心なき身

2012年11月23日 | Weblog


 今日は村の鎮守様で大きなお祭りがありました。世の中が急激に変化しつつあり、昔は親子三代が同居していたりしていた田舎の各家も、今は子どもは成長しても就職先の都合により、同居できない家も多いです。
 それで、年寄りが一人で暮らしているとか、若い人でも単身の家もあったりして、なかなか昔のようなお祭りができなくなってきています。すこしずつ、昔の家族の形が崩れてきています。崩れるという表現は悲観的で良くなければ、変化と言った方が良いでしょうか。

 

  家族構成が変わってくれば、祭の形も少しずつ変わらざるを得ません。皆で協力してあげていた大きな祭の幟も、危険な作業になり揚げられなくなってきています。

 今日は、朝から小雨が降り寒い日です。もう11月も末ですからね。都会は人工的な賑やかさに溢れていると思いますが、田舎は寂しいです。私は、この寂しさは子どもの頃は何も面白いことがなくて嫌いでしたが、いまはむしろ楽しんでいます。

 

        心なき身にもあはれは知られけり
                    鴫立つ沢の秋の夕暮れ   西行法師

 有名な三夕(さんせき)の歌のひとつですが、寂しい時にはしみじみと寂しさを味わうのもまた良しと思う年頃になってきました。

   

 

 ヤーコンですが、この写真を撮ったあと霜が降りて少し茶色くなりました。見てはいても、ついつい忘れてしまって今年もあまり肥料をやらないでしまいました。 

 

 昨夜は、フルートの先生のコンサートがありました。画廊で開かれましたが、先生の譜面台の前に照明がありますので、先生の顔が塗りつぶしたように写ってしまいました。すみません。

 モーツアルト特集で、大きな曲を二つもやっていただいたので、とても充実感を味わえて楽しかったです。最後のアンコールは「トルコ行進曲」。いやはやもう、どうしてあんなに早く指が動くんでしょう。息も大変では無いかと思いました。

 

 先生の演奏はビデオに録ることが出来ませんでしたが、せめてYoutubeで雰囲気を。この曲です。

 ピアノで10本の指を使ってでも速い曲なのに、フルートでやれるんですね。フルートも10本の指を使いますが、出てくる音はたった一つです。ピアノは10通りの音が出ますので、ピアノの方が遙かに有利のように思われますが。