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「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」(2019年 アメリカ映画)

2020年09月02日 | 映画の感想、批評
 NYの裕福な家庭で育ったギャッツビー(ティモシー・シャラメ)は、母の勧めでアイビーリーグに進学するも脱落。現在は片田舎のヤードレー大学に籍を置いている。同じ大学に通う恋人のアシュレー(エル・ファニング)はアリゾナの銀行家の娘で、学生新聞の取材でNYにいる映画監督にインタビューすることになった。ギャッツビーはアシュレーに地元マンハッタンを案内しようと張り切っているが、アシュレーはホテルに着くやいなや出かけてしまい、約束の時間になっても帰ってこない。不安になったギャッツビーが電話すると、特ダネを取るために今すぐは帰れないと言う。一方、ギャッツビーは街で学生映画を撮影中の友人に偶然出会い、役者が足りないからと出演を頼まれる。そこでかつてのガールフレンドの妹、チャン(セレーナ・ゴメス)といきなりキスシーンを撮影することになる。
 天真爛漫なアシュレーは監督や脚本家に誘われるままついて行き、人気イケメン俳優のフランシスコ・ヴェガと知り合いになる。酒を飲むと酩酊状態になり、興奮するとしゃっくりが止まらなくなるアシュレー。ヴェガに誘惑されて舞い上がってしまい、「私の子宮を唸らせる」と欲望を隠さない。自宅に連れていかれ、服を脱がされ、下着姿になってしまうのだが・・・シリアスな役の多いエル・ファニングが無邪気な女の子のドタバタをかわいく演じている。
 ピエール、カーライル、セントラルパーク、メトロポリタン美術館とNY観光の定番のような場所が出てくるが、どれもアッパー・イースト・サイドの高級住宅地ばかりで、庶民が行くタイムズ・スクウェアやダウンタウンは出てこない。つまりここで描かれているのは、ウディ・アレンの行きつけのNYスポットなのだ。登場人物もみんな高級住宅地に住むセレブばかりで生活感がない。
 ジャズのスタンダード・ナンバー「everything happens to me」の弾き語り、雨のNY、メトロポリタン美術館のデート、時計台の下の待ち合わせ・・・状況設定は類型的だが、通俗性を逆手にとって既視感を楽しむ映画になっている。パーティ会場で掲げられていた往年の映画スターの写真、古風なクレジットタイトル、40年代の映画への言及・・・作品全体が古き良き時代へのオマージュになっている。昔を知らない人には古色蒼然とした世界が逆に新鮮に見えることだろう。ドニ・ド・ルージュモンやホセ・オルテガ・イ・ガセットといった思想家の名前がポンポン飛び出してくる、ユーモアとウイットに富んだ会話はスノビッシュだがイヤミではなく、ひとつひとつの場面がコントのようで楽しい。この軽やかさが魅力的だ。
 愛の痛みがないわけではないが、三角関係のドロドロはないし、修羅場があるわけでもない。近作の「ブルージャスミン」や「女と男の観覧車」のような嫉妬、苦悩、狂気はなく、70年代の「アニーホール」や「マンハッタン」と比べてみても、恋愛を掘り下げて描いているわけではない。恋愛映画というよりはむしろ青春映画か教養小説に近い。
 ギャツビーは親が決めたコースを進むことに抵抗があり、大学生活に身が入らない。人生の目標が見いだせないままである。ピアノの弾き語りが得意で、ヘビースモーカーでギャンブル好き。NYへ来てもポーカーで大金を稼いでいる。教育ママの母親にアシュレーを紹介する約束をしたが、彼女が帰って来ないので仕方なく娼婦を雇い、アシュレーの代役をしてもらうことにした。母親はすぐに本物のアシュレーではないことを見破るが、その際に初めて若かりし日の秘密を打ち明ける。ここがこの映画の最大の山場かつ転機となっていて、その後ギャツビーは大学に戻るのを止め、アシュレーに別れを告げる。母親のダークサイドを垣間見た息子は、NYに留まり、心の思うままに生きることを決意する。自分の中にある暗部が母親譲りであり、それが自分のアイデンティティーであることを認識したギャッツビー。アシュレーよりもチャンが好きになったというよりも、晴れの日に生きるアシュレーとは住む世界が違うことに気づいたのだ。自分には曇天のNYがふさわしいと。(KOICHI)

原題:A Rainy Day in New York
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
出演:ティモシー・シャラメ  エル・ファニング  セレーナ・ゴメス



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