シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「崇高なとき」(1944年  アメリカ映画)

2020年05月06日 | 映画の感想・批評
  プレストン・スタージェス(1898~1959)と言えば、スクリューボール・コメディの名手として知られている。1920年代にエルンスト・ルビッチによって開拓されたロマンティック・コメディは、1930年代になってスクリューボール・コメディという特異なジャンルを生み出した。フランク・キャプラの「或る夜の出来事」(34)がこのジャンルの最初の作品だが、スタージェスの監督デビューはそれよりやや遅く、1940年代になってからである。スタージェスと言えば、「レデイ・イヴ」(41)、「サリヴァンの旅」(41)、「パームビーチ・ストーリー」(42)等が有名であるが、今回はあえてコメディ色の少ない、地味な伝記映画「崇高なとき」(44)を取り上げてみたい。
  主人公はエーテル麻酔を世界に広めたウィリアム・モートンという実在の歯科医師である。華々しい実績があったにもかかわらず、モートンは失意のうちに亡くなり、残された家族は困窮している。その経緯が回想シーンの中で語られていく。この作品は二つの回想シーンによって構成されていて、2回目の回想シーンでは物語は現在に戻らず、過去のまま映画は終わる。スタージェスは時制の変化に関心があったようで、脚本家として参加した「力と栄光」(33)では、第三者が主人公の人生を回想形式で語るナラタージュの手法を確立し、「市民ケーン」(41)に多大な影響を与えたと言われている。
 19世紀半ばまでは抜歯の際に麻酔を使わなかったため、激痛に耐えられない患者が治療の前に逃げ出してしまうことがたびたびあった。大学時代の教授や友人に助言を求めながら、モートンは麻酔薬の開発に没頭する。自分の左手の甲に刃物を突き刺して、麻酔薬の効果を試すシーンは圧巻だ。無痛抜歯を成功させたモートンのもとには連日患者が押し掛けるが、特許を取るまではエーテルを使っていることが知られないように、麻酔薬に「レテオン」という名前をつける。モートンを単なる博愛主義の歯科医ではなく。富と名誉を求める野心家として描いている点が興味深い。
  モートンは特許権を巡り、大学時代の教授や友人と激しく争うが、彼には更なる野望があった。「レテオン」を一般の外科手術でも使いたいのだ。マサチューセッツ総合病院のウォーレン教授に「レテオン」の効果を力説し、外科手術での使用を認められる。手術シーンは直接描かれていないが、観覧席の人たちの表情で緊張感が伝わってくる。麻酔手術は見事に成功し、モートンは民衆より大きな喝采を浴びる。ところが医師会の代表は原料が不明な薬は使えないと、「レテオン」の成分を公開するように迫る。特許がまだ取れていない段階で公開すれば莫大な利益を失ってしまう。モートンが拒否したため、ウォーレンは次の手術で麻酔薬を使うことができなくなる。モートンを聖人ではなく、実利的で現実的な人間として描いているために、ドラマとしての深みが増し、ラストの感動へとつながった。
 モートンはその日に使うはずだった麻酔薬を持って、失意のままウォーレンの部屋を後にする。手術室の前の廊下を歩いている時、控室に手術を待つ少女がいることに気づいた。
「君だね。脚を切断する患者は・・・気の毒なことになったね」
「それほどでもないわ。誰かが麻酔を発見したの。だから痛くない」
 モートンは少女の手を握った。
「そうだ。痛くないよ。この先のどんな手術もだ」
 その時、高らかにトランペットの音が響き、手術室のドアが開いた。モートンは吸い寄せられるようにウォーレンに歩み寄り、ウォーレンはモートンの腕をしっかりと掴んだ。(KOICHI)

原題:The Great Moment
監督:プレストン・スタージェス
脚本:プレストン・スタージェス
撮影:ヴィクター・ミルナー
出演:ジョエル・マクリ―  ベッティ・フィールド  ウィリアム・デマレスト



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ジョンとプレストン (アプレ団塊世代)
2020-05-06 13:22:46
わが国でスタージェスといえばジョン・スタージェスをいうのだけれど、欧米ではプレストンをいい、ジョン・スタージェスなどはそのへんの少しうまい職人監督扱いである。まあ、日本でのジョン・スタージェス人気は「七人の侍」を頂いた「荒野の七人」とマックイーン人気で大ヒットした「大脱走」のおかげともいえる。ただ、ジョンの名誉のために断っておくと、あまり話題にされない代表作のひとつ「老人と海」の演出は、スペンサー・トレイシーのひとり芝居(名演!)とともに見事であった。いっぽう、プレストンのほうは、かれが活躍した時期と日米の関係が怪しくなって戦争に発展した時期が重なったという間の悪さで、その真価がリアルタイムでは日本に紹介されなかった。70年代になってようやく当時の映画史的名作が輸入され、ルビッチの未公開作品群とともにプレストンの代表作も公開された。このブログでも、もっとこういう作品を取り上げて頂けたらと思う。
返信する
コメントありがとうございます (KOICHI)
2020-05-07 00:22:39
 プレストン・スタージェスはドタバタ喜劇の精神を終生忘れることなく、独自のヒューマニズムを展開した。フランク・キャプラの理想主義的な熱いヒューマニズとは違う、言わば現実主義的な醒めたヒューマニズムの感覚を持っていた。この感覚がキャプラには飽き足らないアメリカ人を魅了したのではないか。おいおいこのブログでもそのことを示していきたい。またロマンティック・コメディを開拓したルビッチについても可能な限り取り上げていきたい。
 思えばスクリューボール・コメディは世界大恐慌下の30年代に生まれた。コロナ禍で大恐慌が再来すると言われている昨今と事情は似ているかもしれない。閉塞的な時代であるからこそ、人々はドタバタ喜劇に惹きつけられる。もしかしたら今後の何年間に、ありえないような恋愛ドタバタ喜劇が流行するかもしれない。
 
返信する

コメントを投稿