【2018年9月某日】
朝から曇天で、この時期にしては暑さも和らいでいる。
この天気じゃ掃除や洗濯するのも憚られるし、溜まったブルーレイをひたすら見て過ごす…、という性分でもないんだよね。
…てことで、東高野街道の続きとしよう。
すっかり慣れてしまい、何の感慨もない京阪特急に始発の淀屋橋駅から乗車、枚方市駅で交野線に乗換。
前回、着替えも考慮して帳尻合わせのように京阪「交野市」駅まで走ったけどさ、着いてすぐ走るのであれば、「交野市」駅まで行く理由はなく、「郡津」駅下車。
無人駅で、売店もコンビニも周囲にはない。
はい、とりあえず記念にシャメしときましょ(笑)(冒頭写真)
時計はまだ正午前。
ここにいてもしょうがないから、そそくさと前回の「梅が枝」の立体交差地点へ移動。
そしてやっぱり記念?で前回と同じアングルでパチリ。
リュックの紐を締め直し、さっそく本日のトレーニング開始とする。
高架の府道18号に上がる。
いきなり渡るのが何とも優雅な名前の天野川。
渡ってすぐ左折する堤防道路で、これにて東高野街道復活となるわけね。
とはいえ、左手に老人ホームらしき建物が目立つ程度で、街道らしさはない。
わずかに「茄子作」という変わった町名にそれを忍ぶ程度である。
「私部(きさべ)西4北」の信号で国168にぶつかり、旧街道は再び消滅。
とりあえず国道を走るしかなさそう。
そのまま100mほど南下すると、車止めがあって自動車は通行できないけれど、右斜めに向かう道がある。
はい、これ、旧街道ね。
普通の住宅街の道だから不安になるけど、右手に突然現れるのが「本尊掛松跡」
ここを通った法明上人というお坊さんが、仏様を描いた絵を松に掛けた、なんて話らしいが、文字通り「跡」でしかない。
ただ、ここが旧街道であることを教えてくれたのは嬉しい。
さらに50mほど進むと、左後方からの道が合流し、「上ノ山辻」という追分となっており、道標とお地蔵さんが今も大切に安置されている。
この合流してきた道も「山根街道」ということらしく、道標には「右宇治」と読めたから宇治に向かう街道なんだろう。
「茄子作南町」で大幹線国道1号と交わる。
高架は第2京阪道路だ。
両側は工場が続く。
恐らくこの辺は旧街道は消失してるんだろうね。
高架から約300m。
右に分岐する生活道路発見!
ちょうどそこにお地蔵さんもあるのが良い目印で、これが旧街道であることは間違いない。
この道は途中から歩行者専用になり、パチンコ屋の軒先?を通る。
でも歩行者専用部分はすぐに終了。
そのまま南東に、道なりに進むだけ。
両側には畑が続き、長閑な一角となっている。(2022年現在、大掛かりな土地区画事業により大半の畑は消失、旧街道は残されているようです)
資料によればこの辺りに一里塚があったらしく、それを示す小さな標柱があったらしいが、走る方に気持ちが入ってて見逃したらしい。
(いや、まぁ…、それが目的なんだけど^^;)
ポツポツと民家が並びだしたら少し広い道路へ合流。
目の前にはJRの線路。
最近ではすっかり通商の「学研都市線」が根付いちゃったけど、鉄チャンとしては正式名称「片町線」と紹介しておきたい。
そして線路を渡ってすぐ右折。
旧街道は星田駅の真ん前を通るわけさ。
まだトレーニング開始して1時間弱。
さすがにここでゴールにはできんな~。
駅前ロータリーをそのまま素通りしてすぐ、Yの字に分岐。
これは右のやや狭い方が正解。
急に街道らしい風景となった。
くねくねとしたうねりを楽しみつつ、信号で府道154号と交差。
さらに直進すれば、駅近なのに旧街道らしい静かなで趣ある風景が続いている。
しばらくは街道らしいうねりが続く。
やがて府道20号に吸収される。
ここで旧街道は消失ってことなんだろうな。
信号を超えると喫茶店があるんだけど、この喫茶店の裏手辺りを通っていたと推察されるけど、現在は何の痕跡もなく、この府道を行くしかない。
そしてこの辺りで行政区域が交野市から寝屋川市に。
というより、地図をよく見ると、街道自体は消失しているものの、市境が何もない田んぼの中を微妙にうねっており、昔の旧街道を表しているような気がする。
信号から約300m。
小さな水路を渡れば、その水路に沿う形で狭い農道がある。
ここを右折し、約50m先。
T字路になっていて、ここで旧街道復活!
地図を確認すると、さっき府道に吸収された場所の延長戦であることが確認できる。
道なりに走ればしばらくして小さな十字路で、ここにあるのが「弘法の井戸」。
丁寧に説明書きも設置されているが、現在はすでに井戸としての役割はなさそうだ。
府道20号を斜めに横切り、直進。(信号まで迂回してね♪)
左にカーブしたところにまたまた小さな十字路で、「打上の四辻」と呼ばれている。
名前の通り、この東高野街道と交わる形で、東西に伊勢奈良道が通る。
そして1857(安政4)年建立の道標が今も我々現代の旅人をやさしく迎えてくれている。
それにしても心配なのは空模様。
曇天だから走りやすいと思ってここまで来たけどさ。
何だか今にも降り出しそうな雰囲気だ。
そんな心配をしながらも、コスモタイガーの足は先へと進んでいる。
※後編へ続く。