つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

作務衣?

2008年11月29日 13時44分18秒 | Weblog


この前、知り合いの床屋さんに行ったら、髪を切る代わりに、作務衣を着せてもらうことになる。
実は以前から、一度コンサートで着て出られたら? と、勧められていたのであった。

後ろ姿はこんな感じ。。



皆さん、どう思います?

コメントくださーい!

ではまた

意外と美味い

2008年11月24日 01時17分49秒 | Weblog
今日は、僕にとって初物を食べた。
博多の知り合いから嫁あてにもらっていたので、今晩分けてもらう。
食べたのはイラン産のもので、日本のものとは味が違うらしい。
意外と甘く、僕はヨーグルトと一緒に食べた。
「なかなかいけるじゃん!」
ただ、一抹の不安が頭をよぎる。
今までの経験だと、初物を食べると、必ずお腹を壊すのだった!
うーん、明日が怖い!

お知らせ♪

2008年11月21日 16時29分51秒 | Weblog
10月頭に出演した、桐朋学園チェログランドコンサートのTV放送日が決定しました
NHKです。
11/28(金)6:00~6:55 BS-hi
12/5(金)13:00~13:55 BS-hi
1/29(木)10:55~11:50 BS-2

曲目は、カザルス作曲「サルダーナ」
    バッハ作曲「シャコンヌ」
    チャイコフスキー作曲「弦楽セレナーデ 第1,3,4楽章」

です。
日本を代表するチェリストの大集合です!
どうぞご覧下さい。

お知らせでした。

おわった!

2008年11月15日 02時51分42秒 | Weblog
先日、今回のリサイタルのツアーが、最後の本拠地広島で無事終わった。
地元でのリサイタルは、何とも言えないプレッシャーがある。
そのひとつは、わりと耳の鋭い親族がいるからだ。
またあるいは、知り合いへの面子かも知れない。
だって、たまたま別の用事で日本に来ているイギリス人の御一行さん25人を連れて来てくれた知り合いもいたりするから。

でも、本番のあと、ニコッとして「今日が一番良かったんじゃないかあ?」
と、岡原さんが言ってくれたことで、ふうーっと開放された。
お願いしたことは、間違いじゃなかったと。

さらに、今回いろんな公演地で、アルペジオーネが「良かった!」と言ってもらえたことは、リサイタルを計画し始めてからの色々な試行錯誤の方向が間違いではなかった、という証しでいいのかな? と、自分に拍手してあげたい。

P.S. 先日の韓国の青年の名前を教えていただいてありがとうございました。

では、ひとまず今日はこれにて!

ママふり

2008年11月11日 02時11分16秒 | Weblog
我が家には、「ママふり」という名のふりかけがある。
なんのこっちゃ!?という名前だが、このふりかけ、とてもおいしくて我が家で大人気
毎朝かかすことのできないふりかけなのだ。
このふりかけは、実は嫁さんのお母さん、つまりお義母さんの手作りふりかけで、「錦松梅」という本名らしい。
ママが作るふりかけ、ということで「ママふり」と嫁さんが命名。。
我が家がお気に入りだということを知り、お義母さんが帰省の度にせっせと作って持たせてくれる。
だが、そのふりかけも段々底をつき、娘がおねだりしてもあげられない状態になってしまった。
そこで嫁さんが一念発起!お義母さんに作り方をFAXしてもらい、いざ挑戦
で、このように大成功のふりかけが出来た
出来立て熱々のふりかけをオニギリにまぶして3人でフーフー言いながらほおばった
何でも出来たては旨いなあ

ぐるぐる会サロンコンサート

2008年11月11日 01時40分54秒 | Weblog

11/8(土曜)
僕の広島の知り合いの中でも、とっても笑顔がステキなおじさんであるKさんからの、たってのお願いでもあったサロンコンサートに出かけてくる。
市内のIさん宅であった。
とてもステキなお宅で、また皆さん笑顔がステキな方々に囲まれてのコンサートとなる。
一緒に若いピアノ弾きを連れて、僕の嫁さんも何曲か歌った。(実は歌手でもあります)
まずは、僕がボッケリーニのソナタ第6番、バッハの無伴奏から第2番の抜粋で始まり、ちょっとティータイムの後に、日本の歌曲、ピアノのソロと続き、また僕がいろいろ小品を弾いた。
皆さんは、僕のコンサートには何度か聴きに来て下さっていたようだが、間近で演奏を聴いた(見た)ことがとても良かったようで、最初は硬く見えた表情も、終わり頃は満足の笑顔になっていた。
お客さんはこんな感じで聴いてらっしゃった。

僕も、この手のコンサートは以前から依頼さえあれば、出かけて行こうと思っていた。
サロンコンサートのご依頼は、お問い合わせまで。

明日は晴れるかなあ?

2008年11月10日 03時19分23秒 | Weblog
せっかくのオフの一日だったが、あいにくの天気。
沙那は朝から風邪気味で、遊ぶ計画は順番に潰れていく。
仕方が無いので、掃除や野暮用をすることに。
で、先の計画のことで妻とちょっとしたやりとりがある。
一気に沈んでいった。
しかも、いちど沈むとなかなか浮かんでこれない。
どうしようもないので、散歩に出た。
例の散歩道を歩くと、あいつに出逢う。
少しずつ元気になる。
なんとなく、なぐさめてくれているようだ。
身体の中に、少しやる気が出てくる。
帰りに、捨ててあった自転車を見て、どうにかしてあげようと思い、警察に届ける。
すぐに、持ち主から連絡がある。
随分前に盗難にあったけど、届けていなかったそうだ。
感謝の声。
これで、少しだけどこかが晴れた。
ただいま。
あれ、返事が無い。
どうやら、思いのほか傷は深いようだ。
失意の一日は、添い寝で終わった。


ちょっといい話

2008年11月08日 07時04分33秒 | Weblog
このところ、法務(お坊さん)で門徒の方々に報恩講(ほうおんこう)のお参りをしています。
その時に、法話というのをしていますが、その中での話です。

以前、東京の山の手線の大久保駅だったか、韓国人の青年が駅のホームから転落した人を助けようと、電車が来ているにも関わらず、とっさに飛び降りて亡くなった、という話がありました。
この話は、結構人々の記憶に残っているのですが、何故でしょう?
多分、なかなか出来ることじゃないですよね。
あの行為は、仏教的に見たら、菩薩の行のひとつに布施というのがありますが、正にそれを身をもって示したということになるのではないかなあ?と僕は思うんです。布施の行の中で最も優れたものが、他の命のために自分の命を捧げる、という行為なのだそうです。

そういえば、うちの幼稚園に仏参というのがありまして、児童がお寺の本堂にみんなでお参りをします。
その時に、住職がみんなにお話をするんです。
多分、僕のじいちゃんが話してくれたなかに、こんなのがありました。
あるひとが森を歩いていたら、何日も何も食べてなくて、飢えで今にも死にそうな動物がいたのです。それを見たこの人は、「かわいそうに! あなたはこのままではもう死んでしまいまいますよね。それじゃあ、どうぞ私を食べなさい。」
と言って、すすんで自分の命をその動物に捧げた。という話です。
この行為は、「とても尊い」ということを解ってもらうのが肝心なわけです。
誰でもが出来ることじゃない。
もし自分だったら、どうするでしょう?

全ての生き物の中で自ら死を選ぶことが出来るのは、多分人間だけです。
普通は、生きようとすることはあっても、死のうとするものはないはずです。
でも、人は何か理由があって死を選ぶ場合がありますよね。
一人で死ねば自殺。二人で死ねば心中。複数で死ねば集団自殺。
また、世界で今も起きているテロの事件での自爆テロ。
でも、これらの死に対して、人は決して「尊い」とは言いません。
もっとも、イスラムの教えに則っての自爆においては、神の思し召しによっての死という考えなら、「尊い」と本人も思い、すすんで死んでいったかも知れません。でも、親はどうでしょうか?
また、理由無く殺された人の家族、友達はどう思ったらいいのでしょうか?

先ほどの韓国の青年は、今何処におられるか知る由もありませんが、多分この生を受けた時、既にかなりの徳を積んで生まれられ、あの事件は更に高いところに行くための「布施の行」をされたのではないのかなあ? と僕は思います。

涙にもいろいろありますが、この手のはいいですよね!

南無阿弥陀仏

P.S. どなたか、この韓国の青年の名前を知っている方おられたら、教えてくださいませんか?

おわり