中二な中年の備忘録

備忘録なので大した内容はありません。
たまにちょっと多めに語る時があります。
競馬の話題の時はさらに饒舌になります。

見方を考えないといけないかなあ

2016年01月23日 09時28分11秒 | ぶらり、城東
2016.1.16の回顧録

ピエトロドレッシング(昼食)→銀座かわうそ画廊(真冬の美女図鑑後期)→銀座ギャラリー暁(あきた国展)→シロタ画廊(加賀谷武展)→KHギャラリー銀座→AKIO NAGASAWA Gallery/Publishing(東松照明展)

KHギャラリーの“KH”は“コシノヒロコ”さんのこと。ショップの地下が専門のギャラリーになっていて、作風と肌が合うかは個人の嗜好に因るけど、デザイナーではない彼女の側面に触れてみるのは、悪くないことだと思う。何より、あんな所に、ちょっとした個人美術館のような造りの空間があることにビックリだった。ブランド品買い漁ってご満悦、何てのよりは文化度高いと思うよ。
ピエトロも、場所を考えれば、ちょっとした穴場じゃないかな。時間制限があったとしても、ビュッフェがあれなら、銀座としてはお値打ち価格だと思うけど。久し振りに野菜で腹一杯にした。
合同展は、今後ちょっと考えなきゃいけないかな。過去に興味を持った作家さんに会える利点もあるんだけど、小さい空間で大勢を紹介しているから、どうも散漫になる嫌いがある。個人の問題かも知れないけど。でも、あきた国展は、大作を集めてのもので迫力があった。
あと、どうしても言いたいのは、アーティストは歴史を忘れないよってこと。それが自分の活動のオンタイムでのことなら尚更。そういう企画が目に見えて減ってきたら、いよいよ気をつけないと。

KHギャラリー銀座のページ

ピエトロドレッシングのページ

遺物の展示って難しい

2016年01月23日 08時04分05秒 | ぶらり、城北
2016.1.11の備忘録

西ヶ原貝塚(跡地)→田端文士村記念館→Deepカフェ(昼食)

リニューアルはしたものの、文士村記念館は悩ましい存在になってるように見える。本当は、文士村の中心人物であり、知名度も人気も抜群の芥川の記念館にした方が、存在感も増すんだろうけどね。そもそも“文士村”っていう呼称も微妙で、構成していた顔触れを見ると、文士と美術家と半々くらいなんだよね。何で“芸術村”にしなかったんだろうっていうのはある。で、その中でも、活動履歴からすると、板谷波山なんかは、益子じゃなくて、寧ろ田端に記念館があっても然るべき存在だしね。運営費やスペースの都合があるのは重々承知なんだけど、何となく中途半端さを感じてしまうんだよね。いや、常設で文士村と芥川について触れて、企画部分で他の文士村の人物について一人ずつ触れていくっていう構成は間違っていないし、頑張っているとは思うんだけどね。
田端文士村記念館のページ 
そこいくと、“西ヶ原貝塚”っていうのも、地元でこそ微妙な存在になっちゃってる感がある。首都圏の他の考古博物館に行くと分かるんだけど、“西ヶ原貝塚”ってのは、考古学的には、関東でも屈指の重要な遺跡として紹介してくれている所も多い訳。一応飛鳥山では取り上げているとは言え、それに特化した施設がないっていのは、ジモティーとしてはやるせない思いがちょっとあるかな。跡地に建ったマンションがやっているような遺し方は、ハッキリ言って子供騙しなんだよね。だから誰も目にも留めない、お飾りになっちゃう訳。
こういう細かい所を見直すことで、町興しに繋がることもあると思うんだけど。

一応コミケも行った

2016年01月08日 22時07分10秒 | ぶらり、城北
2015.12.31の回顧録

コミケット→フルーツ&カフェベリーパーラー(池袋西武)

コミケの混雑というか、ノリはいつも通りで、何だかちょっと安心するね。動線が変わっていたのには少し驚かされたけど、例のビッグイベントが収束するまでは、柔軟に平静に対応するように努めないとね。
そして、改めて驚かされたのは、東京都交通局の手際の良さ。あの様子を見ていると、コミケの日の交通手段は、バスが一番じゃないかと思えてくる。自分の中では、ここ何年もそんな感じだし。どんな参加の仕方をするかにもよるけどね。

遅めのケーキと、石川啄木

2016年01月08日 21時59分21秒 | ぶらり、城北
2015.12.26の回顧録

PARADIS(小石川・おやつ)→石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室

お目当てのプリンアラモードがなかったのは残念だったけど、スポンジがスポンジじゃないくらいトロトロでビックリしたな~。クリスマス直後の静けさもあったかも知れないけど、普段からあの程度の人の量なら、立地も含めて、ありゃとんでもない穴場。
顕彰室は、確かに小さいけれど、盛岡の記念館の協力を得ているだけあって、そこそこ内容は整えてある印象。終焉の地っていうバイアスもあるのかも知れないけど、ああして見ると、啄木も広義では立派にプロレタリア文学だよね。

PARADISのページ

顕彰室に関するの文京区のページ

重みの異なるアートに触れた一日

2016年01月08日 21時39分55秒 | ぶらり、城南
2015.12.19の回顧録

西麻布ギャラリー→gallery Mona→エスパスルイヴィトン

西麻布ギャラリーで観たのは、ネパールの曼荼羅画家チットラカールさんのチャリティー作品展。先の地震で全壊した、曼荼羅制作部屋を含む自宅の再建のためのチャリティーとのことだったが、そうは言っても所蔵自作を格安で販売して資金にするというから、所謂チャリティーとは少し趣旨が異なる。正価の約3分の1では、展示作全部売らないと目標額に届かなそうだけど、そうも言っていられないんだろうね。日本人にとっては、曼荼羅はただの芸術品だけど、あちらの方達にとっては、人生の傍らに常に存在し続けるくらいのものだからね。こうなると、アートの購入も、ただの金持ちの道楽とは言えなくなってくる。
gallery Monaでは、CGアート作家の高津利依さんの、クリスマス関連の作品展を。データさえあれば量産可能なCGアートだからなのか、価格はぐっと廉価で、普通にツリーを買ったりするよりは贅沢になるけど、住宅事情によっては、こういうクリスマス飾りもオシャレかも知れないね。あとは、その感性に見合う対価と感じられるかどうかだけ。
エスパスルイヴィトンのフランク=ゲーリー展は、寧ろ展示施設フォンダシオンルイヴィトンの展覧会というべき内容だったね。ああいう建築物を生み出せる発想力は勿論だけど、あれだけトリッキーな建造物を、しかも緑豊かな公園内に置くことを許容できるというのが、国民性なのかな。そう考えると、新国立での外国人案は、工費云々以前に、そもそも受け入れられるものではなかったのかも。

高津利依さんのページ