中二な中年の備忘録

備忘録なので大した内容はありません。
たまにちょっと多めに語る時があります。
競馬の話題の時はさらに饒舌になります。

エンタメ、支える

2021年08月16日 01時16分32秒 | ぶらり、城西
2021.7.24の回顧録

初台アート・ロフト(パラード展)→Bondy(昼食)→第三萬年堂HANARE(買物)

大道具にしろ衣装にしろ、ただ処分したら産業廃棄物だからね。あれだけのビッグステージだし、相応のステータスがあるからこそ可能なことではあるけれども、残して展示できるというのは、やっぱり大きいかな。まあ、時勢が時勢だけに、純粋にステージを観に来た人以外には余り場所を開放したくないようで、じっくり観られたものは、僅かだったけどね。
ともあれ、この件で、板付の人達は今、最大級の難局を迎えられていることとお察しします。客が出来ることは本当に微々たるものなんだけど、そんな中で五分の魂が宿るのは、応援すること、最低限彼等の行動を否定しないことなんだろうな。本国では、「好きなことやって食ってる」というやっかみも込みで、聖人君子を求める割に、意思を持って行動することを認めない風潮があるでしょ。カ✕✕モ✕(自主規制)のままであってくれることが、未だに理想なんだよね。でも、今般においてそれに従順ではいられないでしょ。需給共に、いい加減変わらないと。
そしてまあ、この名物は外さない。何だかんだ言って、個人的にはあのじゃがバターが嬉しいの。このご時勢にも拘らず、本店は凄い行列だったけど、別館は余裕があって良かった。まあ、私が退店する頃には、こっちも凄くなってたけど。

初台アート・ロフト(新国立劇場情報センター)のページ
Bondyのページ

宮城県の勝ち

2021年08月16日 00時10分40秒 | ぶらり、千葉
2021.7.23の回顧録

発酵の里こうざき(昼食・買物)→ずんだ茶寮(一服)→SHOGUN(買物)

粒感を、“いいアクセント”の程度にしているのが絶妙なんだね。エクセラでもそこまで甘くなく、こりゃ確かに口コミで来るなと。個人的には、スタバよりこっちだわ。
ランキングされるくらいだから千差万別、玉石混交なんだろうけど、あれが標準的な道の駅のレベルなんだったら、ちょっと問題アリかも。少なくとも、都市部からレジャーに来る人の気も惹かなければ、観光の拠点にもならない。かなり悪い言い方をすれば、“田舎の成城石井”。まあ、近場の自治体の方々がそれくらいの意識で利用して成り立ってるなら、それでいいんだろうけどね。

ずんだ茶寮のページ
発酵の里こうざきのページ

居酒屋だけじゃない、やっぱり

2021年08月16日 00時06分23秒 | ぶらり、お食事
2021.7.22の回顧録

AERU COFFEE STOP(一服)→暖母(お茶)→Peace Cafe(昼食)

ああいうお店が元気なのは、大いにポイント高い所だよ。佇まいもいい感じの老舗の喫茶が元気であればこそ、新顔にも張りが出るからね。まああそこは、ただの喫茶じゃないけどね。外周グルッと巡るランチメニューが物語ってるでしょ。町の胃袋を満たす場所でもあるんだよね。
老舗がそうであればこそ、川に近い岩淵の住宅街の直中に、あんなオシャレな朝カフェが現れる訳。「酒場だけじゃない!」と、声高に言って欲しいけどね。

AERU COFFEE STOPのページ

辛いものは信じる?

2021年08月02日 06時51分51秒 | ぶらり、お食事
2021.7.17の回顧録

麻婆豆腐TOKYO(昼食)

「麻婆豆腐しか信じない」から「中華料理は基本大体信じる」「結局甘い豆腐も信じる」と、コメントが軟化していくのが面白いね。辛さの幅が大きいので、辛いの苦手でも、麻婆豆腐らしいものが食べられるのは嬉しい所。勿論、大好きなチャレンジャーは、ドンドンイッチャッて。

総ては芸術である。総ては芸術ではない。

2021年08月02日 06時48分36秒 | ぶらり、城東
2021.7.10の回顧録

銀座メゾンエルメスフォーラム(マチュウ=コプラン展)→CADAN有楽町(TRILLUSION/大塚聡・齋木克裕・ノリ服部展)→全家福(昼食)

「総てのものは芸術である」とはオノヨーコの言ですが、総てのものが芸術だったら、そうでないものとの境界が限りなく曖昧になり、結果芸術という概念が失われる。その地平に立った時、芸術家はどうあるべきか、というのがテーマの一つだよね。
起点は、美術館という権威主義と、ギャラリーという商業主義が定義する芸術から、芸術家は脱却すべき、という所にあるんだけど、これを突き詰めると、芸術という概念のない場所に立脚して、芸術家はどう活動出来るか、という所に繋がるんだよね。まあ、これは芸術家にとってとんでもないチャレンジで、何しろ自作の価値をゼロから生み出さなきゃならない、錬金術みたいなものだからね。
一つの考え方として、芸術とはリアクションを喚起するアクションで、作品はアクションの結果生まれた現象の一つに過ぎない、と言えそうで、そうすると、鑑賞者も芸術に強く関与する訳で、これは以前の鴻池朋子さんの問いと通ずる所があるのでは。そこにリアクションの大小は取り敢えず関係なくて、先述の「総てのものは芸術である」をもう少し深く捉えるなら、『普遍的な芸術はないが、僅かでも何者かの注意を喚起したならば、それは芸術である』と言い換えられるか。今展は、言葉も揺るがせにされているから、言葉で定義し直すこと自体にナンセンスを覚えなくはないけど。個人的には、考え方を肯定されて、行動を否定されたようなイベントだったね。
でも、“芸術とはアクションである”と考えれば、発表という手段ももっと広がりを見せるのでは。だって、鑑賞者さえいてくれれば、空間に拘る必要がないんだから。許可が取れるなら、河原にベニヤ小屋でアクリル板の向こうで見せたっていい訳。破壊される恐れがあるなら、それもまたリアクションだから、終日監視状態で総てを録画して、それを“リアクションのリアクション”として発表してもいい訳だし。

第62回宝塚記念結果

2021年08月01日 21時51分11秒 | 競馬
1着 クロノジェネシス
2着 ユニコーンライオン
3着 レイパパレ
4着 カレンブーケドール
8着 モズベッロ
11着 メロディーレーン

結果:ハズレ

女帝は強かった……は勿論なんだけど、それ以上に、この展開を読み切っていたかのような、ヤネの誘導が見事と言う他ない。流石は名手と言うか。それにきちんと応えて走る女帝の実力も、確かなんだけどね。
それにしても、4歳勢は問題かもな~。特にアリストテレスがあれだと、やっぱり世代全体の能力値が、疑わしくなってくるよね~。
予想に関してはもういいでしょ、“疑うまでもなくダメだ”ってことで。