<新譜CD情報>
~サンソン・フランソワ ”生誕100年記念” ドビュッシー:ピアノ作品集~
<DISC1>
ドビュッシー:喜びの島
前奏曲集第1巻より 第8曲:亜麻色の髪の乙女、
第10曲:沈める寺
第11曲:パックの踊り
第12曲:ミンストレル
レントより遅く
ピアノのために 第1曲:プレリュード
第2曲:サラバンド
第3曲:トッカータ
12の練習曲より 第11曲:組み合わされたアルペッジョのための練習曲
ベルガマスク組曲より 第3曲:月の光
第4曲:パスピエ
<DISC2>
ドビュッシー:前奏曲集第1巻
前奏曲集第2巻より(第11曲を除く)
(注:演奏者の逝去のため第2巻第11曲「交互する3度」は未収録)
<DISC3>
ドビュッシー:映像 第1集
映像 第2集
仮面(マスク)
夢(夢想)
2つのアラベスク
12の練習曲より 第7曲:半音階のための練習曲
第8曲:装飾音のための練習曲
第10曲:対比的な響きのための練習曲、
第11曲:組み合わされたアルペッジョのための練習曲
第12曲:和音のための練習曲
英雄の子守歌
<DISC4>
ドビュッシー:子供の領分
版画 第1番:塔
第2番:グラナダの夕べ
第3番:雨の庭
ベルガマスク組曲 第1曲:プレリュード
第2曲:メヌエット
第3曲:月の光
第4曲:パスピエ
ピアノのために 第1曲:プレリュード
第2曲:サラバンド
第3曲:トッカータ
ピアノ:サンソン・フランソワ
原盤:Warner Classics(旧EMI音源)
CD:タワーレコード TDSA292(4枚組、SACDハイブリッド)
このCDアルバムは、フランスを代表するピアニストのひとりとして未だ人気の高いサンソン・フランソワ(1924年―1970年)の生誕100年(2024年)を記念し、旧EMIに残したドビュッシーの音源を4枚組に集成したもの。今回の発売のために本国のオリジナル・アナログ・マスターテープから192kHz/24bitでデジタル化したマスターを用い、SACD層、CD層別々にマスタリング。新規解説付の永久保存盤。
ピアノのサンソン・フランソワ(1924年―1970年)は、フランス人の両親の間にドイツで生まれる。5歳でピアノを始め、早くから天才といわれた。第二次世界大戦後のフランスにおける代表的なピアニストの一人で、主に、ショパンやドビュッシー、ラヴェルの演奏を得意とし、「ベートーヴェンは生理的に嫌で受け付けない。モーツァルトなら受け入れてやっても良い」などの発言も残っているほど。1934年、一家でニースに戻った時、アルフレッド・コルトーに見出されて1936年にエコールノルマル音楽院に入学。1938年にはパリ音楽院に入学後はマルグリット・ロン、イヴォンヌ・ルフェビュールに師事。ロンの最後の生徒の一人であり、1940年に同音楽院を首席で卒業した。1943年第1回「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝。1947年にアメリカデビューを飾り、その後も世界各地で演奏活動を行う。3回来日しており、初めて来日したのは1956年。その後1967年と1969年にも来日し、当時の日本の聴衆に大きな感銘を与えた。ドビュッシーのピアノ作品全集を完了する直前、心臓発作のため急死。享年46歳。
ドビュッシー:喜びの島
前奏曲集第1巻より 第8曲:亜麻色の髪の乙女、
第10曲:沈める寺
第11曲:パックの踊り
第12曲:ミンストレル
レントより遅く
ピアノのために 第1曲:プレリュード
第2曲:サラバンド
第3曲:トッカータ
12の練習曲より 第11曲:組み合わされたアルペッジョのための練習曲
ベルガマスク組曲より 第3曲:月の光
第4曲:パスピエ
<DISC2>
ドビュッシー:前奏曲集第1巻
前奏曲集第2巻より(第11曲を除く)
(注:演奏者の逝去のため第2巻第11曲「交互する3度」は未収録)
<DISC3>
ドビュッシー:映像 第1集
映像 第2集
仮面(マスク)
夢(夢想)
2つのアラベスク
12の練習曲より 第7曲:半音階のための練習曲
第8曲:装飾音のための練習曲
第10曲:対比的な響きのための練習曲、
第11曲:組み合わされたアルペッジョのための練習曲
第12曲:和音のための練習曲
英雄の子守歌
<DISC4>
ドビュッシー:子供の領分
版画 第1番:塔
第2番:グラナダの夕べ
第3番:雨の庭
ベルガマスク組曲 第1曲:プレリュード
第2曲:メヌエット
第3曲:月の光
第4曲:パスピエ
ピアノのために 第1曲:プレリュード
第2曲:サラバンド
第3曲:トッカータ
ピアノ:サンソン・フランソワ
原盤:Warner Classics(旧EMI音源)
CD:タワーレコード TDSA292(4枚組、SACDハイブリッド)
このCDアルバムは、フランスを代表するピアニストのひとりとして未だ人気の高いサンソン・フランソワ(1924年―1970年)の生誕100年(2024年)を記念し、旧EMIに残したドビュッシーの音源を4枚組に集成したもの。今回の発売のために本国のオリジナル・アナログ・マスターテープから192kHz/24bitでデジタル化したマスターを用い、SACD層、CD層別々にマスタリング。新規解説付の永久保存盤。
ピアノのサンソン・フランソワ(1924年―1970年)は、フランス人の両親の間にドイツで生まれる。5歳でピアノを始め、早くから天才といわれた。第二次世界大戦後のフランスにおける代表的なピアニストの一人で、主に、ショパンやドビュッシー、ラヴェルの演奏を得意とし、「ベートーヴェンは生理的に嫌で受け付けない。モーツァルトなら受け入れてやっても良い」などの発言も残っているほど。1934年、一家でニースに戻った時、アルフレッド・コルトーに見出されて1936年にエコールノルマル音楽院に入学。1938年にはパリ音楽院に入学後はマルグリット・ロン、イヴォンヌ・ルフェビュールに師事。ロンの最後の生徒の一人であり、1940年に同音楽院を首席で卒業した。1943年第1回「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝。1947年にアメリカデビューを飾り、その後も世界各地で演奏活動を行う。3回来日しており、初めて来日したのは1956年。その後1967年と1969年にも来日し、当時の日本の聴衆に大きな感銘を与えた。ドビュッシーのピアノ作品全集を完了する直前、心臓発作のため急死。享年46歳。