チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

ついに訪れることができた梅里雪山②---揚子江、メコン河、サルウィン河が並走する「深い浸食の国」へ

2011年04月01日 | 梅里雪山

 3月11日、京都新聞のFさんと2人で関空を出発。上海を経由し、深夜、昆明へ。翌朝のフライトは大幅に遅れて、昼前にやっとシャングリラに着いた。ここはもう標高3276m、デチェンチベット族自治州の中心地だ。粉雪が舞い、寒さに震えあがる。

 当初は、すぐに、峠の先の街・デーチンに向けて出発する予定だった。しかし、飛行機が遅れたことと、峠が雪のため、閉鎖されているかもしれないということで、この日は、ペマツモさんの親せきの豪壮なお宅に寄ったり、近郊の温泉に行ったりしてゆっくりとすごした。

 (シャングリラから3700mほどの峠を越すと、しばらくは揚子江の源流沿いに走る。)

                                    (雪の峠道に難渋)

                          (まだ未踏の白馬雪山(5640m))

 3月13日、雪の峠(4290m)を、時々、車を押しながら超える。左手には、まだ未踏の白馬雪山(5640m)の山並が輝いている。それまでは揚子江沿いに走っていたのだが、峠を越えると、もうメコン河の源流だ。そして、梅里雪山の向こうは、インド洋に流れるサルウィン河の流域。この辺りは、これらアジアの3つの大河が、最狭部でわずか30Kmという間隔で並走して流れている。稜線から谷底までの標高差は2000m~4000mもあり、この一帯は、その複雑な地形から、「深い浸食の国」と呼ばれている。この日は、飛来寺のホテルに泊まった。

 14日、飛来寺は、梅里雪山の絶好の展望台なので期待したのだが、今朝も曇り空で山は見えない。それでも、足元には、メコン河源流の切り立った深い谷が圧倒的に続いている。荒々しい峡谷の底には、これから訪れるミンヨン、シータン、スノンなどの村が、わずかな緑をかかえて点々と見える。我々が走っているこの道は、チベットのラサまで続く、「茶馬古道」と呼ばれている古い街道。昔は、この道を通って、茶や塩などが運ばれたという。

             (道路は、メコン河沿いの急峻な崖に切り開かれている。)

 車は、1000mほど下り、メコン河の河岸にまで降りて橋を渡り、いよいよミンヨン村に入った。この付近は、標高2300mと低く、気候が温和なので、畑には大麦が青々と育ち、ちょうど桃の花が満開だった。

 

 (桃の花が満開のミンヨン村。大麦の畑のあぜ道には、クルミの木が植えられている。) 

 ペマツモさんのお父さん・チャシさんお家には、大勢の親戚たちが集まり、我々を迎えてくれた。小林さんの本を何度も読んでいたので、もうすっかり顔見知りのような気がして、どこか懐かしい。

 少ししてチャシさんが仕事から帰ってきた。20年間も村長を務めてきただけあって、鋭い目をした、風格のある人だった。さっそくペマツモさんに、「長く捜索活動にご協力いただいて、本当に感謝しています。」と伝えてもらう。彼女は、さらに、私が当時の隊長・井上治郎の友人だったとも説明してくれた。

 私が中国語ができず、言葉が全く通じないのは残念だったが、チャシさんには、その後、2週間もお世話になった。毎日、裸麦で作った自家製の醸造酒(アラ酒)を、何回も、「チャシデレ!」「チャシデレ!」(「乾杯!」)と杯をあてながら飲み続けたことが懐かしい。
                   (ペマツモさんと、お父さんのツァシ前村長)

 

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