シネマ見どころ

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「モロッコ、彼女たちの朝」(2019年 モロッコ、フランス、ベルギー)

2021年11月17日 | 映画の感想・批評


モロッコというと思い出すのは、やはり「カサブランカ」ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンの名作。大学生時代に初めて見て、北アフリカの乾いた町を知った。
ほかにも、まだ見ていないが、マレーネ・デートリッヒ主演、その名も「モロッコ」が有名。
いずれも、西欧社会の側から見た、訪問者としてのモロッコの姿。
映画以外では、アルガン油やガスールという粘土(クレイ)の産出地として、その名を知るだけで、アラブ社会の宗教観も生活慣習も、遠い異国の地。
今作品は日本でおそらく初、モロッコ人による作品として商業公開された。

カサブランカの旧市街地、こみいった路地を臨月の大きなお腹と小さな荷物を抱えてさまよう、若いサミア。美容師の仕事を失い、今夜の宿と仕事を求めて一軒ずつ戸を叩いて回る。「掃除でも炊事でも何でもします!」相手にしてくれる家はない。路上で眠る彼女をほっておけなくなったパン屋の女主人アブラが「一晩だけ」と招き入れてくれる。
アブラの娘のワルダは明るい色の服を着るサミアに惹かれ、結局しばらく居候を許される。ワルダにとってはこれは大変な決意。日本以上に、未婚の母になろうという女性の立場はとても過酷なもの、そんな女性を保護するのは未亡人のワルダにとって世間体は悪い。
アブラは夫を亡くしてからワルダとの生活を守るため、心も閉ざして必死で働いている。服装も黒いものだけ。小麦粉を納品する男性がアブラを慕っているようだが、当然知らん顔をしている。ワルダに勉強を教えるときだけ笑顔が浮かぶが、ワルダは母の苦労を知っているから甘えることもできない。
そんな緊張感の続く母子の生活に、サミアが現れたのだ。働き者のサミアは恩返しにと、手間暇のかかるモロッコの伝統的なパンを作る。この光景がとても官能的なのだ。パン生地をこね、伸ばす手先の美しさ、リズム。うっとりと見惚れてしまった。
 娘のワルダという名は、アブラが好きだった歌手の名前。戸棚にあったカセットテープテープを見つけたサミアが情熱的な歌に合わせて踊っていると、ワルダが「パパが亡くなってからママは一度も聞いてない、早く止めないと」
サミアはあえて、夫との思い出の曲をアブラに聴かせる。アブラは激しく拒否する。アブラの手を押しとどめ、ダンスにいざなうサミア。この時の二人の姿もとても官能的。抵抗しながらもやがて、体がリズムに合わせて揺れだし、踊り始めるアブラ。音楽とともに心が解きほぐれていく。ようやくその晩、夫の最期を語ることができたアブラ。宗教上の理由から妻であっても夫の遺体に触れることすら許されず埋葬されてしまったという。アブラの怒りと絶望。宗教って、何のためにあるんだ。
その日を機に、アブラも変わり始める。祭りに備えて、アイメイクを丹念に入れていく姿の美しさにはゾクッとする。

いよいよ、サミアのお産が始まる。サミアは我が子をすぐに養子に出すつもりでいる。民間の養子あっせん組織に託しては危ないとアブラに指摘されるが、今は祭りで役所は休業中、頼りにならない。
生まれた子に目を向けないサミア。触れようともしない。おっぱいを求めて泣き続ける赤ちゃん。情がわいたら養子に出せなくなることを恐れているのか。胸が締め付けられる。
オキシトシン(催乳ホルモン)の力に逆らえなくなったか、ついに嬰児を抱きしめ、おっぱいを含ませる姿には思わず体が熱くなった。
サミアは坊やに「アダム」と名付ける。「最初の人間」、イスラム社会では「最初の預言者」の意味も持つらしい。この名前が映画の原題。サミアは翌朝、アダムを胸に抱き、ひっそりとアブラの家を出ていく。
さて、自分で育てるのか、養子に出すのか。サミアとアダムの未来に幸あれと祈るしかない。

女性監督自身の体験に基づいて描かれたオリジナル作品という。イスラム社会の女性の姿を静かに、そして力強く描いている。
若いサミアの着ている服が明るく、美しい。ブルー、黄色。あれ、小さな荷物のどこにいくつもの着替えが入ってたの?と思いつつ。
カサブランカの古い町の路地、埃りっぽさを感じさせる一方で、アブラの家の中での、フェルメールの絵画のような色と光の使い方も美しい。アブラの店で売るパンの珍しさやサミアの作るルジザも食べてみたい! 15年ほど前に行った地球博のモロッコ館で飲んだ、甘いミントティーの味を思い出しながら。強力な疲労回復があったっけ。
おっぱいを含ませるシーンは、若き日に読んだ宮本百合子の小説「乳房」の哀しい1シーンも思い出させてくれる。

9月末に、NHKの「あさイチ」で紹介されている。この日、主演映画「総理の夫」の宣伝に出演していた中谷美紀が、「朝からこんな素晴らしい作品を紹介してもらえるとは」と涙をこぼして感動していた。その姿に感化され、翌週、朝早くから電車に乗ってアップリンク京都に駆け込んだのに、満席で見ることができなかった。テレビの影響か!?
デイサービスから帰ってくる夫をしれっと迎える為にはこの時間しかないと言うのに!
泣きました!
翌週、初のネット予約に挑戦して、無事に見ることができた。期待値マックス、十分に応えてくれた。
同日夕方に、前回紹介した「空白」をはしご!
今年のベストテンに絶対入れたくなる作品を1日で見ることができた、充実の日でした!
(アロママ)

原題 ADAM
監督、脚本 マリヤム・トゥザニ
撮影 アディル・アユーブ
主演 ルブナ・アザバル、ニスリンエラディ、ドゥア・ベル・ハウダ