そういえば、先日の加古川のコンサートで、もうひとつ嬉しいことがありました。
それは、コンサートの中で僕が話をした内容について、後の打ち上げ会場で長谷川さんの義理兄さんからのひと言でした。
「かるみ」ということについてでした。
実は僕がボッケリーニのソナタを弾いた後にこう言ったのです。
このボッケリーニのようなバロック音楽は「軽い」という要素が大事です。でも、これが出来るようになるのは簡単な道のりではないです。リズム感の良し悪しや才能ももちろんあるのだろうけれども、良い先生についてしっかり訓練を受け、それを習得し、また楽器や弓などにも恵まれていないと出来ることではないです。ちなみに、今日は良い弓にも恵まれています。
と言って名弓「○○○」を使っていたことを明かしました。
義理兄さん曰く
松尾芭蕉が晩年に東北の地を回って沢山の俳句を語った中で「俳句は究極はかるみ」という話しと通ずるものがありますね。これは、別に重いとか軽いとかいう単純なものではないようだけれども、何か秋津さんがコンサートの時に話されていた「軽さ」の話を聞いていて、すぐ芭蕉の話を思い出した。
と、話されたのでした。
僕には芭蕉の俳句の世界が解るわけではないので、返答に困ったけれども、ただひとつ思い出したことがありました。
それは、東北のひとの持っている「何か」と通ずるもので、先の大震災のあとでも、どん底の深刻にならずに「どうにかなるさ」的なちょっと楽天的明るさにつながり、明るいが「かるい」につながるのではないか?
以上、勝手な解釈でした。
ではでは
それは、コンサートの中で僕が話をした内容について、後の打ち上げ会場で長谷川さんの義理兄さんからのひと言でした。
「かるみ」ということについてでした。
実は僕がボッケリーニのソナタを弾いた後にこう言ったのです。
このボッケリーニのようなバロック音楽は「軽い」という要素が大事です。でも、これが出来るようになるのは簡単な道のりではないです。リズム感の良し悪しや才能ももちろんあるのだろうけれども、良い先生についてしっかり訓練を受け、それを習得し、また楽器や弓などにも恵まれていないと出来ることではないです。ちなみに、今日は良い弓にも恵まれています。
と言って名弓「○○○」を使っていたことを明かしました。
義理兄さん曰く
松尾芭蕉が晩年に東北の地を回って沢山の俳句を語った中で「俳句は究極はかるみ」という話しと通ずるものがありますね。これは、別に重いとか軽いとかいう単純なものではないようだけれども、何か秋津さんがコンサートの時に話されていた「軽さ」の話を聞いていて、すぐ芭蕉の話を思い出した。
と、話されたのでした。
僕には芭蕉の俳句の世界が解るわけではないので、返答に困ったけれども、ただひとつ思い出したことがありました。
それは、東北のひとの持っている「何か」と通ずるもので、先の大震災のあとでも、どん底の深刻にならずに「どうにかなるさ」的なちょっと楽天的明るさにつながり、明るいが「かるい」につながるのではないか?
以上、勝手な解釈でした。
ではでは