チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

東チベット・梅里雪山の麓の村から元村長さんが来沖される!

2014年03月21日 | 梅里雪山

 20日(木)、連れ合いが緊急入院し、夜、すぐに手術ということになった。幸い、その後の経過はいいのだが、問題は94歳の義母の世話。人工肛門、人工膀胱で半ば寝たきりの状態なので、私一人ではもうどうしようもない。急なことだったが、ケアマネージャーの方が、なんとかショートステイ先を見つけていただいたので、夜(21日)になってやっと一段落したところだ。

 慌てたのは、明日、22日(土)からチベットのTさん親娘が来沖されるからだ。

                        (カワカブ(一番右)の連峰。チベットの人々は聖山として仰いでいる。)

 私は学生時代、山岳部に所属していた。1991年、同期の友人が隊長として東チベットの未踏峰・梅里雪山(カワカブ)に遠征したのだが、大雪崩のために17名全員が死亡するという日本のヒマラヤ登山史上最大と言われる遭難事故を起こしてしまった。その捜索活動に献身的に何年も協力していただいたのが、麓の明永村の当時の村長・Tさんだった。いろんな経過があって、数年後、Tさんの娘さんが日本に留学、京都の同志社大学に入学された。私は3年前に彼女と一緒に明永村を訪ね、Tさんのお宅に長く世話になって、カワカブの遭難現場近くにも訪れることができた。

 今年、娘さんが同志社大学を卒業される機会に、Tさんが初めて来日された。是非、海を見たいということで沖縄にも来られることになった。遭難捜索に長く協力いただいたお礼、そして3年前にお世話になったお礼として、沖縄の海を満喫していただきたいと思っている。

 (現地チベットの様子、そして3年前の滞在記などは、このブログの右側のカテゴリー欄「梅里雪山」をご覧ください。) 

 

                     (正面の氷河の奥がカワカブ)

  (正面がカワカブ。この氷河の末端から何年もかけて遺体が出てきた。)

          (カワカブを聖なる山として仰ぐ村人たち)

 

チベット留学生:ペマさん同志社大卒業 チベットとの懸け橋に 17人遭難、梅里雪山の村から /京都

毎日新聞 2014年03月20日 地方版

 ◇日本で援助の恩返し

 中国雲南省の最高峰・梅里雪山(6740メートル)のふもと、明永(ミンヨン)村から日本に留学しているチベット人女性ペマツォモさん(27)が20日、同志社大(京都市)を卒業する。同峰では1991年に京都大学士山岳会と中国の合同登山隊17人が遭難した。日本の海外登山史上最悪の事故だったが、村人らが献身的に捜索に協力し、16人の遺体が収容された。その恩返しで山岳会有志が援助し、留学が実現した。ペマさんは「日本とチベットの懸け橋になりたい」と話している。

 標高5100メートルの第3キャンプで大規模な雪崩があり、全員が消息を絶った。当時は遺品も発見できなかったが、98年夏に氷河下流で10人の遺体が奇跡的に見つかった。それを機に山岳会員で写真家の小林尚礼(なおゆき)さん(45)が毎年のように現地で捜索を続けてきた。

 同峰は現地で「カワカブ(白い雪)」と呼ばれ、毎朝祈りを捧げる信仰の対象。登山は聖山を冒とくする行為と考えられ、小林さんは冷ややかに見られた。だが仲間を捜す懸命な姿に村長のチャシさん(52)がうたれ、村人らも協力してくれるようになった。

 ペマさんはチャシさんの長女。日本への関心を抱き、留学を希望するようになった。山岳会有志が学費を援助し、2010年に同志社大社会学部に入学。日本やアジアの教育や文化を学び、卒論のテーマは「カワカブの信仰」を選んだ。

 卒業式出席のため初来日したチャシさんは「コバヤシが村に現れるまで日本のことなど何も知らなかった。それが娘の卒業式で京都に来ている。夢を見ているようだ」と話す。

 卒業後も日本にとどまるというペマさんは「大学で学ぶことで古里の文化への関心が深まった。失われつつある明永村の昔話を記録に残し、恩返しをしたい」と意欲を見せた。【榊原雅晴】

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国有林をヘリパッドの工事用... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

梅里雪山」カテゴリの最新記事