つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

楽しい&美味しい

2010年12月29日 09時00分34秒 | コンサート


そして、クリスマス当日のイベントは、これ!

そうです、親子でケーキやらクッキーやら、何とも楽しそうに作ってました。

部屋がお菓子やさんにでもなったような、いい匂いにしてくれました。

いやあ、クッキー皆さんにプレゼントしてあげたかったなあ〓

ではでは

ならなかったホワイトクリスマス

2010年12月27日 18時13分58秒 | 家族タイム




そういえば、12月24日は世の中がある意味一色になる特別な日でしたね。

さて、我が家は仏教のお寺ですから、建前的にはクリスマスは関係ありません。
しかし、子供は(いや大人も)やはり世の中の流れに乗りたいらしく、家のあちこちに可愛らしい置物や飾りつけがしてあります。

とくとご覧あれ!


3人のおさらい会

2010年12月22日 09時00分12秒 | コンサート
僕のところには現在お弟子さんが4人います。
小学生が2人。中学生が2人。
でも、ひとりが受験勉強のために辞退したため3人だったのです。

一年に2回くらいはおさらい会をやってあげないと、日頃のエチュード(練習曲のこと)ばかりでは退屈すると思い、ピアノとの合奏があったり、僕との2重奏をさせました。



まあ、こういうプチ本番は、レベルや本人の素質により出来不出来が出ますが、大事なことは、人に見られることでいつもとは違った緊張を感じて、それに対してどう反応が出るかがひとつ目。また、父兄同志が刺激を感じて自分たちの位置を確認すること、これも大事でしょう。

なかには、僕に対しての態度と、僕の嫁に対しての態度が全く違う父兄もいて、あとから「こうだったのよ!」なあんて聞かされると、何だかマンウォッチングしているようで、いろいろ参考になり、これまた面白いです。

ではまた

世界を見る会、終わりました

2010年12月21日 12時30分08秒 | コンサート
もう、10日以上前になりますが、「世界を見る会」という僕の少し先輩のおば様、おじ様たちの、年に一度の食事会で演奏をさせていただきました。

その団体のトップの先生がNHKカルチャーで英語の講師をされている先生で、なんでもイギリスにご縁が深い方で、会の中にもいろんな分野での国際色豊かな感じが伝わる、ちょっと高尚な感じのする会でした。

コスタリカ?から、可愛い高校生も中に混じっていましたねえ。
最初国の場所が分からなくて、あとからパナマ運河のある国の隣の国だということがわかりました。

演奏した曲は、年齢を考えて、どちらかと言えばゆったりとした感じのもの主体で選びましたが、かえってそれが良かったようで、お帰りの際、皆さんのお顔がほころんでいたのが嬉しかったですね。

予想通り、調子に乗って僕が少し話が長かったようで、予定の時間をかなりオーバーして終わったのでした。



ではでは

初、親子共演

2010年12月20日 22時55分51秒 | 戯言
ついに実現したのです。

それは、ある日のこと、僕がチェロを出し指慣らしを始めた時に、娘が乱入してきまして、こちらもさほど練習に本気でなかったので、娘の要求を呑んでやりました。

「じゃあ、私がピアノを弾くから、パパはレッスンして下さいね!」
(※レッスンとは、チェロを弾くこと)
「いいけど、曲目は何ですか?」
「そうだなあ、鯉のぼり!」
「はい、では合図をお願いします。」





どこで終わるかな?と思って気にしていたら、何となく気配がしてきて、一緒に終わることが出来たのです。(快挙。自画自賛

ところがそのあとには、びっくりの「パパのチェロ弾きたい!」「大丈夫だから弾かして!弾かして!」と、娘の Going my way には参るのです。

それで、結局ピチッカートならということで、許してやりました。(右手のみ) 「ブンブン、ブン!」僕に似てずんぐりした手は、4歳とは思えないほど力持ちで、いい音が出るんです。

実は1/8のチェロを買ってやるかどうか、思案中なのです。

ではでは

感動しました(その3)

2010年12月12日 12時10分16秒 | いい話
その2からの続き

その後先生は立ち直り、以前のように診察をしていた。

残された子供も、気がつけば中学生くらいにまで成長した頃、誰もいない診察室に置き手紙をして、出ていく。

「僕は此処にいてはいけない人間だということがわかったんです。長い間ありがとうございました。」

という感じの内容のものでした。

その後、年月が立ち、先生もすっかり白髪になったある時、ひとりの黒人男性が診療所に現れる。しかも、親子連れで。

そう、あの時、不幸を背負って独り出ていった、あの黒人の男の子でした。

涙の再会を果たした笑顔の裏に、いったいどれだけの悲しみや不幸を見て体験したのか。

沖縄の現実を少しばかり垣間見た思いがした、感動のドラマでした。

日本テレビの方に、感謝感謝!


ではまた

感動しました(その2)

2010年12月12日 02時39分54秒 | いい話
その母親の行動は、悲劇的幕切れを迎える。

ある日、先生の診療所に、奥さんが緊迫気味で置き手紙を持ってくる。
遺書めいた内容であることは、すぐに分かった。
先生は、即座に自転車で母親を探しにいくが、見つけたときには最悪の光景を目にしてしまう。先生はその亡骸に「なんで! なんで!」と泣き崩れる。
が、しかし、運の悪いことにそこに、軍のMPがパトロールに来てしまい、連行されてしまう。

先生はこのことがきっかけで、自分のこれまでにやってきたことに終止符を打つ決意をするが、そのことを聞いた奥さんは先生に言った。


あの妊婦とあなたが、診察とは別に、度々親密にいろいろ相談していたことを、知らないとでも?
生活が苦しくても、子供たちの前では、明るく振舞って頑張っていたこと。

それでも、あなたが一生懸命に朝から晩まで走り回って、島民のために診察をしている姿を見て、立派なお医者さんの嫁として良妻賢母を演じていたんです。

でも、あなたが先生を辞めるのなら、私もあなたの嫁も母親も辞めます。ただ、これだけは伝えておきます。
あなたのところに来られる患者さんは、みんなあなたを頼りにしていますよ。
あなたの笑顔を見たら、それだけで病気が良くなるって言ってます。現に町の病院で余命3ヶ月と言われた方も、あなたのところに来るようになって1年以上生きながらえたじゃないですか。

などと言って、先生を元気づけた。
そこに、患者たちがぞくぞくと集まってきて、先生を励ます。最後に先生の応急かばんを「みんなからです。先生にはそれ相応のかばんを持ってほしいから」と言って渡す。

つづく

感動しました(その1)

2010年12月10日 08時30分00秒 | いい話
昨夜、日本テレビ系のドラマで「ニセ医師と呼ばれて」だったかな?
沖縄に医介輔という正式に医師免許を持っていないが、地域の住民のために尽力をつくしたという「せんせい」と呼ばれたある実在したひとのお話。

この人は、戦時中仲間が次々に死んでいった中、独り生きて帰った方でした。
だから、自分がひとり生かされたわけが、人の命を救うことをしなさいということなんだ、と。

そこに、ひとりの妊婦が尋ねて来て、ある悩みを打ち明けた。
少し前に黒人のアメリカ兵にレイプされたというのだ。
だから、胎ろしたほうがいいのか? でも主人の子供かも知れない。主人も子供が生まれてくるのを心待ちにしているし、自分も産みたいが、どうしたらいいか、わからない、と。

先生は「胎ろしたほうがいい」とは言わない。なぜなら、お腹の子供には罪が無いはずだと。 でも、妊婦は最後まで悩む。先生は「大丈夫。もしもの時は、自分が責任を持つと言う」

とうとうその日が来た。陣痛が始まった妊婦が担ぎこまれる。しかし、産婆さんは他の出産でつかまらないので、先生が自分で立ち会うことに。 妊婦は陣痛の中でも、最後の踏ん切りがつかず、いきみに力が出ない。先生の「大丈夫。」に後押しされ、ようやく出産…。

しかし、先生の顔色がすぐれない。そう、レイプしたアメリカ兵の黒人の子供だった。

妊婦は泣き崩れ、夫は怒りまくり、先生は何とかなだめて仲裁に入るが、結局夫は島を離れる。妊婦は親族に呆れられて行くところを失い、先生のところに身を寄せる。そのシーンのなかに決定的なところがあった。

赤ちゃんがお母さんのおっぱいをせがんで泣いている。
しかし、母親はそれに応えてやれない。
母親は言う。「本当は、一番幸せな瞬間のはずなのに、なぜ、こんなに悲しいの! 愛情いっぱいに赤ちゃんに接してあげたいのに、それが出来ない。なんて不幸なの! 」

そこでも、先生は「この子にはなんの罪も無いわけだから。この子にとって、母親はあなたしかいないのだから。」と言う。

しばらくのちに、母親は泣く泣くおっぱいをあげる。

つづく



松の病気

2010年12月09日 09時10分18秒 | 戯言
この前、お寺の庭に鎮座している松がどうもおかしいと思ったら、親父も既に気がついていて、葉っぱの下側が茶色になって枯れてしまってました。

松食い虫かな?と思いましたが枯れ方が違うし、インターネットで調べましたがよく判らず、福井県のとある庭木の会社に、直接電話しました。
そうしましたら、丁寧に駆除の仕方を教えて下さりましたので、早速ホームセンターに飛んでいき、道具を揃えて準備万端、さあ取りかかれ!
と思ったのは良かったのですが、実は、いざ作業を始めようと思ったら、事前に下準備することだらけで、とうとう三日がかりでようやく終了となりました。

でも、その甲斐あって松は元気な色になりました。

詳しいことは、お寺のブログを読んでくださいね!

ではまた