つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

廊下が美味しい!

2009年03月27日 16時22分06秒 | Weblog
今日はまた嬉しい午後のティータイムになった。

一階の廊下がめちゃくちゃ好い匂いがしていた。
ひょっとして?
上のリビングに上がると、案の定クッキーが焼けた直後でした。
お題は「スノーボール」
前に一度挑戦したが、その時とは違うレシピらしい。
でも今回のほうが、前のより一段美味しく出来ていた。



ありがとう、ママ! 


久しぶりのいい話

2009年03月27日 00時00分42秒 | Weblog
今日、我幼稚園(うちのお寺は幼稚園も併設しています)の送別会がありました。
そこでのあるかたのお話です。
その方が小学生の時の出来事です。
家で蒔き割りをしていたら、あやまって左手の親指を斧が直撃。骨もろとも殆ど切り落としてしまったのです。
皮一枚でかろうじてくっついていたそうですが、すぐに止血をして親父さんがおんぶして、ひと山越えてお医者さんのところに連れて行ったそうです。
その時病院には沢山の患者さんが待っておられたそうですが、その先生がおっしゃったそうです。
「皆さん、今大変な怪我をした坊やが連れてこられました。」
「この坊やは今すぐに手術をしないと手遅れになります。」
「今を逃すとこの子の将来は辛いものになるでしょう。」
「皆さんは一日延びるだけで、将来に何ら大した影響は無いわけですから、是非この坊やに今の時間を分けてやってくれませんか?」
といって、皆さんを説得されたそうです。

素晴らしい先生ですよね!







熊本に来てます

2009年03月25日 15時54分07秒 | Weblog
一昨日から熊本交響楽団の指導のため、熊本に行ってました。
曲はマーラーの交響曲の一番で、二日ほど滞在して一日は弦セクションの指導、二日目はチェロセクションの指導をしました。
まず、九州は既に桜が満開!
熊本も例外なくちょうど満開でした。
練習は夜からでしたので、あちらに着いたのは夕方で、ちょっと腹ごしらえをしてすぐ練習でした。
二時間でマーラーを全楽章を見るのは、なかなか時間的に難しいかな? と思ってたので、事前に聴く場所をピックアップしておきました。
まあ、それが功を奏していたのか、限られた時間内に何をどのくらい指導できるものか、というところが自分で言うのもなんですが、要領よくいけたかな?と思いました。
実は団員ののチェロのパートには、博多で永いことレッスンに通って来られているお弟子さんがいて、練習後に懇親会があり、その時に「本当に来ていただいて良かった!」というコメントをもらえたので、内心ホッとしました。



朝は満開の桜の熊本城の周りをぐるっと一周歩いてみましたが、この二日間はぐっと冷え込み、風も強かったので、ちょっと桜吹雪になっているところもありました。
でも、それにしても堂々とした立派なお城ですねえ。
それに、スケールもでかい!



さすが城下町


手作りもの集合!

2009年03月21日 01時54分33秒 | Weblog
続いて、我が家のコックの自慢の作品たち。
まずは、ハイジの白パン。
これがもっちもちのいい感じです。
何やら、白玉粉を混ぜるのが秘密らしいです。

次に、レーズンパン。

美味しそうでしょう?
ちなみに、作り方は聞いてません。あしからず!
最後は大好きなバナナパウンドケーキ。



以上、作品たちでした。

しかし、それにしても一週間のうち、オーブンが稼動して無い日がないんじゃないのかなあ。
うちの奥さん、ホントにそのうちパン屋さんか、食堂か始める気かも。
まあ、そうなったらそれはそれで賑やかになっていいか?
その時は皆さん食べに来てくださーい!
あ、近くのひと限定で!

2009年03月21日 01時37分31秒 | Weblog
読者の皆様

お久しぶりです。
まずはこれ!

そうなんです、春といえばこれですよね!
ただ、今年はいつになく花粉のアレルギーがひどく、なかなか外に出る気がしなかったんですが、ここにきて少し峠を越えたのか、少し楽になったような気がしたので、娘と一緒に散歩に行ってきました。
そうしたら、この通り!

もう一山は初挑戦の袴取り

このあと、晩ご飯にはつくしの卵とじがお目見えしたのです。
でも、写真撮るのわすれてしまいました。
ゴメンなさい

いってきました(その3)

2009年03月10日 03時28分39秒 | Weblog
前回からのつづき

さて、演目が始まりました。まずは太夫の声と太棹三味線の音に惹きつけられました。
仏教にも声明というお経に節を付けて称えるものがありますが、太夫の声の抑揚は低い音から絶叫のような高い音、いや音じゃなくて語りのようなところもかなりあります。
床本を同時に見ていたからかも知れませんが、ひとつの言葉にこんなに深い感情を込めることが出来るんだ! と感心しましたし、間というものが舞台の人形の細かい動きと絶妙にリンクしていることで、もの言わない人形の感情をうまく引っ張り出しているのかも知れないです。
また、何と言っているのか多少解らなくても、大体のストーリーを頭に入れて行けば、場内の空気で見せ場が来たのかな? と解りますよ。 そこで雄叫びのような声(何と表現したら良いかわからないので、ゴメンなさい)でたたみかけられると、本当にぐぐっときます。
またあるときは、感情を押し殺したような声で泣かれれば、(女方の場合そのようになっていたことが多かったように思いました)これまた、グッときますねえ。
何だか、昔の日本人は悲しい話を聞くのが好きだったんでしょうかねえ?



当日のプログラムの表紙より


つづく

行ってきました(その2)

2009年03月09日 03時15分57秒 | Weblog
前回よりのつづき。

そう思っている矢先に、目に飛び込んできたチラシがありました。それが、「文楽の」公演のものでした。ただ、それは大阪市内の話でしたので予定に合わせて広島からわざわざ出かけることが出来ず、まずは大阪にちなんだ「曽根崎心中」というお題を読んではみたものの、なかなか納得できるものではなく、やはり本物を(総合芸術)を見ないとダメだ、と思っていました。
それからしばらくして、たまたま見つけたチラシが、何と文楽の広島公演でした。
ただ、今回の広島公演は、僕の狙っていた演目ではなかったので、インターネットで調べ、演目の「床本」と言われる、太夫の語りのものを手に入れ理解しようとはしましたが、なかなかどうして言葉を理解するのが結構大変です。
まあ、行って見れば何とかなるだろうと思い、双眼鏡まで持って行っていきました。
結論から言うと、双眼鏡はなくてもいいですね。お金をケチって安い二階席から見たけども、やはり一階で見るものですね。だって、人形が常に宙に浮いてる状態を見たり、舞台のセットの下半分が丸見えだから、なんとなくリハーサルを見ているようにも見えるので、これは、一階席で見れば全て見えないようになっているはず! と、ちょっと後悔。

つづく

新メニュー

2009年03月09日 03時15分40秒 | Weblog
また、晩御飯に新メニューが登場した。
名付けて「葱グラタン」。
ポテトグラタンのポテトを葱に変えただけらしい。
しかし、これが想像以上にいけた。しかも、精進!

そういえば、写真を撮るのを忘れて食べ始めてしまいました。
あんまり綺麗でなくてごめんなさい。

どうぞ、皆さんもやってみて下さい。

高校の跡地がなくなって見えた景色

2009年03月08日 00時49分20秒 | Weblog
隣の高校の跡地のその後のはなし。

以前、大型のショベルカーの饗宴のような写真をお見せしましたが、今はもうすっかり様子が変わり、殆ど整地されつつあります。
境界線に張り巡らされていた防音シートも撤去され、僕のリビングから今までは見えなかった近隣の家々や景色が見えるようになりました。
でも、すぐそばを流れている川があるんですが、その川岸の道路越しに見た景色が、今まで全く見えなかった、お寺の反対側からの景色でした。
これが、以外に良く見えたので、つい写真に撮っちゃいました。
知っている方も、知らない方も、今しか見れないかもしれない、実家のお寺(願船坊)の遠望です。

行ってきました(その1)

2009年03月07日 22時41分10秒 | Weblog
昨日は人形浄瑠璃「文楽」広島公演を観賞してきました。
演目は「一谷嫩軍記」(いちのたに、ふたばぐんき)というものでした。
文楽を観るのは、今回が全く初めてではないけれども、以前観たのは僕がチャイコフスキーコンクールに行く少し前でした。
二次予選に自国の現代曲を取り入れなくてはいけなくて、その曲に選んだのが黛敏郎さんの「文楽」でした。
最初に弾いたのは学生の時かな? 楽譜を見たときは何だか全然理解できなかったので、CDをまず聴きました。聴いたのは堤剛さんのものでした。
「百聞は一見にしかず」の如く、聴いていると、日本人の血なのか、どこか遠い記憶の中に「知っている」という感覚があったので、それを頼りに自己満足で弾いていました。
ただ、留学中にアメリカ人からレッスンを頼まれた時、本物を見た事もないのに、知ったかぶりしていていいのだろうか? という罪悪感めいたものがずっとあったので、チャイコフスキーに行く前に一度は本物を観て行こうと思い立ち、東京の国立劇場を訪ねたことがあります。
しかし、今回は訪ねた理由がちょっと違いました。
それは、昨年NHK=BSのテレビ出演の時に、禅の世界感のお庭の中でバッハを弾くという大胆なロケーションを前に、自分があまりにも日本人としてのアイデンティティーが無いということに、何とも言えない寂しさを覚えたのです。
それからというもの、何か自分の中に日本人の証のようなものを捜す努力を始めようという気持ちになり、目に付くものは手にとっていきました。

つづく