ちょっとびっくりしている。
自分の本音というか、あんまり自覚がなかった気持ちが
スルスルと零れ落ちるように出てきていて。
私はどうやら、旦那に物凄く依存してきたよう。
依存しているからこそ、旦那のご機嫌を無意識にとり、
旦那に合わせて生活してきた。
そうして一見いい奥さんでいるつもりになっていた。
でももう本当は合わせたくない。
もう自分の好きなように好きな事をやりたい。
実際、平日の昼間は丸々一週間自分の好きなように過ごしている。
この時間が本当にたまらない。
それが旦那の前に出ると、自分がなくなってしまう。
自分が何をしたいのかがまったくわからなくなってしまう。
旦那にとってどうすることがいいことだろうという頭に
すぐに切り替わってしまうみたいだ。
旦那の休みの日。
旦那と一緒にどこかへ出かけるのはまだいい。
でも旦那と一緒に家でテレビを観る時間が好きじゃない。
大して面白くないテレビを一緒に見始めて、
それに拘束されるような気持ちになるのがとても嫌。
頭では
「貴重な旦那の休みなのだから、旦那の好きな番組を観るべきだ」
とは思っていても
平日、自分の好きなようにやってる私にはやっぱり
その時間がとてもキツいものになってきた。
自分の好きなようにネットを見たり、
自分の好きな番組だけを見ていたい、と思ってしまう。
なんかもう旦那に合わせるのが辛い。
っていうか、他の人にもそう。
もう自分の好きなように気ままに生きていきたい。
このブログでも良く書いていることですが
私、犬の散歩で近所の人に会うことも嫌な時があるんですね。
感じの悪いあるお宅のご主人と子供の件はまた別の話ですが、
それ以外にも
「誰にも会いたくない」と思う時があるんです。
旦那に気を使いすぎて
もうそれ以上に誰か人にいい顔をするのが辛いというのか・・
でもこれは、
ウチの旦那が特別気を使わなくてはいけない人であるとか、
そうしないと旦那が怒るからとか機嫌が悪くなるからとか
そういう原因ではないんです。
むしろ旦那に非はない。
私が勝手に自分の気持ちとは裏腹に
旦那や他人に「いい顔をしなくてはいけない」
「じゃないと自分は生きていけない」ように思っていることが
問題なんです。
極端な話をすると、
「みんなのご機嫌を取って、みんなに頼って生きていこう」と
思ってる・・・いや、少なくとも思ってきました。
それが問題だった。
誰か保護してくれる人がいないと何とも心許ないんです。
昔からそうでした。
母がいないと何もできなかった。
母に心理的に依存してました。
それが大きくなって依存の対象は、友達や彼氏、旦那へと移っていき・・・
現在に至るわけです。
1人だと「何かあった時にどうしたらいいかわからない」と思ってるんですね。
今でもそうです。
「年をとって旦那もいなくなって一人になって、
何かがあった時に自分が困るから、だから近所の人や地域の人には
いい顔しておかなきゃ」って思ってました。
でも実際は、いい顔してきたからってその人たちが自分を助けてくれるかは
わからない。
いや、助けてくれるかわからないからいい顔する必要はないってことじゃなくて、
元々何かしてもらう前提でつきあおうとするから
何もしてくれない時に、
相手に不満が出るんだと思う。
そして結局は誰も好きじゃなくなる。
そして終いにはそんな自分も好きじゃなくなる。
私のような人を心理学的には「神経症」というのだそうです。
原因は、
親にそのままの自分を愛してもらえなかったということと、
そんな親への心理的依存が強いということ。
親に愛してもらいたくて、
親に見捨てられたくなくて
親にとっていい子でいたくて
自分を偽って生きてきたことが原因。
そうしているうちに
本当の自分が自分でもわからなくなってしまったことが原因。
何が好きで何が嫌いで
自分がどうしていきたいのかが自分でわからない。
自分は何が楽しいのかも。
そんなことの前にまず、親に愛されたいという気持ちを埋めることの方が
大切だったからだ。
神経症の人は「フリ」をしてはいけないらしい。
楽しくないのに楽しいフリ。
不幸なのに不幸じゃないフリ。
そういう「フリ」をすることがまた、
どんどん自分を窮地に追い込むらしいです。
私、してました、「フリ」。
当然のように。
「だってそれって当たり前のことじゃない?」ってくらいに
普通にしてました。
旦那が帰ってくると、
はたまた近所の人と顔を合わせると、
確かにしてました、「フリ」。
人と会うのが嫌だったのは、
そういう「フリ」をすることが辛かったからなのかな。
まず私は「フリ」をやめる。
自分の本音というか、あんまり自覚がなかった気持ちが
スルスルと零れ落ちるように出てきていて。
私はどうやら、旦那に物凄く依存してきたよう。
依存しているからこそ、旦那のご機嫌を無意識にとり、
旦那に合わせて生活してきた。
そうして一見いい奥さんでいるつもりになっていた。
でももう本当は合わせたくない。
もう自分の好きなように好きな事をやりたい。
実際、平日の昼間は丸々一週間自分の好きなように過ごしている。
この時間が本当にたまらない。
それが旦那の前に出ると、自分がなくなってしまう。
自分が何をしたいのかがまったくわからなくなってしまう。
旦那にとってどうすることがいいことだろうという頭に
すぐに切り替わってしまうみたいだ。
旦那の休みの日。
旦那と一緒にどこかへ出かけるのはまだいい。
でも旦那と一緒に家でテレビを観る時間が好きじゃない。
大して面白くないテレビを一緒に見始めて、
それに拘束されるような気持ちになるのがとても嫌。
頭では
「貴重な旦那の休みなのだから、旦那の好きな番組を観るべきだ」
とは思っていても
平日、自分の好きなようにやってる私にはやっぱり
その時間がとてもキツいものになってきた。
自分の好きなようにネットを見たり、
自分の好きな番組だけを見ていたい、と思ってしまう。
なんかもう旦那に合わせるのが辛い。
っていうか、他の人にもそう。
もう自分の好きなように気ままに生きていきたい。
このブログでも良く書いていることですが
私、犬の散歩で近所の人に会うことも嫌な時があるんですね。
感じの悪いあるお宅のご主人と子供の件はまた別の話ですが、
それ以外にも
「誰にも会いたくない」と思う時があるんです。
旦那に気を使いすぎて
もうそれ以上に誰か人にいい顔をするのが辛いというのか・・
でもこれは、
ウチの旦那が特別気を使わなくてはいけない人であるとか、
そうしないと旦那が怒るからとか機嫌が悪くなるからとか
そういう原因ではないんです。
むしろ旦那に非はない。
私が勝手に自分の気持ちとは裏腹に
旦那や他人に「いい顔をしなくてはいけない」
「じゃないと自分は生きていけない」ように思っていることが
問題なんです。
極端な話をすると、
「みんなのご機嫌を取って、みんなに頼って生きていこう」と
思ってる・・・いや、少なくとも思ってきました。
それが問題だった。
誰か保護してくれる人がいないと何とも心許ないんです。
昔からそうでした。
母がいないと何もできなかった。
母に心理的に依存してました。
それが大きくなって依存の対象は、友達や彼氏、旦那へと移っていき・・・
現在に至るわけです。
1人だと「何かあった時にどうしたらいいかわからない」と思ってるんですね。
今でもそうです。
「年をとって旦那もいなくなって一人になって、
何かがあった時に自分が困るから、だから近所の人や地域の人には
いい顔しておかなきゃ」って思ってました。
でも実際は、いい顔してきたからってその人たちが自分を助けてくれるかは
わからない。
いや、助けてくれるかわからないからいい顔する必要はないってことじゃなくて、
元々何かしてもらう前提でつきあおうとするから
何もしてくれない時に、
相手に不満が出るんだと思う。
そして結局は誰も好きじゃなくなる。
そして終いにはそんな自分も好きじゃなくなる。
私のような人を心理学的には「神経症」というのだそうです。
原因は、
親にそのままの自分を愛してもらえなかったということと、
そんな親への心理的依存が強いということ。
親に愛してもらいたくて、
親に見捨てられたくなくて
親にとっていい子でいたくて
自分を偽って生きてきたことが原因。
そうしているうちに
本当の自分が自分でもわからなくなってしまったことが原因。
何が好きで何が嫌いで
自分がどうしていきたいのかが自分でわからない。
自分は何が楽しいのかも。
そんなことの前にまず、親に愛されたいという気持ちを埋めることの方が
大切だったからだ。
神経症の人は「フリ」をしてはいけないらしい。
楽しくないのに楽しいフリ。
不幸なのに不幸じゃないフリ。
そういう「フリ」をすることがまた、
どんどん自分を窮地に追い込むらしいです。
私、してました、「フリ」。
当然のように。
「だってそれって当たり前のことじゃない?」ってくらいに
普通にしてました。
旦那が帰ってくると、
はたまた近所の人と顔を合わせると、
確かにしてました、「フリ」。
人と会うのが嫌だったのは、
そういう「フリ」をすることが辛かったからなのかな。
まず私は「フリ」をやめる。