チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

普天間基地ゲート前抗議行動6ケ月集会、盛況に開かれる

2013年03月31日 | 沖縄 オスプレイ

 (でいご娘・島袋艶子さんの「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」。いつも大山ゲートに立つ案山子親娘らも登場)

 3月30日(土)、宜野湾で、「オスプレイ・基地撤去 普天間基地ゲート前抗議行動6ケ月集会」が開催された。昨年9月末以来、普天間基地大山ゲート、野蒿ゲートで、週末を除き毎日続けられている抗議行動が6ケ月を経過したので、その中間総括の集会だ。抗議行動を担ってきた平和市民連絡会、命どぅ宝・さらばんじぬ会、普天間爆音訴訟団の共催。

 不便な場所だったが、会場には150名もの人たちが集まった。

 (開会の挨拶は普天間爆音訴訟団の島田善次団長)

 1955年、米軍が「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収した伊佐浜闘争の体験を報告する花城さん。伊佐浜は、宜野湾市の大山の北、強制接収された土地は、現在、キャンプ・フォスターの一部となっている。米軍が銃剣を振りかざして暴力的に取り上げた土地は、「返還の条件」などは論外で、即刻、返還しなければならないのは自明のことだ。

 両ゲート前での抗議行動の報告や、高江、辺野古等、各地からの連帯の挨拶が続き、4月以降も抗議行動を続けていくことを確認して、集会は盛り上がった。

 

 私の3月23日のブログでも報告したが、3月21日、北部訓練場に入った際、海兵隊の外交政務部長・トルーアックス大佐が、「皆さんにお願いしたいのは、隊員らに、ヤンキーゴーホーム等の言葉をぶつけないでほしい。隊員らは、日米両政府間の合意に基づいて、その任務を果たすために遠い沖縄に来ている。個々の隊員らが悪いのではない。」と言った。

 もちろん、皆ですぐに抗議したが、海兵隊の大佐のような高官が、ゲート前での抗議行動を止めてくれと言うぐらいだから、よっぽど兵士たちから苦情が届いているのだろう。それでいいのだ。米兵らに対して、沖縄はどうも居心地が悪いと思わさない限り、米軍は、いつまでも沖縄に居続ける。これからも頑張って米兵らへの抗議行動を続けよう! 

・「オスプレイ配備半年 撤去へ抗議集会」(沖縄タイムス 2013.3.31)」

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