つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

つれづれ話

2010年03月27日 06時47分31秒 | Weblog
おはようございます。

今朝は早起きして書いてます。
こちら、夜中に-3℃まで下がったようで、外は霜が降りてます。
まだまだ春は来ないですねえ!

さて、最近の動向としては、先日宗教関係の雑誌「大乗」から、取材の依頼を受け、京都からお二人の記者の方が寒い雨の中来て下さり、3時間ほどいろいろ楽しくお話させていただきました。
内容が、宗祖親鸞聖人についての事柄が多かったので、ちょっと構えてしまいましたが、インタビューを受けているうちに、何だか楽しいお話を一杯してしまい、あとから補足の必要が出てしまいました。ということは、記者の方がすべったのか、僕の話が面白すぎたのか、どっちだったのでしょうか?

まあ、どっちでもいいんです。楽しくお話が出来たことが一番です。

その次の日、一通のいかめしい手紙が、何と!本山から届きました。
裏を見たら、「本願寺宗務所、内事部」と書かれてありました。

嫁と、「何だろうね!」「本山に勤務して下さい、何てあったりして!」
と要らぬ皮算用をして、その手紙を開けました。

中身は? 先日広島で御門主(うちの宗門の一番上におられる、親鸞聖人の血を引いておられる方になります)にお逢いした際、僕のバッハのCDを差し上げたそのお礼を、立派な書状で戴いたのでした。

いやあ、手紙を開けるまでのちょっとの間、ホント緊張したなあ!

そして、その夜、市内のとある「○○曲」という喫茶店で、僕を囲んで関係者(ファンの方)とあることないこと一杯、語らってきました。

何をしゃべったか内容は記憶にはないものの、自分の中では最初のころにしゃべった内容と、最後のほうにしゃべった内容が、めずらしく繋がりが見えて、割と冴えていた感じは覚えているのですが…。

何と、気がついたら6時間もの間、話し込んでしまい、最後は壊れたトイレついでに直して帰ったのでした。(そういうの、結構得意!)

ではでは

道(連載もの)その2

2010年03月23日 00時43分35秒 | Weblog
そういえば、僕がチェロを始めるきっかけは、親父の存在無しに語れないわけで、そこから語る必要があるのかもしれない。

親父がかつて何を考え、今どう思っているか、なぞ、あまり本人から聞かされていない。(これは、ごく一般的なことかもしれないが)

僕の知っている範囲でのことだが、どうやら若い時に家にオルガン、ヴァイオリンなどはあったようで、独学でいろいろやっていたようだ。
しかし、いざ本格的に勉強しようと思うとお金もかかるし、親の理解無しに出来る代物じゃない。

ところが、親父は三人兄弟の長男ではあるし、(ということはお寺の跡取り息子なわけで)それが訳の分からん「クラシック音楽」的なものに理解が得られなかったらしく、(時代的に無理もないとは思う)志し半ばで一旦は音楽家への道は断念せざるを得なかったのだと思う。

そのことは、僕が生まれ、僕の成長と共に新しい芽として温かく? 育まれていくことになる。 最大の観点は、親の理解!  これに尽きるのではないだろうか。

幸い、その頃、広島に斎藤先生を始め、井口愛子先生ら桐朋学園の創始者を広島に招き、東京と同じレベルでのレッスンを、広島で受けることが出来るようになったのだ。(このことの裏にある方の献身的貢献があった。これは、また改めて話そうと思う) 

僕はその頃8歳。既に親父から音感教育を受けていて、それなりに可能性を秘めていたようで、親父に聞いたところ、まず自分が勉強したかった。そこに、ある意味いい実験台がいたと言うこと。(これが僕のこと)

そうして、斎藤先生のお見立てによれば、「手がチェロ弾きにに向いている」ということで、その日から僕はチェロ弾きに進むこととなったのだ。

ただ、ちょっと不幸だったのは、その日から僕に「日曜日」が無くなり、親父は「おとうちゃん」でなく厳しい先生の分身のようになってしまったことだ。

そう、「スパルタ」だった。

つづく

親鸞さまにであう集い (つづき)

2010年03月22日 08時04分41秒 | Weblog
前回からの続き

その曲決めの際、詩の長さに合わせて、バッハの組曲の繰り返しをどうするかが、結構難しい選択でした。早く終わりすぎてはいけないし、といって詩が終わっているのに曲がまだまだ終われないのでは、これもダメ。

ということで、本番どのようになっても対処できるように、ある程度の予測を立てておきました。

その甲斐あったかどうか本当のところは判りませんが、殆どの方が僕の予想より結構早めに読まれたため、何曲かは本番中に急遽予定を変更して、繰り返しを二回予定のところを一回に変更し、後半のテンポを遅めに取って、詩の最後のひと下りのところで、上手く終わりを合わせることが出来たのもありましたが、あるかたの時は、全く曲の途中で詩が終わってしまいそうになり、その際はフェイドアウトして終わりにしたりと、結構苦労しました。


その集いが無事終わって、いろんな方から良かった(リハーサル何回かやったのでしょう?。大変でしたね!)等と言っていただけたので、先ずは善しとしましょうか。ちょっと興味があるのは、その朗読をしていただいた役者の方々はどのように感想をお持ちなのか、まだ突き止めていません。
また、そのことが判明したら、お話します。


そのあと、レセプションがあり、幸いなことに、テーブルがご門主さまと近くでしたので、少しだけお話しすることができたのです。
その際、とても嬉しいお言葉を頂戴したのですが、これは残念ですがオフレコということにさせてください。


ではまた

親鸞さまにであう

2010年03月21日 19時41分43秒 | Weblog
さて、そういえば、3月3日に「親鸞さまとであう集い」という我が宗派の催し物に出演しましたが、その時のことを少し話しましょう。

その時は、テーマが「命のつながりを大切に」ということで、いろんなところから公募した中から選ばれた幾つかの詩の朗読に、バックでチェロを弾いたのでした。(決してBGMではなく、言葉と音楽の語り合いという感じ)

その詩を朗読されたのは、プロの役者さんたちでした。
その方々の中には、音無美紀子さん、川崎麻世さん、中山仁さんらの御面々がおられました。

元々、翌日から別のお芝居の「善人なおもて往生をとぐ。親鸞、わが心のアジャセ」があり、そのリハーサルの合間にこの詩の朗読の本番があったので、ろくにリハーサルも出来ないことが判っていました。

その、沢山の詩の中から、裏でバッハや無伴奏の曲がマッチするものを選び、半ば強制的に「この詩の裏でこういう曲が流れますので、よろしく!」という感じで、皆様に事前にCDを送って、イメージを作っておいてもらいました。


つづく

すっかり良くなりました

2010年03月20日 02時34分41秒 | Weblog
読者の皆様

このたびは、我が家の惨事を報告したため、皆様に多大なご心配をおかけしてゴメンなさい。

ここにきて、一家のばらつきはありますが、ようやく治ってきました。
僕が一番良好で、次に嫁さん。最後が娘の順です。
それにしても患ってから完治するまで、長かったです。
おかげで、またしても少しやせました。
お酒の解禁は、もう少し先になりそうですが、早く花見の時期までに治さないと、いろいろなイベントの予定が立てられなくなりそうで困った。

では、おやすみなさい

道(連載もの)全6回?くらい

2010年03月16日 12時02分08秒 | Weblog
僕が桐朋学園の学生だった頃、酒をかわしながら、先輩に気になるひと事を言われた。

「秋津、お前はいいよなあ。お前、実家がお寺なんだろう。それならチェロがだめでも、食いっぱぐれることはないもんなあ!」と言われた。

この頃は、自分はソリストになることを、ただひたすら夢見てたし、ダメだったときの事など、全く考えたこともなかった。

しかし、おぼろ気ながらに、自分が長男なら寺を継いでいかなきゃいけないんだろうに、一生懸命やっても、いづれはお寺を継ぐ時期が来たら、チェロは辞めなきゃいけないなら、何だか先々暗雲が垂れ込んでいるような、いまいちすっきりしない空を見ている気がしていた。
また、先輩からどう見られているか知ることとなり、「どうして自分はお寺なんかに生まれたんだ。普通の家に生まれてたら、自分のやりたいように将来を考えられたのに」と、自分の生まれた境遇を卑下したりしていた。



つづく

しつこいやつ

2010年03月15日 10時14分10秒 | Weblog
今回の風邪は、まれにみるしつこさである。

一家全員、ゴロゴロ、コホコホ、ゴホンゴホン!と咳まくって久しいのですが、未だに娘はゴロゴロやってるし、嫁さんも僕も回数は減ったけど、まだ発作が出る。

この時期、ご多分にもれず、花粉症アレルギーも気にしないといけないし、薬を風邪と二種類飲むことになるわけで、ややこしいのである。

そこにさらに、結膜炎に掛かってしまい、片目が真っ赤になってしまう。

治療にはアレルギーのものと同じ目薬と思いきや、どうも違う薬なので、それ用のものを出してもらい、それがようやく治りかけたので、アレルギーのものに切り替えていいかな?
と思ったのも束の間、今度は反対側のしかも半目だけが充血してしまい、また後戻りして結膜炎の治療に!
そんな僕は、昨日より博多にレッスンに行き、出で立ちも、黒いコートにマスク。充血した目に茶帽子、茶マフラー。

いかにも病んでいる人なのだ!


ううん、まだまだティッシュが離せないのだ。

緊急報道!?

2010年03月10日 15時47分44秒 | Weblog
このところ、天候不順の大荒れの天気が続いているが、小生のここ最近の体調も、うちの家族を取り巻く環境も大荒れなのである。

まず、先月のトリオのコンサート以来、独りでティッシュ一箱使いきったか!というほど、身体中の膿が鼻から出た!(汚なくて失礼)

顔の内側のいたるところにその膿が溜まったらしく、眉毛の上辺り、こめかみ、鼻の脇、耳の下にまでに至った。

その何とも言えない不快感!

吸入器でズズーっと吸い出して欲しかったが、薬を飲んでいても、何日間かは一日中鼻は使用不可???だった。

そのお蔭で、近くの耳鼻咽喉科に行って診てもらったら、「秋津さん。ちょっと蓄膿気味ですよ!」と宣告される始末。

まあそれも、ようやく終焉を見たかな? と思ったのも束の間、今度は娘が貰ってきた、有難い新手の風邪小悪魔に、まず嫁が手にかかり、続いて今朝から小生も殺られることに!

この一家全滅の危機を救ってくれるのは、やはり、アンパンマン至上主義の独り娘のあの子か?!


以上、風邪の館より中継終わり!

機材の都合で、映像はありません。

あしからず