今日は小雨の日です。「今日は」と書き出すと「キョウハ」と読むのか「コンニチハ」と
読むのか。他にもいくつもありますよね。
気温は21℃くらいですね。一日中小雨が降ったりやんだりしています。
ワクチン予約開始で、大変な日となっていることと思います。
人生、本当にいろいろとあるものです。私はまだ先が長いかもしれませんので、これから
またどんなことがあることやら。
昔も今も、形や規模はまちまちででしょうが、人生を全うするのは大変なことです。個人に
よっても天と地ほどの違いがあるでしょうし。
私の場合は、生まれたのは戦時中ですが、赤ん坊だったのでまったく記憶はなくて、幼児だった
だけにかえって父母に負担をかけた訳です。それで、その戦争がまず第一番目の大きな出来事です。
その後は、小さな事は別にして、先だっての大地震。それから、今回の疫病ですね。大地震は、
建物の被害や生活上の不便はありましたが、被害はたいしたことがなく、不便も何とか苦労までは
しないで済みましたが、今回は不気味です。何せ、目に見えませんからね。そして音も無く・・・。
音が聞こえたらなおさら恐怖ですが。「ひしひし」とと言いますが、本当に「ひしひし」と言う
音がきこえるのか??
他の地域の人は、例えば大洪水に見舞われたとか、地滑りとか・・・。あったことでしょう。
平安・鎌倉時代に、あるいはそれ以外の時代にも、自ら世間をはなれ隠遁生活をしていた人は
沢山いでたしょうが、学生時代に習った文人 、 と言って良いやら分かりませんが、とりあえず
文人 。その文人の中で、私にとっての代表者は鴨長明と吉田兼好です。
彼らは、孤独を愛していたのでしょうね。が、完全に仙人のようになったわけではなく、3分の1か
半分くらいは世間に片足を突っ込んでいたとも思えるのですが、そういうことはとにかく、
彼らのような人もいたのに、自分を含めた今の俗人のことを思うと、何と精神が脆弱なことかと
ふと思ってしまいます。もっとも、この二人などは自ら覚悟をして、下手な言い方をすると自ら
進んで孤独を味わったわけで、味わうなどと言うと怒られるかも知れませんが、 我々とは気持ちが
根っから違うだろうと思いますけど。
一人で山登りなどをしたりすると、ほんのチョッピリ脱世間感を味わえますね。ですが、降りてきて
ガシャガシャした下界に入ると、それもまた良しと思ったりします。コロナの影響の場合は、俗世間の
中に居て、俗世間と交わりたいのに交われないという気持ちが起こりますから、一種の「世間恋しい病」に
陥りますね。感染性は無いかと思いますが、なぜか感染したかのように、あっちでもこっちでもその
病にかかります。そして、コロナに感染してしまう人もいます。
今まで世間のことをけなしていたり、嫌がっていたりした人も、さすがに今回は・・・。
そういう現象が起きないなら、どうして繁華街にあのように人が出てくるのでしょうか。
独人でいるのが恐ろしいに似た気持ちに陥るのかも・・・。
とまあ、かく言う私も家は大好きですが、家にばかり居ると ア~~~ と背伸びしたい
気持ちになりますから、やっぱり俗人だ。良かった。