つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

春は遠かった!

2011年02月26日 09時00分00秒 | 戯言
この前、また久しぶりにあいつに逢いに行った。

また来たぞ!
と、声をかけたのだが、実は他に尋ねた訳があった。
そう、実は気が早かったのだが、何日か春の陽気になったので、ひょっとして春の芽が吹いてないかな?
なんて思い、蕨の様子を見に行ったのだ。
あいつの近くに群生を見つけた例の場所に行って見たが…。
ちょっと早かった。考えたら、まだ2月。ちょっと気が早かったようだ。
そののち、あいつに逢いにいったら、もう何回もここに来ているのに、今まで全然気が付いてなかった。



わかります?そう、誰かがここでブランコを作って遊んでいたんです。
いやあ、気持分かるなあ!
まだ、その金具にロープを下げれば、現役で使えそうな感じだったので、本気考えてみようかな?

それから、ふと周りを見回したらこの方。竹の一種かな?誰か名前解ります?



これを見ていたら、その中に背高のっぽの方が目立っていたので、失敬してそれをちょっと欲しくなってしまいました。
今回はたまたま剪定ばさみを持っていたので良かった。
そこは、自然の雑木林と化してました。絶対野生の動物の絶好の住処になれるだけの要素を持っていると。
その、背高を切りに中に入っていくと、下は落ち葉でフワフワ。上下左右は適度に密集したその方の枝に遮られ、寒い北風を凌げるでしょうね。
まあ、気が付いたら片手に一杯ほど収穫してました。(何に使うかって?そんなのあまり考えてないのです。釣竿にでもできる長さはありますね。3メートルちかくありますから。)

それから、帰りの道中にとてもいい匂いがしてきたから、きょろきょろ。



蝋梅でした。そこらじゅう、甘~いいい匂いがしてました。

では最後に



以上、いつもの散歩コースからでした。

ではでは

二つの道

2011年02月25日 09時00分00秒 | いい話
先週の日曜のレッスンの時に弟子の小学生に話したこと。

何気に弾いてしまった音階を見て、ひと言お話をした。

ちょっと専門的になるのだが、僕の師匠の斎藤先生は、どういう教え方をされていたかということにもつながる話である。

ある結果を見るとき、それはなるべくしてなった結果なのか、それとも、偶然的に(まぐれ)あるいは事故でなったことかを見る先生だった。(これは、成功例でも失敗例でも適用できる)

解りやすい例で言うと、身体の機能で、「まばたき」と「呼吸」は自分でも意識的に止めたり早くしたり出来るけど、放っておいても勝手にやっているわけ。

チェロを弾いている時、音と身体をある意味リンクさせないとダメなわけですが、例えばある箇所を何度も何度も繰り返し弾けば、そのうち慣れてきて、出来るようになるものですが、この「慣れ」ということは必要なことだけども、一流にするためには、その出来たことを(出来るようになった過程)どこを使ってどういう風にやっているから、今このように出来ている。と自分にも他人にも説明がつくことが大事だと。

ちなみに、この弟子が弾いた音階は一見何も問題がなかったが、僕に言わせると肘の準備が不十分だった。
「音階のポジションチェンジの時には、意識しないといけない場所があるだろう?」と問いかけ、本人がうなずいてから、もう一度弾かせたら、結果はかえって悪かったのだ。これを、どう考えるのが妥当なのでしょうか?
僕が余計なことを言ったために結果が悪かったのだから、これは意識しないほうがいいのか?
いや、そうではないと思います。この弟子は、要するに行為はしたものの、加減がコントロール出来てないわけで、その分量をコントロールする練習(何度も同じ結果が出るように)をまだまだやらないと、本物ではないということです。
いやあ、僕もその昔こういうことを何度もやったのでしょうが、子供にしたら、どうして出来ることを何回も何回もやらなくてはいけないのか理解できないし、また精神的苦痛を感じるところだと思います。

僕は、どちらの回路(意識・無意識)を使っても、結果に違いが出ないところまで突き詰めることが、本物になれるかどうか?という話になるのではないかと、思うのです。
そうして、いろいろ考えて出来たことが、いつの間にか考えなくてもやっている(出来ている)状態を自分自身で感じることが出来れば、ようやく会得したと言っていいのでは?と思うのです。

 
長文で失礼しました。

ではでは

災難から喜びへ、でもまた?

2011年02月24日 10時00分00秒 | ぼやき
そういえば、報告するような話ではないかも知れないが、娘が日曜日に「水疱瘡」にかかった。

この日は急遽、家族で(両親も)僕の一日早い誕生日の食事に出かけた。
買い物も大急ぎで済ませ、夕方から行きつけの中華に行った。
しかし、何故か娘の食欲が無い。
こういう時は何かあるもので、案の定、家に帰って急ぎ風呂に入れようとしたその時、
「水疱瘡だ!」と嫁の叫びが。
急ぎ、僕と自分の過去の確認(妊婦なもので)を急ぎ親に電話で尋ねるものの、あちらも大慌てで「母子手帳がさて、どこにあるかなあ?」という感じ。多分かかっただろうとのご意見。
不確実な確認で心配が無かったわけではないが、娘が次第に高熱を発する。
自分たちの心配なぞ吹き飛び、一晩心配な夜を過ごすことに。
次の日、病院でばっちり宣告を受け、治療が始まる。

さて、それから二日たち、遅れていた誕生日のケーキを焼いてくれた。



紅茶シフォンケーキです。僕が言うのもなんですが、結構本格的な味なんですよ!

さて、その翌日の朝、食洗機の中身を出していた嫁が悲痛の顔をして「あ!」
大事にしていたカップとボウルが欠けたりヒビが入っていたりしていたのでした。

どうやら、それを仕掛けた僕のせいで、災難が降りかかったのでした。

そうして、昨日は一日中家の中はブルーなのでした。

やれやれ、悪夢よ早く去れ!

事始めとおまけ

2011年02月22日 09時00分00秒 | 家族タイム
ついに念願だった?チェロの手ほどきを始めることになりそうです。



以前から、たまに「パパのブンブンをやってみたい!」と言っていたのが気になっていたので、意を決して娘に与えてみました。

といっても、お弟子さんに借りたチェロは1/8だったのですが、予想を外れてサイズがひとつ小さかったようで、家にあった1/2も出してみたら、今度は大きすぎてダメでした。
ということで、今度1/4をどこかから借りてみようと思います。

"大器の予感" を感じるでしょ! とは、嫁の談。

皆さんには、どのように映るのでしょうか?

もう一つは、謎の遺跡の空撮か?




娘と一緒に入った、保育所の砂場で遊んでしまった53歳になったばっかしのパパの作品でした。

失礼しました


ではでは

NHK文化センターの新学期の講座について

2011年02月20日 10時00分00秒 | いい話
ホームページでもお知らせしておりますが、今度、4月からのNHK文化センターでの講座が内容が大幅に変わります。

タイトルは「バッハの無伴奏、みんなで弾けば恐くない!」

無伴奏を独りで弾いても、音を並べるのもなかなか様にならず夢のまた夢のような存在になってしまっている方。
また、一応楽譜は弾くことは出来るけれど、エチュードのようになってしまって、なかなか人に聴かせられる程度まではなってない方。

基本、アマチュアの方を対象にしていますが、バッハの無伴奏を聴かせるバッハにしていく作業の手助けになれば幸いです。

まずは第1番に取りかかろうと思っています。

音楽を複数のパートに分解し、分業して合奏し、そこに存在するあるべき音を、少しでも楽に再現することに挑戦します。

では、ご興味のあるかた、ふるって講義を受けに来てください。

某収穫団体の方々、いかがですか??

ではでは

今日は娘の幼稚園での発表会

2011年02月20日 09時00分00秒 | 家族タイム
今日は娘の通っている我が「可部幼稚園」での音楽発表会でした。




幼稚園の講堂にはたくさんの父兄や親族の方々で入りきらないほどの盛況で、すごかったです。

年少、年中、年長の園児を半分に分けて午前の部、午後の部と朝8:45から夕方5時まで、昼の休憩1時間あっただけで、びっちりありました。

内容は、音楽発表会だけに、ピアニカ、太鼓、カスタネット、鈴、シンバル、歌などでの演奏もあり、音楽に合わせて踊りを披露したり、「一寸法師」「浦島太郎」「白雪姫」などの劇を演じたりと、盛り沢山でした。

みんなとてもよく練習していて、間違えてしまったりすることも、ごくまれにあったくらいで、時間を忘れて楽しむことが出来たことは他でもない、それを指導して下さった先生に感謝しないといけません。ありがとうございました。

また衣装の出来栄えが本当に素晴らしく、舞台映えする生地を選んでいると思われるのですが、事の詳細は当事者の先生に聞いてみようと思います。

最後に、一番偉かったのは、言うまでもない園児の皆さんですよね。
ちなみに、うちの娘もよくがんばりました

ではでは




嬉しいプレゼント

2011年02月15日 12時38分10秒 | 家族タイム
ちょっと自慢させていただきます。

先日2月13日。そう、バレンタインデーの前日、娘と嫁が共同作業でこのクッキーとマッフィンを作ってくれました。

マッフィンは甘さ控えめ、クッキーは適度に甘いところとそうでないところがある、手作りならではの添加物が一切入ってない、愛情を感じるプレゼントをもらいました。



クッキーはよく見ると、デコレーションに結構手がかかってます。

娘は、割に手先が器用なようで、細かいことが出来るし、またこだわりが結構あるのです。(誰に似たのかって? 多分、両方でしょう。)
また、クッキーもマッフィンも、バンホーテンの缶入りをこの度買い求めたようで、それから作ったようでした。ですから、甘さの調整も自由自在だったわけです。

いやあ、世の中にはゴマンとあるこの時期のものですが、やっぱり手作りには所詮、敵わないのです。

作った日は、家の中がどこかのお菓子屋さんならぬ甘~い香りが充満していて、その晩のメニューが和食だったのが意外な展開で、鼻と舌がバラバラな感じがして面白かったです。

ところで、肝心のお味のほうはどうかって? 

そんなあ、美味しいに決まってるでしょう。

以上、セルフ突っ込みと報告でした。

あ、ちなみに皆さんはどうでしたか?

良かったら誰かコメント下さいな

ではでは

ざぶとんコンサート行ってきました

2011年02月14日 09時00分23秒 | コンサート
昨日は、呉の曹洞宗「神応院 」さんの涅槃会の法要の中の「ざぶとんコンサート」に招かれて演奏に行ってきました。



実は10年くらい前に一度演奏に行っていたので、二度目になります。

例によって話も交えて1時間ほど演奏してきました。

ベートーヴェン作曲 モーツァルトの歌劇「魔笛」より12のバリエーション ヘ長調
グラズノフ作曲 「吟遊詩人の歌」
ハーバート作曲  チェロ協奏曲第2番より第2楽章
ドボルザーク作曲 「森の静けさ」
シューマン作曲  「アダージョ&アレグロ」

という内容でした。この中のハーバートだけ初めて演奏する曲だったので、YOUTUBEで探したらすぐに見つかり、おまけに楽譜まで手に入ったので、今回演奏することが出来ました。
なかなかいい感じの何か映画の1シーンでバックで使えそうな、ムードを持った曲ですよ。
アンコールピースに加えてもいいかな? と思います。

ところで、この日はお寺の行事としては「涅槃会」(ねはんえ)お釈迦様がお亡くなりになった日を偲び、その残された法ーーー仏教のお経にたくさんのお話がありますが、そのひとつずつが、全てお釈迦様とその弟子との問答になっていて、いろんなことに対して諭されたりお勧めされたり、悟りの世界から見て我々に解るように、方便(譬え)を使って話されているのです。亡くなる前に弟子たちに「我なきあとは、法をよりどころにし、なんじ自身をよりどころとせよ」「弟子たちよ、諸行は無常である。怠りなくつとめなくてはならない」これが最後の言葉だったそうです。ーーーのことを改めて思いめぐらすことが、大事なことだと思います。

本堂の内陣に掛けてあった「涅槃絵」です。



僕は、コンサートの曲にはあまりそのことを意識していなかったので、せめてアンコールの時くらいはお釈迦様に向かって演奏をしたいと思い、献奏したのです。
バッハから5番と4番のサラバンドを弾きました。

あまり馴染みのない曲が並んでいた割には、拍手が暖かく感じることができたのは、気のせいかな?

演奏後は、そこのお寺の寺族の方々と、懐かしい話を沢山させていただき、帰路につきました。

実は、ご当地もので「鶴屋安芸」という饅頭屋があり、これを買って帰りましたら、両親は痛く喜んでおりました。みなさんも、呉に立ち寄った際は、どうぞ一度食べてみんさいや!

ではでは






家たこ焼き屋

2011年02月12日 11時00分00秒 | 家族タイム
昨日の昼は、家たこ焼き屋を開店したのだ。

といっても、我が家ではまだ2回しか開店していない。昨日はその第2回目の開店日だったのだ。前回僕は高校生以来やってなかったたこ焼き返しをやってみた。
意外と上手く出来た記憶があったが、昨日はそうはいかなかった。
何しろ、昨日は最初からやったのだ。そう、溶き汁を入れるところから。
ここで、失敗をやらかしてしまった。丸い穴の一杯まで入れてしまった。
ここまでの状況で、このことがこの先どう展開していくか判る人は、かなりの熟練者です。
そう、このまま作っていくと、大きいのが出来るのは一見良いとも思えるが、実はこれでは中が詰まった感じがして、もそもそ感と腹一杯感で冴えないのだ。
やはり、中トロトロ、外カリカリなものでないと、通はウンと言わない。

でも、なんだかんだいっても、やはり出来立ては美味しいらしい。横の娘を見てください。



ホントは3回戦までいくつもりだったようだが、僕のせいで2回の表で汁を殆ど使い切ってしまい、その裏を見せられない状況に。



上手く隠して撮ったでしょう?


実は、長いこと大阪に通っている間に、結構なたこ焼き通になってしまったかもしれない。

この次は、もう少し腕上げるぞ!


男の性(さが)

2011年02月11日 09時00分18秒 | 戯言
そういえば、少し前の事になるが、食卓の上に長いこと気になるものがあった。



どこかの口紅の宣伝の写真なのだが、男から見るこの手のものは、どこか頭の中の何かの中枢をくすぐるのだ。
口がちょっと開いているところが、何か求めているように見えるのは、男の性なのだろうか?
でも、対象は女性なのだから、女性はどういう観点でこの手の広告を見るのだろうか?

嫁さんに「何かそそられるねえ?」と言ったら、すかさずやった。

嫁さんの唇には面白い筋肉がついていて(歌い手の性か?)、人間離れした唇の形が出来たりするのだ。
ちなみに、娘も出来る‥恐るべし!遺伝子(*_*)
その特殊唇の筋肉を駆使して、何とか写真のものに似ようと頑張ったが、どう見ても水族館で見る大型の魚にしか似てなかったので、
「それじゃあ、そそられるというより、旨そうに見えるぞ!」
といったのだが、「旨そうだから食べてしまいたい!」
といってやったら、どうなったんだろうか???

いや、朝から失礼