チャイコフスキー:交響曲第6番“悲愴”
演奏:セルジュ・チェビリダッケ指揮/Munich Philharmonic Orchestra
CD:米国METERO=MCD-002
フルトヴェングラーやカラヤンに比べ、チェビリダッケは日本人には馴染みは薄い。しかしその指揮ぶりは、フルトヴェングラーやカラヤンに並び立つほどの実力を備えている。戦後、フルトヴェングラーがナチの協力者という疑いの下、裁判にかけられた空白の期間、ベルリンフィルを率いて、ドイツでのオーケストラ活動を復興させた第一人者だ。しかし、フルトヴェングラーが復帰するとその陰に隠れ気味となってしまった。このチャイコフスキーの“悲愴”の実況CDを聴くと、その実力が手に取るように分かる。決してお涙頂戴の主観的な指揮に溺れることがない。かといって、突っ放した指揮ではなくあたかも自然に音楽が湧き上がってくるような音のつくり方をしている。これは只者ではない指揮者だという思いになる。観客の拍手も熱烈な賞賛にあふれていることが聴き取れる。このCDを抜きにしてチャイコフスキーの“悲愴”は語れないほどの名盤だ。(蔵 志津久)
演奏:セルジュ・チェビリダッケ指揮/Munich Philharmonic Orchestra
CD:米国METERO=MCD-002
フルトヴェングラーやカラヤンに比べ、チェビリダッケは日本人には馴染みは薄い。しかしその指揮ぶりは、フルトヴェングラーやカラヤンに並び立つほどの実力を備えている。戦後、フルトヴェングラーがナチの協力者という疑いの下、裁判にかけられた空白の期間、ベルリンフィルを率いて、ドイツでのオーケストラ活動を復興させた第一人者だ。しかし、フルトヴェングラーが復帰するとその陰に隠れ気味となってしまった。このチャイコフスキーの“悲愴”の実況CDを聴くと、その実力が手に取るように分かる。決してお涙頂戴の主観的な指揮に溺れることがない。かといって、突っ放した指揮ではなくあたかも自然に音楽が湧き上がってくるような音のつくり方をしている。これは只者ではない指揮者だという思いになる。観客の拍手も熱烈な賞賛にあふれていることが聴き取れる。このCDを抜きにしてチャイコフスキーの“悲愴”は語れないほどの名盤だ。(蔵 志津久)