも出てきそうなボロアパートの通路のようで、躊躇してしまうけれど、間違いなくそこには共同浴場、「菅野温泉」はあった。

入浴料金220円!!
安い!
しかも駅から徒歩5~6分と、利便性も抜群だし。

説明書きによれば、泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉。
やや熱めだから、あんまり長い時間入ってられないけど、汗流せて、あ~、気持ち良い。

さて、帰るとしますか!
下諏訪駅に戻り、まずは中央本線(東線)で塩尻駅へ。
今日もここで約30分の待ち時間をやり過ごした。

ここからはいつもの中央本線(西線)の鈍行乗継ね。
勝川駅に着いたころには、すでに20時を少し過ぎていた。

ここんとこ、伊勢街道でラクしてた?せいか、今日は疲れたなぁ…。
ビール飲みたいけど、まだ運転があるしなぁ…。
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(17)追記

2014-08-08 | 旧東海道run!!
旧東海道編(17)の地図、作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(3)

2014-08-05 | 旧伊勢街道run!!


空を見上げると、泣き出しそうな天気。
でもせっかくの休日で、特にスケジュールも埋まってないから、家にいるのはもったいない!

というわけで、今朝もそそくさと身支度を整え、前回終了地点の近鉄「江戸橋」駅に向かうコスモタイガー。

名古屋駅から約1時間、「江戸橋」に到着したのはお昼時。
コンビニで軽く腹ごしらえして、さぁ、本日のトレーニング開始!

と思ったら…。

携帯忘れた~~~!!
写メ取れないじゃん!

かと言って、ここまで来て引き返すのも馬鹿だしなぁ。
いいんだよ、別に自己満足でやってるだから。
今日に限っては記録すら残せないけど、将来、公開するつもりもないし、自分の中で「走った」事実さえあれば、それでいいんだよ。
(※この時点でホントにそう思ってました、はい)

と言い訳しつつ、今日は写真を撮ることのない、街道ランとなった。
まさに初期の身軽だった旧東海道が思い出される。(旧東海道編1、2参照)

そうはいっても写メ取れないのはテンション下がるよね。
スターとしていきなり、街道らしい雰囲気なんだけどね。

右側、阿部家住宅。
かつての醬油屋さんね。

この辺り、上浜町といって、江戸初期より人家が立ち並んでいたらしい。
いい感じの雰囲気。
写メ取れないけど(泣)

道なりにどんどん進むと、ビルや事務所が増え、都会の雰囲気になってきた。
右手奥には「津」駅。

1文字の最短駅名としても有名だけど。
言わずと知れた、三重県の県庁所在地、津市の中心駅。
その中心街に埋もれた感じで残る、伊勢街道。
歴史を感じるお寺も存在し、微妙に街道の雰囲気は残している。

藤堂高虎が津城主となり、城下町として整備した、津市。
その際、伊勢街道の宿場も整備し、この津の街を大きく発展させたということらしい。

女子レスリングの吉田沙保里選手の出身地のため、あちこちに彼女を応援する旨の看板や横断幕が目に入る。

しばらく走ると、今度は右手奥に三重県庁を望む。
で、川の堤防に突き当り、この道はここで終了。

「安濃川」ね。
左の国道23号で、「塔世橋」、渡りましょ。

で、伊勢街道はしばし消失しているらしく、23号をそのまま約300m、歩道橋が目印で、ここを左折。
すぐの道を右折したところから、旧街道が復活。

300mほど先の信号のない十字路を左折すると、急に歩行者が増える。
そこにあるのが「観音寺」で、ここに道標がある。

この観音寺も、津市では有名な参拝スポットらしい。

道標はここで右折を示している。
ここからはアーケード付の「大門商店街」。
走ってるとちょっと目立って恥ずかしいけどさ。

商店街は脇目も振らず、駆け抜ける。
すぐにまた道標が残り、示す通り、右折し、商店街を抜ける。

1本目を左へ。
百貨店の裏を通り、川沿いの県道にぶつかる。
右折して、国道に出る。

川の名前は岩田川。
そして渡るのは岩田橋。
そのまんまやね。

この岩田橋の手前から、右へ、国道163号が分岐しており、約700m、歩けば10分ほどで、近鉄「津新町」駅に出るんやね。
この周辺だけ、妙に土地勘あったりする。
感慨深いなぁ。

何がって?
まぁね、20数年前の、純情青年?時代の話だからね。
津新町駅近くの某所に住む女性と縁あって、足繁く通ったもんだ。
よくあんなに熱くなれたもんだなぁ。

今、彼女はどうしてるんだろう?
もちろんそんなこと、知る由もないけれど。

まさか、20数年後、旧街道runで、その至近距離を走ることになろうとは!
せっかく近くに来たんだから…って、こんな汗ダクダクの状態で、もちろんそんなことする訳ないけれど(ってか、汗かいてなくてもしないけど)。
遠い青春の思い出やね。

おっとっと、また脱線しちゃったよ。
鉄ちゃんのくせに、脱線ばかりしてるよね、俺。

別に何も悪いことしてないけど、妙な緊張感を持ったまま、岩田橋をそのまま直進。
わずかながら、そのまま国道23号が、旧街道ということらしい。

600mほど先で、「岩田」の信号に出た。
ここから斜め左に分岐する、一方通行の細い道。
これが旧伊勢街道だ。

ほぼ南東に向かう形で、道は直進している。

リサーチによれば、途中、酒屋さんの前から右折する道が、1632(寛永9)年以前の伊勢街道らしいけれど、コスモタイガーは、一般的な?江戸期の伊勢街道を選択。
そのまま直進する。

やがて変則の五叉路に出ると、そこには立派な祠が現れる。
「延命子安地蔵尊」と「閻魔堂」が並んでる、ということらしい。

その奥が小さな神社で、こちらは「市杵島姫神社」。
伊勢国司、北畠氏の守り神だったとされる。

道なりに斜め右へ行く。
ここを境に一気に街道らしい風景となった。

神明神社、薬師寺と、小さいながらも歴史を感じるポイントを通過。
あとは道なりにひたすら南下。
左手に、弘法大師作と伝わる、地蔵堂も安置されている。

道が右にカーブしてすぐ、左に分岐する道が現れる。
ここは追分で、分岐するのは「香良洲(からす)道」。
香良洲神社への参詣道のことらしいけど、当然コスモタイガーは、そのまま伊勢街道を走る。

「垂水南」の交差点で、国23を横断し、そのまま直進すると、しばらくして右からかなり雰囲気のある古道が合流する。
さっき分岐した、江戸初期の古道と、ここで再会だ。

ここからは再び、旧街道らしい雰囲気となったけど、ついに雨降ってきたよ!
この時期の雨は、冷たいからね~。
とはいえ、こんなところで止めるわけにも行かず、とにかく足を進める。

成就寺、金剛寺、南昌寺、と、如何にも由緒ありげな古刹が続き、家並みにも歴史を感じて、もっとゆっくり味わいたいけれど、雨がね~。

突然背後から大型バスが!
実はこの道、普通に三重交通の路線バスが走ってるのさ!
この狭い道に、不釣り合いなバスが来るからね、少々ビックリする。

交通量も結構あったりする。
地元の方々の抜け道にもなっているようだ。

そういえば、学生時代の無二の友人は、ここから右の高台の辺りだ。
何度か遊びに来たけどね、そのたびに、この辺りの謎の道をくねくねしていた記憶がある。
この伊勢街道も、もしかしてその際通っていたのかもしれない。

道標、常夜灯も残り、古民家も残る素敵な一角だ。
「藤方」という集落らしい。

右手奥には、こんもりとした一角。
「加良比之神社」。
立ち寄って手を合わせておく。

よく見ると、沿道沿いにいくつかの由緒ありげなお寺も並ぶけれど、いちいち寄ってるわけにもいかないし、何より雨がさらに強くなってきた。

こりゃ、ちょっと厳しいな。
ペース上げるか。
どうせ写真撮れねぇし!

小さい川を渡ったところに常夜灯があり、ここで「高茶屋」集落に変わったようだ。
名前の通り、かつては茶屋が並んでたんだろうね。

こんもりした一角は高茶屋神社。
でもごめん、雨、さらに強くなって、まじヤバい!

そのまま400mほど、あわてて駆け抜けると、左に行く直線路の50~60mほど離れたところにある、JR紀勢本線の高茶屋駅。

土砂降りだ!
もうたまらん!
もう思考停止状態。
ここをゴールとする。
ゴールというより、打ち切りと表現した方が正確かな。

全身びしょびしょ。
体を拭いて着替えただけで、やってきた電車に飛び乗った。

落ち着く間もなく、「津」で下車。
このままJRの快速「みえ」に乗り継ぐ方法もあるけどね、運賃を考えれば、ここからは近鉄利用が賢明だ。

JRだと途中、第三セクター、伊勢鉄道を通過することになってさ、運賃が割高になってしまうのさ。

体は濡れてても、脳みそは濡れてないからね。
近鉄の急行で約1時間、名古屋駅に到着。

あ~疲れた!
ってか、今日は旧街道run始めて以来の、ついてない一日だったかも。
ケータイ忘れるし、雨降られるし。

今日は記録にも残せず、記憶に残るほどの名所もなく、本当に、ただ「走った」事実だけを残しに行った、そんな感じの一日だった。
実走距離も、途中で打ち切ったぐらいだから、当然短く、11~12kmぐらいやね。
ガッカリ!
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