SARAのブログ

日々のことあれこれ

関節自慢

2017-04-17 15:19:03 | つぶやき
この間テレビで、
「最近はSNSで関節自慢というのが多いらしい」というのがやっていた。

「スタバでお茶してまーす」という写真の中には
高級ブランドの財布が映りこんでいたりして
実は本当に見せたいのはそっちの財布の方だったりする、というもの。

その話題を聞いて、

「いや、そんなのもう何年も前から私は友人に散々されてるし。」

と思っていた。


去年、「高校時代の同級生が亡くなった」と友人がメールをしてきた。
普段は年に1,2回くらいしかやり取りしないのに
何故その話題に限ってマメに連絡をよこしたのかも不明。
しかもその亡くなった同級生は名前は知ってるけど
それほど仲良くもなかった男子で
それでもかすかな記憶に残っている人が亡くなったと聞けば
「あぁ、そうなんだ・・」とはもちろん思うけど、
その友人はそのメールに、
「今朝、〇〇から連絡があって」
をわざわざ付け加えてくるのだった。
その〇〇というのは私と彼女と同じクラスだった女子で
当時も私よりも彼女の方がずっと仲の良い関係だったけど
「その〇〇と私はまだ繋がっているのよ。
まだ仲良くしているのよ。
〇〇がすぐに私に連絡してくれたの。」
という自慢のようなものの匂いはプンプンだった。
他にも、
何かのメールを送ってきた彼女に私が「元気?」と聞くと、
「体調を崩していたけど、今はやっと元気になった」という内容のメールの中に
「憂さ晴らしにこれから友達とランチに行ってくるよ!」を加えてくる。
自分にはランチにつきあってくれる友達はいくらでもいて
その友達とのランチが自分にとってはいい憂さ晴らしになっているという
自慢だ。
でも私からすると「それ要る?」という情報にしか過ぎないし、
日常的にメールを交換しているのなら
「これからランチで」というのもおかしくはないかもしれないが
年に数回しか、しかも1年ぶり近くのメールで
イチイチそういうことをとってつけたように言ってくるのはかなり不自然だった。
何気ない会話の中で本当に自然に出てきた情報なら、
こちらも素直に「いいなぁ」と思えるのに、
わざわざ付け加えてきたなというのが見え見えだと
何故こうも気分が悪いのか。
友人は誰かに何かを自慢したくてしかたがないだけなのかもしれないけど、
こちらにとってはそれがかなりのストレスになるので
単なる攻撃にしか感じない。
実際友人はその少し前に、
私が近所の人から遊ぶ約束を無理矢理に押し付けられて
かなりのストレスになっているという話をした時に、
自分も友達からの誘いや約束は、
ない時の方が楽だと私に言っていたのだ。
そういう誘いは本当は極力断りたいんだという私に対して彼女も
「私も本当はそうしたいけど、私はまだ頑張って行ってるんだよね」
と言っていたのだ。
その時私は、彼女にはたくさんのママ友というコミュニティがあることを
長年羨ましく思っていたけど、
それを負担に思う時もやっぱりあるんだなとしみじみ思ったので
良く覚えているが
彼女の方は私にそのようなことを言ったことはすっかり忘れているのだろう。
そんな彼女が要りもしない情報として
「これから憂さ晴らしにランチだよ!」と言ってくると
あぁ、これはこちらへのあてつけだなと思うのだった。
彼女との間にはこんな事例がいくらでも出てくる。
8,9年くらい前までは彼女はそんな人ではなかったのだ。
しかしここ数年は自慢や誇示をしてくるようなことを
メールの内容に無理矢理つけ加えてくることが本当に多くなった。

でもそのテレビで流れていた、SNSでの「関節自慢」が多いという
件を見て、
世間的にはこういうことは良くあることなのかなと思う。
でも私の中で彼女は以前はまったくそういう人ではなかっただけに
やっぱりショックは大きかった。
こういうことを書いてくるのは果たして私にだけなのか、
それとも他の人にも同じように「関節自慢」をしているのか・・?



しかし何故人はそんな風に関節自慢をしたり、
他人に幸せをアピールしたりするのだろうか。
私だって、自分がされたら嫌なので
人にはしないようにしているだけで
本当は人に対していろいろ自慢したいという欲求は確かにある。
なので彼女とは、それを実際行動に移すか移さないかの違いだけで
中身はそうは変わらないのかもしれない。
それは、本当の意味で自分に自信がないからだと思う。
自分が幸せではない、とは思ってはいないけど
他人と比べるとやはり、自分より他人の方が立派で、幸せそうに見えるから、
自分が何もアピールしないままだと
あまりにも自分が小さく感じてしまったり時には惨めに感じたり、
どこか相手から馬鹿にされるのではないかとか、
もっと言えば蔑まされているのではないかという勝手な妄想が湧いてしまうからでは
ないだろうか。
まぁ、これはあくまで私の個人的な見解だけど。

では、自分に自信を持つということはどういうことなのだろう。
答えは明確にはなかなか出ない。
でも今の私がない知恵を振り絞って、
もしかしてこんなことなのかなぁ」と漠然と思うのは、
自分に自信を持つということは、
人より立派な人間になることでも、
人から何かの賞賛や人気を得ることでもなく、
自分は劣ってるところもダメなところもあるけど
良いところも悪いところもひっくるめて
「それでいいんだ、それが自分なのだ」と
「自分が自分を」思えることかなと思う。
人は自分でなかなかそうは思えないから
誰かに「いいね!」と言われたくて
「いいね!」を言われるための努力をしてしまうのかな、と。
でも私の場合、
本当はそれって小さい時に親から言ってもらいたかったことなのかもしれない。
自然体の自分に。
子供をちゃんと見てて
その子供のいいところもちゃんとわかってて
心から子供を褒めたり子供の自主性を信じて見守ってくれたり。
まぁ、それは例の一つであって、
少なくとも私よりは全然親から大事にされてきて今も大事にされてる彼女が
何故8,9年くらい前になって突如、
私にそのような振る舞いをするようになったかはまた別の問題なのだとは思うけど。

SNSに限って言うと、
いくら意図的に作りあげたもので他人から「いいね!」と言われて
他人に対しての自分の良いイメージというものを作り上げたとしても、
それが自分自身の真の自信には繋がらないということを
今のSNSに夢中になっている人も
いつか気づく時は来ると思う。
結局は人は人で、自分は自分でしかない。
人気やイメージが顕著に仕事に繋がってしまう芸能人や、
スポーツ選手にとっての
パフォーマンスの評価はもちろんすごく大事なものなので
それはまた別の話だけど、
一般的には、所詮他人の評価なんてあってないようなもの。
そんなことにこだわるよりも、
他人と違うことがあっても
「自分」というものを貫いている人の方がよっぽど私は格好いい
と思う。
まぁ、そうはいってもそうなれないのがまた人間なのだけど
少なくとも上辺の自慢話をしてくる私の友人よりは
そういう人の方がよっぽど好感が持てる。



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