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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(3)

2013-07-23 | 旧中山道run!!


なんだかんだと忙しく、間隔が開いてしまった。
すでに晩秋ともいえる11月上旬。
穏やかな青空を見て、久々に中山道を走ろう!と思い立ち、自宅を出た。

大高駅に車を置き、いつもの東海道本線乗継で、草津駅下車。
さすがに草津市の玄関口、駅前にはショッピングセンターや銀行・飲食店が立ち並び、それなりに栄えている。

草津市は、滋賀県では県都大津市に次ぐ人口(約13万人)を誇る。
2街道が分岐(合流)するかつての交通の要衝は、現在も、JR東海道本線と草津線の交わる主要駅で、新快速も停車する。

今年(2008年!)になって開通した「新名神高速道路」も、草津市内で名神高速と合流しており、まさに現代も交通の要として重要な位置を占めているということだ。

軽く腹ごしらえののち、前回同様、意地でも中山道を避け、ビジネスホテルの並ぶ裏道を歩き、「草津追分」に出た。

追分の碑をもう一度撮影し、深呼吸。


過去2回は、旧東海道を逆走しただけだったけど、いよいよ今日からは、中山道オリジナル?のコース!
2度目のスタート、未知の世界に足を踏み込む、みたいな感覚で、ワクワク感が充満してるよ~。

何やらここまでに少し楽しみすぎちゃって、すでに時計は12時半を過ぎちゃってるよ。
ゆっくりスタートする。

まずは追分の碑を直進、天井川の草津川をトンネルでくぐる。
トンネルを出てもしばらくは、アーケードのある商店街は続く。
右手奥に覚善寺。

ここにも「右東海道、左中山道」の碑が!
実はこれ、明治になってからの追分で、東海道が明治になってからこのお寺の前を通ってここで合流することになったらしい。

さらに道なりに進む。
アーケードは程なく途切れ、ショッピングセンターの横を通り、草津駅前も素通りね。

駅前からだと400mぐらいかな?
道なりに走ると、右手にこじんまりとした神社がある。
「伊砂砂(いささ)神社」。


地味ながら、実はとても由緒ある神社らしい。
室町時代の創建で、目の前の本殿は重要文化財だ。

さらに300mほど進むと、この道は右に(不自然に)急激にカーブしており、目の前は東海道本線が遮っている。

もう、東海道での経験値があるからわかるけどね。
中山道はかつて、ここを直進していたわけだね。

ということで迂回するしかない。
途中まで戻って、広い幹線道路で東海道本線を渡る。
すぐに右折し、線路沿いに走る。
一応、この道、滋賀県道2号線になっている。

最初の信号(葉山川橋)が見えてくるけど、その手前で、ゆるやかに道が左にククッと曲がってる地点から、中山道が復活してるわけだね。

右側に東海道本線。
草津線がここで東海道本線から離れて行くんだね。

微妙に東海道本線とも距離を置き、静かな雰囲気の旧道がしばらく続くから、走ってても楽しい区間だ。

公園が右手にある。
「大宝公園」というらしい。
その一角にあるのが「大宝神社」

ここも古い神社らしく、狛犬が重要文化財に指定されているらしい。
公園の傍らには芭蕉の句碑とかもあるらしいけど、残念ながら、俳諧系はあんまり興味ないんだよね、俺。

街道runに戻ろう。
すぐに守山市に入った。

「十王寺(焰魔堂)」。(えんまどう)が左にある。
怖そうな名前だね。
ちなみにこの辺りの町名も「焰魔堂町」。

ちょっと走ったところにあるのが「今宿一里塚」。
片側だけながら、滋賀県内で唯一現存する一里塚、ということらしい。(冒頭写真)

「今宿町」の信号を直進した辺りから、徐々に宿場町の匂いが漂う。
守山宿やね。

左手に立派なお寺が現れる。
「東門院守山寺」。

ここは最澄が建立したとされる古寺らしいけど、寄り道ばかりで効率悪いから、素通りね。
主役はあくまでも中山道。

すぐの分岐路に石製の道標が建っている。
「右 中山道美濃路 左 錦織寺四十五町」

またここはかつての高札場跡も兼ねているらしい。
守山宿の中心に入ってきたらしい。
そしてここは道標の通り、右の道へ。

守山宿の特徴は、「稲妻型屋敷割」と称し、1軒1軒、家が道に対して少し斜めに建ち、互い違いのようになっているところ。
今も所々にその屋敷割が残っている。

高札場から200mほどで、某小児科医院の前に、またも道標が残る。
「すぐいしべ道 高野郷新善光寺道」。

「いしべ」ってのは、東海道の石部宿のことかな?
ここで南に分岐する道が、その「石部道」になるらしい。

それにしても「すぐ」とはねぇ。
地図で見ると3kmぐらいありそうだけど…。
そりゃまぁ、ランナー的には、レースペースで走れば10分程度だけどね。
まさか走ることを前提に道標作ったとは思えないし。
きっと昔の人の感覚では「すぐ」だったんやろね。

道なりにどんど走り、守山宿もいつの間にか脱したようだ。
「吉身3」の交差点も直進。
野洲川橋を渡る。

さらに道なりに走り、東海道本線の下を再びくぐる。
ちょっと変則の4叉路があって、蓮照寺があるのが目印かな。
ここも由緒あるお寺っぽいけど、パス!

そのまま道なりに進むのが中山道。
ちょっと進むと「背比べ地蔵」。

昔の親たちは、小さい方のお地蔵さんとわが子を比べて、並んだら1人前になったと感じたらしい。

野洲小学校の前の大きな道を、斜めに横切るのが中山道やね。
さらに県道150号を横切り、東海道新幹線の下を通り、道は続く。

実はこの県道150号を800~900mほど北上すると、東海道本線「野洲」駅なんだけど。
まだ10kmぐらいしか走ってないしねぇ。
ゴールにするには早すぎる。

かといってこのまま続けるとしばらく交通機関空白地帯になる。
オリジナル中山道、さっそくこんな街中でも、東海道との違いを感じさせられる。
いきなり「概ね20km前後」のルールは守れそうにない。

リサーチしてあるコスモタイガー、迷うことなく、このまま旧街道ランを続ける。
左に「暁酒造」の藁葺屋根の見事な建物が。

右に広い公園が見えてきた。
「小篠原公園」。
その向こうに見える印象的な小高い山を「妙光寺山」というらしい。

しばらく走り続けると、2つに分岐する地点。
間違えそうだけど、ここは左を選択。

右に桜生公民館があり、案内板によるとここを右折すると、銅鐸出土跡があるようだ。
行ってみよう。

国道の下を潜り、民家の脇みたいなところを抜けると、左に日吉神社がある。
小さいながら、静かで癒される感じだ。

さらに進むと「野洲市弥生の森公園」。
ここがその銅鐸出土跡らしい。
民俗資料館も併設されているようだけど、さすがにそれはパスし、出土跡だけを写真におさめ、再びきた道を戻り、中山道に復帰。

すぐに東海道新幹線が左に近づいてきて、「甲山古墳」。
隣接して奥まったところが「丸山古墳」。
江戸より遥か昔から、この辺りには人々の生活や歴史があったってことだね。

この銅鐸や古墳群を皮切りにして、中山道はこの辺りから、江戸以前の別の顔も見せてくれる。
東海道と鎌倉街道の関係に似ているけれど、中山道はそもそも「東山道」という江戸より遥か昔からの古道をベースにしている。

東山道は、古代日本の律令制度、「五畿七道」の1つ。
「五畿七道」とは、日本全国(北海道を除く)を5つの行政区分に分け、さらにそこに主要道として7つの道を定めた律令制度の1つ。
その成立には諸説あるらしいけれど、7世紀後半にはすでにある程度の原型があったらしい。

ちなみに7つの道とは、東海道(古代東海道)・東山道・山陽道・山陰道・北陸道・西海道・南海道。

そんな古い話、何を今さら!、と思うなかれ、我々現代人の生活習慣にもこの制度は、今も所々に根付いている。

天気予報や交通情報で耳にする表現。
広島・岡山を中心とした瀬戸内海地区を「山陽地方」。
島根とか鳥取周辺を「山陰地方」。
金沢や富山辺りは「北陸地方」。
都に近い関西地区を「近畿地方」。(畿=都、の意)
これらは皆、五畿七道に由来する呼称なのだ。

また、江戸末期から明治にかけて開発した蝦夷地を「北海道」と名付けたのも、この考えを踏襲したものだ。

中山道は、そのうちの1つ、東山道をモデルにして、江戸幕府が整備した街道なのだ。
だから中山道を走れば(歩けば)、東山道とも微妙にリンクしながら進むことになるわけだ。
特にこの近江路は、中山道と東山道がかなりの部分で重複(あるいは近接)しているため、どうしても「東山道」を意識することになる。

道なりに進むと、小さな川を渡る。
すぐに小さな分岐路。
ここは左ね。

でもすぐに国道8号に吸収される。
いつの間にか国道8と並走関係になったんだね。

しばらくはこの国道8号と、東海道本線が、旅のお供になるからね。
良い目安にはなる。

しばらくは国8を走る。
右側に大きな池が現われた。
「西池」というらしい。

その池を過ぎたあたりで、左に分岐するのが旧道やね。
もう東海道で感覚はつかんでるから、こういうところで迷うことはないんだよね。

でもそれもあっという間の話で、600mほどで「浄勝寺前」の交差点で再び国8に吸収されるけど。

またまた右手に池。
東池というらしい。

「大篠原北」の信号を超えるとまた池がある。
蛙不鳴(かわずなかず)池というらしいけど。
その反対側に、久々のチェックポイント。
「平家終焉の地」。


源平の最後の合戦「壇ノ浦の合戦」で敗北をした平家。
源義経に捕われの身となった、棟梁の平宗盛とその子宗清。
義経は2人の助命を嘆願したものの、兄頼朝はそれを許さず、ここで処刑されたとか。
そして平家はこれにて完全に途絶えたってことだね。

またすぐに右に分岐するのが旧道ね。
途中、野洲市から竜王町に行政区分が変わり、すぐにまた国8に合流。
この辺り、国8と付いたり離れたりと忙しい。

で、その合流地点、道路の左側にあるのが、「元服池」。


誰の元服かといえば、さっき出てきたばかりの、源義経。
さっきの平家終焉の話から、さらに遡り、まだ平家が全盛、義経が若年の頃の話やね。

この辺りの字名は「鏡」。
かつての東山道鏡宿といわれている。
一説には、その鏡宿の、この場所で義経は元服したといわれている。

でもね、コスモタイガーとしては、この説、懐疑的なんだけど。

もう1つの有力説が、「尾張国内海」(現南知多町内海地区)で元服したというもの。
地元びいきもあるかもしれないけれど、コスモタイガーはこっちの方に分があるような気がする。

そもそも源氏は尾張国と結び付きが強い。
父君である、源義朝。
その奥さんが由良御前で、熱田神宮の宮司、千秋家の出身。
由良御前が実家で生んだのが、義経の兄、頼朝公。
だから源頼朝は、現在の名古屋市熱田区出身というわけだ。(旧美濃路編1参照)

その義朝公、平治の乱に敗れ、やっとの思いで逃げ延びたのが、尾張国野間(現美浜町野間地区)。
尾張国内なら、千秋家の勢力が及ぶ、という考えもあったかもしれないね。

残念ながら、家臣の裏切りに遭い、ここで最期を遂げた。
現在も「野間大坊」はじめ、義朝公ゆかりの史跡は野間地区に点在している。
愛知県人なら感覚でわかるけど、「野間」と「内海」はまさに目と鼻の先だ。

ここ鏡集落も、当時の幹線道路?東山道の宿場だったには違いないけれど、義経にとってはそれほどゆかりのある土地とは思えない。
こうして現地を訪れてみると、ますますその思いに駆られる。

庶子として、不遇の幼少期を送ったとはいえ、腐っても鯛、仮にも源氏の端くれとして、元服という、当時の武家の男子にとっての一大イベント、やっぱりそれなりの場所でやったと考えるべきだし、それなら父君が討たれた因縁の場所で、父の菩提を弔いつつ、源氏再興の願いを込めて、と考えた方が何となくスッキリするんだけど。
(ちなみに2005年に放映されたタッキー主演の大河ドラマ「義経」では、この内海説が採用されてたね♪)

いずれにせよ、ここがかつての東山道であり、江戸になって中山道として整備され、現在は国道8号として利用されていることは事実やね。
義経がここを何度も行き来したことも多分間違いないんだろうと。

道の反対側には「道の駅竜王かがみの里」なる施設がデン!と構えている。
そろそろ疲れてきたけれど、車じゃないから、ここでゴールにしてもアシがないからさ。
次回のスタートにも困るしね。

左手の階段を上ると「鏡神社」。
その境内に「烏帽子掛松」。
義経が元服の際、この松に烏帽子を掛けたって話だけど。

残念ながら明治の頃に台風で折れてしまい、幹しか残っててないんだけど。
それ以前にさっきの理由で、ちょっと疑わしい気がしてるからね、素通りする。

ちょっと進むと、今度は鏡宿本陣跡・脇本陣跡と続く。
その隣には義経宿泊館跡。
まぁ、普通に宿泊したところまでは認めちゃっても良いんだけど。

「鏡口」の信号で、右に分岐するのが東山道、じゃなかった、中山道。
でもまたすぐに合流し、今度は「西横関」の信号で左に分岐。
途中にある若宮神社は、1500年以上の歴史があるらしい。

かつては、この若宮神社あたりからそのまままっすぐ進み、目の前の「日野川」を渡ってたんだろうけど、現在は土手にぶつかってしまう。

仕方ないから、道なりに右にカーブし、いったん国8に出て「横関橋」を渡るしかないのさ。
橋の上で、近江八幡市になった。

すぐに左折し、堤防沿いに走り、降りたところから中山道が復活する。
この辺りは、東横関というらしく、静かで旧道らしい雰囲気だ。

そのまま進むと、左に八幡社があり、国8に再び合流する。

しばらくは国道runやね。
1km弱かな?
信号があって、その向こう側、左に大きなパチンコ店が見え、国道は緩やかに左にカーブしている。
その手前で敢えて直進する狭い道があって、それが中山道らしい。

途中、「住蓮坊首洗い池」なる史跡があった。
名前の通り、後鳥羽上皇により、住蓮坊なるお坊さんが処刑され、ここでその首を洗ったらしい。
これもまた、「東山道」の史跡やね。

でもこの道、400mほどで行き止まり。
左折して国8に出ると「六枚橋」の交差点だ。

右折して、国8をそのまま進む。
途中、いろいろ立ち寄りすぎて、随分時間が経ったね~。
日が傾いてきた。

「西宿町」の交差点。
右に2本、分岐する道があって、間違えやすいけど。

真ん中の一番狭い道が正解らしい。
武佐宿は近い。
左に小さな公民館(西宿公民館)があって、その前の広場で地元の子供たちが遊んでいる。

線路が見えた!
踏切を渡ると、そこに駅がある。
ようやくに「交通機関空白地帯」を無事駆け抜けることができたらしい。

近江鉄道(八日市線)武佐駅。


時計はちょうど17時。
秋の日は短く、すでに日は傾き、完全に夕暮れの状況だ。
本日、ここをゴールとする。

寄り道も多かったし、実走距離、27~28kmぐらいかな?
中山道オリジナルに入って、初っ端。
随分と走ったね~。

そして近江鉄道。
なんだか懐かしいね。
東海道で鈴鹿峠や水口宿を走って以来だ。(旧東海道編19・21参照)

あの時点では、中山道走るなんて想像もしてなかったからね~。
こうして再び近江鉄道にめぐり合うのは、不思議な気分だ。

しかも武佐駅は八日市線という支線だからさ、初乗りということになり、それも楽しい。
欲を言えば、このまま八日市に出て、そこから本線を米原まで…と行きたいところだけど、ちょっと大回りだし、時間的にちょっと厳しいかな。
途中から真っ暗になっちゃうだろうし。
それにちょっと疲れた。

近江八幡行に乗り、終点近江八幡はわずか1駅。
夕暮れ時ののどかな近江路を、なんだか懐かしい雰囲気で走る。

近江八幡駅。
文字通り、近江八幡市の玄関口。
近江八幡といえば、豊臣秀次(秀吉の甥)が築いた城下町で、興味は大いにあるけれど、この時間じゃ、どうしようもないね。

往路同様、東海道本線を乗継、大高駅に戻るコスモタイガー。
何だか今日は「中山道編」というより、「東山道編」といった感じだ。
まぁ、近江路はだいたいこんな感じなのかな。
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身近な気になる古道たち⑦

2013-07-12 | 身近な旧街道run!!

★刈谷市半城土(はじょうど)地区

またまたある日のコスモタイガー。
今日も前後駅に車を置き、LSDを敢行。

途中、刈谷市内の古道までは「身近な古道たち③」と同じなんだけど。
金勝寺、医王寺の常夜灯を見たら左折して、東海道本線に沿って走る。

といいつつ、たまたまコスモタイガーはそうしただけで、この辺は別に旧道でも何でもないから適当で良いけどね。
とにかく刈谷駅前を目指す。

駅の手前で、東海道本線をくぐる道があり、線路の反対側に出る。
大きな「アピタ」を左に見て走る感じ。
刈谷駅南口に出る。

駅前のメインストリート(県道48号)をそのまま走る。
方角的には南東に向かってることになる。

左手に「市営神田駐車場」が見えたら正解。
ちょっと進むと、右手に「刈谷市交通児童遊園」

親子連れには大人気の、行楽スポットだ。
様々なアトラクションに、格安で乗れるらしい。

名古屋市南東部に住む人間としては、激混みの名古屋市内をウロつくよりも、刈谷市内の方が落ち着いて楽しめる感がある。
自宅から車なら、30分圏内だもんね。

さらにそのまま進み、三ツ又橋渡り、刈谷北高校の横を通ると、「半城土町」の交差点に出た。

さぁ、ここからが素敵な一角なんだ!

県道はこのまま左折するから、車も大半は左折する。
そこを直進する、狭い道。
ここを進むのさ。

突然別世界のような雰囲気に。
刈谷市もこの辺り、「歴史の小径」として整備している。

入ってすぐ、さらに狭い小道を右折すると「勝宝寺」。
かつての「半城土城」の跡らしい。
野田太郎左衛門なる人物の居城だったらしい。

旧道オーラ満載の道だけど、ちょっと左に寄り道。
「願行寺」。
創建は1600年ごろ、つまり関ヶ原合戦の前後というから、古いね~。

元の旧道に戻って先に進むと、「昌福寺」。
かつて、百姓一揆の拠点になったらしい。

少し先の道を右折すると「野田八幡宮」
武士の神様として古くから信仰を集めていたらしく、歴代刈谷藩主はみな、ここに足を運んだとか。

他にも案内板があって、この辺り、ウロウロと走るのは実に楽しそうだ。

旧道を進むと「松栄町2」の交差点があり、左手にピアゴ(ショッピングセンター)がある。
ここまで来るとまた普通の市街地に戻る。

「東刈谷町」の交差点を左折すると、東海道本線「東刈谷」の駅に出た。
普通しか止まらない小駅だけど、ここをゴールにしよう。

あとは名鉄「前後」駅に戻るだけ。
一番簡単なのは、東海道本線で金山まで出て、名鉄名古屋本線で戻ってくるパターンだけど、なにせかなりの大回りだから、鉄チャン的には、相当バカバカしい。

2駅乗って「刈谷」駅。
ここで名鉄三河線に乗換、知立に出る。
名鉄名古屋本線の急行に乗れば、最初の駅が「前後」だね。(一部、豊明駅にも停車)

こうして今日も楽しいワンウェイコースを楽しんだコスモタイガーなのであった。
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(2)

2013-07-04 | 旧中山道run!!


9月下旬、秋めいてきて、涼しくなり、走りやすくなってきた。
今日はどんより曇ってはいるものの、雨の心配もなさそうだ。

というわけで、ちょっとゆっくりめに家を出て、大高駅に車を置き、いつもの東海道本線乗継で、膳所(ぜぜ)駅に降り立ったコスモタイガー。

駅前のコンビニで軽くお腹を満たしてから、前回のゴール地点、義仲寺まで歩く。
これで4回目の義仲寺との再会だ。
そしてこれが最後の再会…のはず。

今日のコースも、基本、旧東海道編28を逆走するだけ。
若干ややこしいコースだけど、改めてリサーチはしたし、まぁ、心配はない。

リサーチしてて気づくのは、「なかせんどう」は「中山道」と「中仙道」の表記が混在していること。
いったいどっちが正しいの?って話だけど。

結論からいえばどっちも正解。
5街道に定められた当初は「中仙道」と表記されていたらしいけど、1716(享保元)年、幕府の通達により、「中山道」に一本化されたということらしい。
このブログでも、よりメジャーな「中山道」で統一しようと思う。

ちょっと朝のんびりしすぎちゃって、義仲寺前に着いたのは12時半過ぎ。
写真だけ撮影し、さっそく東に向かってスタートする。

見覚えのある「石坐神社」を過ぎて右回りにループを描く。
右折して響忍寺。

膳所の町並みはやっぱり良いねぇ~。
案内板も整備され、よそ者にもやさしいのが嬉しい。

和田神社の境内を通るんだったね。
覚えてるよ。

中山道は南下し、「中ノ庄」駅に向かうけど、せっかく2度目だからさ、前回寄れなかった膳所公園(膳所城跡)に寄り道したい。

膳所城跡。
藤堂高虎が築いた「湖上の城」として有名だ。
現在、天守閣は残念ながら残ってないけれど、一部の石垣や門が残り、国の重要文化財にも指定されているらしい。

この辺りの気軽な行楽スポットなんだね。
家族連れやカップルでまったりしている方が多く、汗だくのコスモタイガーだけが浮いている。

といいつつも、目の前に広がる琵琶湖の風景に、思わずここでのんびりしたくなるけれど。

でもトレーニングの一環!
歩を進めるとしよう。

再び中山道に戻り、南下。
中ノ庄駅前を左折し、東へ。

京阪電鉄、東海道編と前回と、2回も乗ってるからね。
とりあえずもういいわ。
中山道に集中ね。

突き当りを右折し、瓦ヶ浜駅前を通り過ぎる。
左折してすぐの若宮八幡社も風格あって、歴史を感じるね~。

ここからはくねくねしながらも道なりに1本道だったよな。
わずかながら、松並木も残る。

「晴嵐」なる妙な名前の交差点を過ぎ、道が少し広くなって、JR石山駅に向かう形で、セブンイレブンの少し先で分岐する道を右折、駅前の北側ロータリーに出た。

本来の中山道は、この道から先、石山駅構内を通ってたんだね。(旧東海道編28参照)
でもまぁ、一応この道も中山道跡だから、ロータリーに挨拶しておこう。

再びさっきの道に戻って、東海道本線を渡り、石山駅南側に出る。
旧街道らしさがあまりないけど、南下を続ける。

「鳥居川」の交差点を道なりに左折。
歩道がちょっとだけショートカットしてるけど、きっとこれが旧街道跡。

有名な「瀬田の唐橋」を渡る。
下を流れるのは、瀬田川というらしい。

渡ってからちょっと寄り道して、南へ。
雲住寺、竜宮社などが川沿いにある。

戻って先に進むと「神領」の交差点ね。
ここは道なりにカーブせず、50mほど先の小道を90度左折、だったね。
すぐにまた吸収されちゃうけどさ。

右手奥には「建部神社」。
前回は立ち寄ってお参りしたけどさ、今回はパス。
先を急ごう。

しばらく見どころないからつまらないけど、500mほど先を右折。
ここからは落ち着いた感じの雰囲気を残した街道ランになったはず。

「浄光寺」を左折、「正善寺」を超えたら右折。
案内板に注意しながら走る。

独特のうねりが戻ってきた。
楽しい気分で走っていると、信号(一里山一丁目)が出てきて、その正面右手に「一里塚跡」の石碑。
「月輪池一里塚跡」やね。

京都からだと、案内してある初めての一里塚ってことになるのかな?

その後も、うねりを残しつつ、中山道は続いている。
月輪寺、啓道寺と、街道らしく、お寺もあるから、目印になる。

しばらくはこれといった史跡もないんだよね。
でも道そのものは街道らしいうねりを残し、1本道で続いているからさ、迷うところじゃないけれど。

左手に「野路の玉川跡」。
かつての名勝地、今は跡かたもなし。

ちょっと進んで小さな児童公園の中にあるのが「野路一里塚跡」。
旧東海道編28は、ここをスタートにして義仲寺に向かったんだよね。
ここからJR南草津駅まで、徒歩5分少々だ。

でも今回は、先々を考え、もう少し進もう。
まぁ、2回目だからね。
前回に比べたら、迷ったり寄り道したりが少ないからね、ここまで順調に進んでるってのもあるわけさ。

とはいえ、まだ東海道との重複区間には違いないわけで、この先は「旧東海道編26」の逆走になるわけだね。

公園を横切り、ちょっと裏道を走ると「矢倉南」の信号やね。
目の前の大幹線は、天下の国道1号だけど、それを斜めに横切るのが旧中山道。

左手奥に「立木神社」。
この辺りでは有名な神社らしいけど、
前回、パスしちゃったからね、今回、立ち寄ってお参りだけしておこう。

さらに旧街道を進むと、念願の草津宿の町並みに入ってきた。
右手に大田酒造。
ご先祖が大田道灌ということで有名らしい。

さぁ、見えてきた!
草津宿本陣。
現存する本陣で、現在は資料館になっている。

さらにその先、目と鼻の先に、追分の石碑がある。(冒頭写真)

やってきた!
草津追分。
まずは第1関門クリアー、みたいな感じやね。

そしてキリが良いからね。
本日、ここをゴールとする。
実走距離、14~15kmぐらいかな?
2回目というのもあり、ピンポイントに寄り道した以外は、ロスもなかったし。

そしてここは、かつての2大幹線、東海道と中山道の分岐点。
追分に「格式」があるとするならば、まさに№1の地位に違いない。

そのまままっすぐ、トンネル(正確には草津川の下)をくぐるのが中山道。
右に曲がっていくのが東海道。
言うまでもなく、前回は右手の東海道を走ってきたんだね。

さて、ゴールした以上、ちょっとゆっくりしていくか。
ってことで、前回素通りしてしまった草津宿本陣及び草津宿交流館を見学していくことにした。(共通券あり)

さすが2街道の接点の宿場の本陣。
その威容は中山道(東海道)随一だったらしく、4726平方mという広大な敷地を持っていたらしい。
現在も、奥の建物には子孫である田中家が居住しているため、公開されているのは本陣の建物だけなんだけどね。
それでも充分に見ごたえのある内容だった。

旧街道を走ってきた方向に少し戻ると、交流館がある。
まぁ、こっちは近代的な感じで、情報収集の場所という感じ。

サラッと見て終了。
こっちを先に見学した方が良かったかも?

さて、帰路に着きますか!
ここからJR東海道本線草津駅までは、徒歩10分もかからないと思うけど。

このままトンネルをくぐり、中山道を歩いていくのが、もっともシンプルなルートなんだけどさ。
それじゃ、次回のコースと重なっちゃうよ。

へそ曲がりなコスモタイガー、トンネルの手前の小さな階段を駆け上り、堤防にあがり、そのまま100mほど進み、これまた狭い橋があるからね、そこを渡る。
川の反対に出るけど、下を見ると川にはほとんど水はないね~。

駆け下りてそのままビジネスホテルの立ち並ぶ中を進み、とにかく中山道を意地でも?避けるようにして、草津駅前のロータリーに出るコスモタイガーなのだ。

草津駅。
新快速も停車する、東海道本線の主要駅。
電車の本数も多く、非常に利便性の高い駅だね。

草津線も分岐してて、こっちの方が面白さはあるけどさ、東海道編ですでに利用してるしね~。
見学してたら結構時間使っちゃったしね。
ってことで、鉄チャン要素なしで、東海道本線を乗継、帰路に着くコスモタイガーであった。
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