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コスモタイガーのつぶやき(8)~完全リレー(2007年日本シリーズ)

2017-06-16 | つぶやき/更新中

先日、巨人が3人の継投によるノーヒットノーランを達成ということで話題になった。
それでコスモタイガー自身も思い出し、どうやらネット上でも話題になっている感がある、あの試合のことを書いてみよう。

今から10年前の2007年。
この年から始まったクライマックスシリーズを勝ち上がり、2年連続で日本シリーズを戦うことになったドラゴンズ。

この頃のドラゴンズは強かったからねぇ。
2004年・2006年とリーグ優勝してるため、4年の間に3回も日本シリーズを経験するなんて、ドラゴンズファンとして初めての経験。

そして日本シリーズの対戦相手は前年と同じ、北海道日本ハム。
まさに前年のリベンジの舞台となった。
ただし、ホームとビジター(アウェー)は逆になり、初戦と第2戦が札幌、第3~5戦がナゴヤ、6~7戦は再び札幌に戻るパターン。

初戦こそ敗れたものの、そこから3連勝で、日本一に王手!
この時点でドラゴンズの日本一は1954(昭和29)年の一度のみ。
自分の生まれる遙か前、杉下投手・西沢選手を中心として、宿敵西鉄ライオンズを倒した、ということは知識としては知っているけれど、それ以来の53年ぶりの日本一に王手をかけることになった。

第5戦(ナゴヤドーム)の先発は、後半戦になって台頭し、自己最高の6勝をあげた山井大介投手。
あとのない日ハムは、絶対的エース、ダルビッシュ投手。

シリーズ全体の流れは確かにドラゴンズだけど、さすがに今日ばかりは日ハムかな?と、思いつつ、でも第6・7戦は札幌ドームだから、今日決めないとまずいんちゃうか?などと心配し、始まる前から落ち着かない。

平田選手の犠牲フライで序盤に1点を先制したものの、それ以降点が取れる雰囲気はなく、重い展開。
そりゃ、球界のエースたるダルビッシュだもん!そうそう点は取れんよな。

気になるのは山井投手。
見たこともない快投(怪投?)をしている。

5回・6回。
1本のヒットも打たれていない。
いや、各イニング3人ずつ片付け、ランナーすら出していない。

7回も。
そして8回も!

8回終了して、完全試合まであと3人!
TV越しにも異様な雰囲気は伝わってくる。
こんな状況はさすがに落合監督すら予想してなかっただろうけれど、何より今日は53年ぶりの日本一がかかっている。

咄嗟に思ったことが2つ。

このまま続投して完全試合&日本一となれば、まるで出来過ぎた映画のような話で凄いことだけど、その保証はない。
しかもわずか1点差。
むしろヒットでも打たれたらショックが大きく、あっという間に逆転される確率は充分にあるし、そうなれば単なる1敗じゃすまないだろうな、残りの2戦は札幌ドーム=アウェー状態だから、流れは完全に日ハムに行ってしまう。

もう1つ。
このまま続投したならば、山井投手が胴上げ。
(その後2014年に最多勝を獲得する山井投手ではあるが、この時点においては)この1年間、主戦として投げてきた投手ではない。
それどころか1軍にもローテーションにも定着すらしていない、年間5~6勝の投手だ。
クローザーなら岩瀬仁紀投手だし、エースとして大車輪の活躍したのは川上憲伸投手で、相応しさということならこの2人以外には考えられない。
普段の公式戦じゃないんだ。
ペナントレース・クライマックスと、150試合超戦ってきた蓄積として今日のこの試合があるんだからさ。
その積み重ねが山井ってのは、応援してきたファンとして、なんか違う気がするな…。

天秤にかけるなら、当然、完全試合という個人記録なんかより、53年ぶり日本一の方が圧倒的に優先順位がある。
ドラゴンズファンとして、初めてリアルに見る日本一なのだ!

冷静な顔をした落合監督がベンチから出てきて、審判に投手交代を告げている。
クローザー岩瀬が当たり前のようにブルペンから出てきた。
この瞬間、日本一を確信し、涙が止まらなくなってしまった。

その岩瀬投手も凄い!
何やら異様な雰囲気の中、当たり前のように3人でピシャリと抑え、2投手による完全リレーで、ドラゴンズ日本一!
バンザーイ!!
ドラゴンズファンとして最高の夜となった。

スポーツニュースをはしご。
大勢が祝福ムードの中、何やらこの投手リレーに批判的な評論家や識者もいるらしい。

この投手リレーに対する批判は、ネット上でも結構あったようだけど、コスモタイガーは何で?の一心のみ。

中には著名なスポーツジャーナリスト(を名乗るおじさん)までが「野球に対する冒涜だ!」などと批判の言葉を浴びせている。

は?
何言ってるの?

あのさ~、お言葉返すようだけど、普段、ドラゴンズの野球を見てたの?
ドラゴンズファンの待ち焦がれた思いをどこまで理解してるの?
落合野球をどれだけ理解しているの?
プロの物書きとして、綿密な取材をもとにした発言とは到底思えない。

日頃ドラゴンズの野球なんかロクに見てもいない連中が突然出てきて、出来過ぎた映画のようなエンディングを勝手に思い描き、それが成らなかったからと駄々をこね、批判だけしてくる。
感動という名の宝物に泥を塗られた気分で、本当に気分が悪かった。

ドラゴンズファンという立場を抜きにしても、別段問題があるとは思えない。
(競技としての)スポーツは基本、勝ち負けを競うところにあるわけで、明確なルール違反は論外ではあるけれど、ルールの範囲内で、勝つ確率を最大限に追求するのは当たり前のこと。
むしろそれを怠ることの方が、ファンに対して失礼だ。

あの時点では、山井の続投より、岩瀬にスイッチした方が、「日本一」への確率は格段に高まった。
ただそれだけのこと。

むしろ「勝つ確率」を高めるための戦略や戦術こそがスポーツの真の醍醐味なのにね~。
そういえば高校野球でも妙な批判があったのを思い出す。

数年前に、ファールばかりを打って、最後は四球を選ぶ小柄な2番打者がいた。(名前は失念)
小柄でパワーで劣る彼が強豪校でレギュラーを取るには、いろんな努力や過程ががあったんだろう。
「何が何でも出塁するんだ」という気概。
ファールで粘るのも立派な戦術だ。
相手投手も守備陣も疲弊するし。
あっぱれと感心したものだ。

2005年春の甲子園。
地元愛工大名電が優勝。
ここでも賛否があった。

名電のほぼ全員が打席に立つとバントの構え。
ランナーいなければセフティバント。
いたら送りバント・スクイズバント・プッシュバント。
とにかくバント・バント・バント…。

相手の守備が撹乱し、やがて大量点につながっていった。
そして決勝戦でもその野球にブレはなく、頂点に立った。
お見事!

さらに遡ると、あの有名な松井の5打席連続敬遠。
明徳義塾と星稜高校だったかな?

強打者を敬遠し、次の打者と勝負する方が勝つ確率が高いと判断したのであれば、迷わずそうすべきだし、結果として松井君のバットを完全封鎖し、明徳義塾が勝利をモノにしたんだから、作戦として大成功だ。

むしろ星稜が5回も「ただ」でランナーを1塁に出してもらいながら、ことごとくそのチャンスをつぶしたことの方が、戦術上問題だったのでは?と思ったりする。
教育教育というならば、チャンスをものにする精神力や、どんなことにも手順や作戦があることを身を持って体験できる、何よりの機会じゃん!

小よく大を制すの言葉もあるけれど、選手層の薄い弱小チームが、強豪チームに勝つために、体の小さい人が大きい人を倒すために、知力・体力を尽くして戦術を駆使することは、賞賛こそすれ、何で批判されるのか全く理解できない。
応援する側からしても、それこそがスポーツの最高の醍醐味なのにね~。

正々堂々、という言葉を履き違えているのでは?と勘繰りたくなる。
正々堂々という言葉を免罪符にして、「作戦」や「戦略」を否定されちゃ叶わない。

それを否定されてしまったら、スポーツは単なる「力比べ」「技量比べ」の場になってしまい、本質から完全に外れてしまう。
彼らにとってスポーツは、単なる「くらべっこ」なんだろうか。

極論すれば、「盗塁なんて汚い!スキを見て走るなんてせこい!」とか。
「変化球なんてずるい。堂々と直球勝負せい!」とか。
「バントなんてみみっちい!堂々とバットを振ってこそ男だ!」とか(笑)。
そんな話にもなりかねない。

パワーとパワーのぶつかり合い、といえば聞こえはいいけれど、そこには駆け引きとかゲーム性を全く感じない。
これが彼らの言う、「正々堂々」ってことなんだろうか?

「力任せ」や「ド根性」だけがスポーツじゃない。
むしろムキになって、根性論や力に頼る方がよほどナンセンスだ。

どのスポーツにも程度の差こそあれ、「戦術」「戦略」は必ず存在する。
そしてそれこそが最大の醍醐味なのに、それを否定する考え方には、到底迎合できないコスモタイガーなのだ。

コメント (4)
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コスモタイガーのつぶやき(7)~社会科

2017-06-02 | つぶやき/更新中

小中高といずれもコスモタイガーの最大の得意科目は「社会科」。
特に地理、次が歴史。

小学校の5年だったか6年だったか、クラスで成績1番の秀才M君も、社会科のテストだけは、コスモタイガーに手も足も出せなかった(笑)。
そりゃそうだよね、小さいころから時刻表ばっかり見てたから(爆)。

さらに遡って小学校3年か4年の授業参観。
社会の授業で、黒板に大きな日本地図が掲げられ、「都市の名前を言うから、正確な位置を示しなさい。自信のある人!」なんて言うから「かーんたん!」なんて言いながら自信満々で挙手。

最初の2問は政令指定都市で、問題なく正解した気がするが、生意気なガキとでも思われたんだろう、先生もいたずらで少しマイナーな?都市を言い始めた。

「明石!」
なんだ、新幹線に西明石駅があるじゃん、はい、ここ!

「高崎!」
なんだ、群馬県の大きな街じゃん、高崎線もあるし、はい、ここ!

ということで全問正解。
不思議と今も覚えてる光景だ。

勉強してると、教科書が基本!なんて良く云われたけど、もちろんそれも正解だとは思うけど、コスモタイガーの場合、社会科に限っては「時刻表」が教科書みたいなもの。(笑)
鉄道路線網を中心に地名がびっしりと書き込まれ、日本の地図が自然と頭に叩き込まれる。
時刻表オタク・鉄道ファンが全国にどれだけいるか知らないけれど、「鉄道だけ異常に詳しく、地理はさっぱり」というケースはほとんどないだろうと思う。

青森県の産業は~、なんて授業聞いてても、青森県の場所すらわかってなければ聞いてても面白くないだろうし。

「太平洋ベルト地帯」と聞けば、東京名古屋大阪に繋がる工業地帯。
新幹線があるから移動に便利だよね、と子供ながらにすぐに鉄道と結びつけて考えることができた。
いわゆる丸暗記じゃなく、「なぜ?」と疑問に思いつつ、好きな鉄道といろいろ関連付けて覚えていくから面白いよね。

歴史も同じ。
年号と事実だけをひたすら丸暗記すれば、受験対策や偏差値稼ぎとしてはOKなんだろうけれど、それじゃ面白くも何ともない。
ちょっと乱暴な言い方をすれば、ただ「記憶力」の訓練をしているだけだ。

関ヶ原の合戦とか長篠の合戦なんて名前はわかってても、それが日本のどこで起きたのか?なぜその場所なのか?なぜ戦いが起きたのか?が理解できてないと、歴史の楽しさなんて全く感じないだろう。
歴史こそ、「点」じゃなく、「線」で理解する学問だもんね。
(関ヶ原の合戦については、さわりだけ、旧中山道編6、7参照してね♪)

源平の合戦で活躍した、木曽義仲や源義経と、平家軍との戦い。
倶利伽羅峠とか、屋島とか壇ノ浦といった地名が絶対に出てくるけど、それぞれの場所、ちゃんと時刻表巻頭地図に載ってるからね、頭の中にスッと出てくるし。

羽柴(豊臣)秀吉の備中高松城の水攻めからの中国大返し。
ここから明智光秀と戦う山崎の合戦までの距離感とかが咄嗟に判るから、自然と歴史も得意になる。

地理も歴史も共通にして最大に重要なのは、「位置関係」を把握すること、かな。
時刻表オタクや鉄チャンは、この位置関係を把握する能力が抜群に長けてるからね、だから両方得意な方が多いと思う。

コスモタイガーの感覚では、地理と歴史は相乗効果とでも云えばいいのか?
一緒に連動してるイメージだから、この2つを分けるなんて、とてもナンセンスな気がする。

「漂走記」の中でも書いたと思うけれど、鉄道と旧街道の関係もそうだ。
あえて分類するならば、鉄道は「地理」に属し、旧街道は「歴史」に属すると思うけれど。

人が集まれば集落となり、集落と集落を行き来したり物資を運んだりするために道ができる。
主要な道は街道となり、さらに人が集まり、宿場もできる。

時代とともに、今度は物資をより早く運ぶため、より多くの人を運ぶために鉄道ができる。
街道沿いに鉄道が発展するのは必然であり、鉄道の敷設とともに産業がますます発展する。

その町の歴史の積み重ねがあって現在(地理)があるわけで、地理と歴史を別々に学ぶということ自体、疑問に思ったりしたものだ。

例えば地理のテストで、「長野県の特産を1つ上げろ」、と出題されたら、「りんご」と回答すれば○。
丸暗記の試験ならこれで終了。

でも、なぜりんご?と思い始めると面白い。
遡って調べてみると、ここ信濃の国はかつて養蚕が盛んだったことがわかる。
でも第2次大戦後の高度経済成長により、日本の産業構造は大きく変わり、繊維工業が衰え、重化学工業中心に。
だから養蚕では飯が食えなくなって、多くの農家がりんごに転換したんだね。

じゃ、そもそも養蚕はなぜ始まったの?
これも調べる。

もちろんいろんな理由があるんだろうけど、一言で無理矢理おさめれば、初代松代藩主、真田信之公が、養蚕を奨励したってことかな。

浅間山の麓。
火山灰が多い痩せた土地で、稲作には不向きだったんだよね。
それを知って養蚕を奨励したってわけね。

真田信之。
昨年の大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田幸村のお兄さん。
大泉洋さんが好演してた、あの信之ね。

「真田丸」は夏の陣で幸村が華々しく散るところで終わっちゃうけれど(主人公が幸村だから当たり前だけど…)、その大坂夏の陣終了後、兄信之は徳川家康の論功行賞により、上田10万石から松代13万石に加増。

もっとも「加増」とは名目で、肥沃な上田から、火山灰だらけ?の松代(現長野市松代地区)への転封は、実質的には大減収だったとも言われている。

豊臣方についた弟の幸村の活躍が強烈に怖かったってことだね。
家康からすれば、この際、胡散臭い?真田にはなるべく遠くに行って欲しかったってのが本音なんでしょう。
(確かに江戸からだと、上田より松代の方が遠く、主要路線・主要街道からも外れてるってことも、普段から時刻表見てればすぐわかります、はい。)

信之もそんな仕打ちにめげず、松代の土地に合う養蚕を奨励し、徐々に松代藩を立て直していったんだね。
信之が亡くなった際には、かなりの備蓄があり、のちの真田家を随分と助けることとなった。

そんな真田家は、江戸中期に「真田騒動」という内紛も経験、恩田木工民親という名家老を輩出しつつ、その後も幕末の混乱期を無事すり抜け、現在も連綿と続いている。

って長くなっちゃったけど、地理で「長野=りんご」というだけで、「なぜ?」「なぜ?」を繰り返していけば、ここまで歴史は広がるのだ。
別の言い方をすれば、どこまでが地理でどこまでが歴史なのかも曖昧な感覚。

にも関わらず、高校になってから、いつしか「地理」と「歴史」は別物として扱われ、どちらかを選択しろ!と。
コスモタイガーの中では「そんな殺生な…。繋がってるのに…」という感じ。

まぁそれでも、「地理」の方がやや得意だったし、主戦場(時刻表♪)に近いと云う妙な意地があって、「地理」を選択したものの、片肺飛行を強いられた気分はずーっと続いた。

受験戦争から随分と月日がたち、大人になってから、学校によっては、或いは年代によっては「地理歴史」と1つの科目として扱われていたという話も聞いたけれど、羨ましい限り。

お世辞にも優等生ではなかった上、理数系が大の苦手だったコスモタイガーにとって、地理歴史はそれをカバーする圧倒的な得点源だっただけに、両方で勝負できたら、もう少しマシな結果になったかもしれないなぁ。

もっとも自分も年を取って丸くなった?のか、別の角度で考えてみたりすると、理系人間からすると、「物理と化学を分けるのはおかしい!」なんて突っ込みも入りそうだし。

それより何より、大人になって「知りたい!」と思ったことは凄く身についているけれど、受験のために学んだ知識なんて、この年齢になると全くと言っていいほど役に立ってない。
それこそ勉強が全てじゃない。
今となってはどうでもいい話なんだけどね。



コメント (3)
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