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「わが恋は燃えぬ」 (1949年 日本映画) 

2024年03月13日 | 映画の感想・批評
 明治17年の岡山、自由民権運動に共鳴する平山英子(田中絹代)は、自由党員である恋人の早瀬を追って東京に出てきた。英子は自由党のリーダーである重井の紹介で、自由党の機関誌を発行する仕事に着いたが、ほどなく早瀬が政府のスパイであることが発覚する。傷心の英子はやがて菅井と結ばれ、自由民権運動に傾倒していく。製糸工場で起きた暴動に参画したとして、英子は重井と共に投獄されるが、獄中で実家の小作人の娘であった千代(水戸光子)と出会う。憲法発布の恩赦で三人は出獄し、英子は千代を家に引き取って一緒に暮らすようになる。憲法発布後の最初の衆議院選挙で菅井が当選し、自由党内が湧き立つ中、英子は菅井が千代と関係をもったことを知る・・・

 溝口健二が世界的に有名になる前の作品で、「女性の勝利」(46)、「女優須磨子の恋」(47)と合わせて「女性解放3部作」と呼ばれているらしい。「女性解放」というテーマは溝口健二のイメージとにわかには結びつかないが、見ているうちに「やはり溝口だ」と奇妙に納得してしまうのは何故だろう。この作品もやはり溝口特有の虐げられた女性の物語であるからだ。そういう観点から見ると、婦人解放運動のさきがけとなった福田英子がモデルである英子より、脇役の千代の方が溝口映画を体現しているように思える。千代は生活のために人買のやくざに売られ、やくざに処女を奪われて、製糸工場で女工として働かされる。苛酷な労働に抗議すると同じ工場で働く男に強姦され、自暴自棄になった千代は工場に放火して監獄に入れられる。投獄された時、千代は妊娠していたが、看守に容赦ない重労働を課されて流産し、その看守にも性的行為を強要される。ボロボロの人生を送って来た千代が、最初の男であるやくざが忘れられないと英子に訴える場面は壮絶だ。出獄して重井と関係をもったことは恩人である英子への背信行為ではあるが、愛情を渇望する千代にとって重井はやっと掴んだ幸せなのだろう。
 自由民権運動を指導する重井が千代を「妾」だと言ったことに反発し、英子は重井と決別して岡山に帰り,女子教育に力を注ぐ。女性解放運動に目覚めた千代が英子に合流する場面で映画は終わるのだが、英子がいなくなれば重井の正妻になれるかもしれないのに、そのチャンスを捨てて女性の自立を目指すという展開にはやや違和感がある。溝口にしては甘い。親に捨てられ、教育も受けず、苛酷な人生を強いられてきた千代が、目の前の幸せより婦人解放という理念を優先するだろうか。自立した女性を描くという時代の要請に配慮したのだろうと想像するが、いささか不自然な感は免れられない。それでも全体としては溝口の特性がよく表れている作品であると思う。
 溝口の戦前の映画に「滝の白糸」(33)という名作がある。検閲で削除される前のフィルムには、身動きできなくなった長襦袢姿の女性の周囲に悪漢が刀を突き刺して弄ぶシーンがあったという。本作でも製糸工場で暴力事件が起こった際に、一人の女工が天上から吊るされて男にいたぶられるシーンがあり、溝口の加虐性を如実に表している。「レアリズム」という名の嗜虐性やサディズムは溝口の手法であり、体質であり、思想でもある。通奏低音となって溝口映画の全体を覆っている。徹底的に痛めつけ、凌辱し、どん底に突き落として、そこから這い上がってくる女性の強さ・美しさ・高貴さを描く、それが溝口の映画なのだ。(KOICHI)

監督:溝口健二
脚本:依田義賢  新藤兼人
撮影:杉山公平
出演:田中絹代 水戸光子 菅井一郎 小沢栄太郎


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