楠公―4
新田義貞は足利尊氏軍にあえなく破れ、
尊氏兄弟は京に入った(1335年1月)。
しかし、京に攻め入った楠正成や義貞軍の反撃に破れ、尊氏は九州に敗走。
九州で兵を集めた尊氏は勢力を整えて、
4月3日、博多を出発。
そして5月25日、兵庫湊川で向かえ撃つ正成・義貞軍との合戦に臨む。
長唄「楠公」はここから始まる。
『頃は皐月の末つ方
楠判官正成は
君の仰せを蒙りて
一族郎党五百余騎
今日を最後と九重の
都を後に手束弓
駒をばしばし桜井の
宿に止めて』
● 時は5月の末頃、楠判官正成は帝の仰せを頂き、
一族郎党五百余騎を従え、禁裏のある都を発った。
愛馬をしばし桜井の宿に止めて。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚
新田義貞は足利尊氏軍にあえなく破れ、
尊氏兄弟は京に入った(1335年1月)。
しかし、京に攻め入った楠正成や義貞軍の反撃に破れ、尊氏は九州に敗走。
九州で兵を集めた尊氏は勢力を整えて、
4月3日、博多を出発。
そして5月25日、兵庫湊川で向かえ撃つ正成・義貞軍との合戦に臨む。
長唄「楠公」はここから始まる。
『頃は皐月の末つ方
楠判官正成は
君の仰せを蒙りて
一族郎党五百余騎
今日を最後と九重の
都を後に手束弓
駒をばしばし桜井の
宿に止めて』
● 時は5月の末頃、楠判官正成は帝の仰せを頂き、
一族郎党五百余騎を従え、禁裏のある都を発った。
愛馬をしばし桜井の宿に止めて。
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photo by 和尚