中二な中年の備忘録

備忘録なので大した内容はありません。
たまにちょっと多めに語る時があります。
競馬の話題の時はさらに饒舌になります。

芸術の残暑

2023年09月30日 08時12分31秒 | ぶらり、城東
2023.9.16の回顧録

好文画廊(2023墨展)→Ritsuki Fujisaki Gallery(八木恵梨展)→Bambinart Gallery(内藤京平展)→KOKI ARTS(ストーム=サープ展)→Roonee 247 fine arts(鈴木秀ヲ展)→みうらじろうギャラリー(少女たちの領域 ephemeral 2023)→みうらじろうギャラリーbis(秘められたる魔性11~一紅、塩野ひとみ、夜乃雛月展)→taguchi fine art, tokyo(塚本暁宣展)→森パールショップ&ギャラリー(内山崚×森パールコラボ展)→椿近代画廊(大畠裕遺作展)

今回一番「やられた!」と思わされたのが、八木さんの作品。ああやって並べられると、その絵柄や構成から見て、一式の作品だって考えてしまうのが、既に八木さんの術中なんだな……ていうことを考察してしまうのも、また八木さんの術中で、そうやって考えてしまうのも……っていう、“八木ブラックホール”にまんまと嵌まりましたわ。
一口に“墨絵”と言っても、ホント色んな表現があるなと、中には絵でもないし。そこに感じる人の手にかかると、濃淡も擦れも、色彩なんだね。それこそ「墨って200色あんねん」っていう。
塚本さんの作品に付される“ネオキュビズム”っていう表現に、ちっちゃな違和感があるのね。作品自体は、確かにキュビズムを感じさせるものなんだけど、その本来目指した所である「立体を如何に平面で表現するか」っていう命題はもう脇に置かれて、ああいう風にパーツに分解したものを、あたかも福笑いを楽しむみたいに、再配置しているようと言うか。“ファッション化されたキュビズム”と言うか、大層悪い言い方をすれば“キュビズムの堕落”、ではあるけれど、それは、現況における表現の可能性の広がりを考えれば、寧ろ当然の流れかと。立体でありながら二次元を模索するっていうのもありそうだしね。
その意味では、石造物の表面を剥離させた、大畠さんの一連の作品が、ある種作品自体は平面でも、立体と密接な関連性を持つ点で、一つのそれなのかも。たまたまネットで色んなものを見ちゃったけど、ここに行き着いたことは、表現者として一定の到達は出来たのかも知れない。と、そんなことを言いつつ、端々にある天野裕夫さんの奇怪な造形に、どうしても気を持っていかれてしまう不実。
で、ご本人の仰る通り、鈴木さんの作品は、笑い飛ばしてしまえばいい。但し、毒までしっかり喰らって、内に留めること。

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