3世 杵屋正次郎
杵屋勝三郎(2世)と同世代の三味線弾きに、杵屋正次郎(3世)がいる。
勝三郎の方が7才年上で、芝居デビューも一足早いが、
年の近い二人は好敵手でもあり、大親友でもある。
正次郎の初世は、松井源水一座で曲芸の三味線を弾いていたのを、
六三郎(2世)に見いだされて長唄に転向した人。
2世正次郎は初世の息子だが、2世正次郎に子はなく、
弟子の正三郎の子が3世を継いだ(1855・安政2年)。
前名彦次郎の時代から、作曲に手腕を発揮する俊才。
二人は浴衣の宣伝ソング、「菖蒲浴衣」(1859・安政6年)
を合作で披露するという、画期的なことをやってのけた。
これも親友という信頼関係があればこそ。
やってみたら案外面白かったのか、
二人は同じ年の9月にもう一曲、「喜三の庭」を合作している。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
杵屋勝三郎(2世)と同世代の三味線弾きに、杵屋正次郎(3世)がいる。
勝三郎の方が7才年上で、芝居デビューも一足早いが、
年の近い二人は好敵手でもあり、大親友でもある。
正次郎の初世は、松井源水一座で曲芸の三味線を弾いていたのを、
六三郎(2世)に見いだされて長唄に転向した人。
2世正次郎は初世の息子だが、2世正次郎に子はなく、
弟子の正三郎の子が3世を継いだ(1855・安政2年)。
前名彦次郎の時代から、作曲に手腕を発揮する俊才。
二人は浴衣の宣伝ソング、「菖蒲浴衣」(1859・安政6年)
を合作で披露するという、画期的なことをやってのけた。
これも親友という信頼関係があればこそ。
やってみたら案外面白かったのか、
二人は同じ年の9月にもう一曲、「喜三の庭」を合作している。
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tea break・海中百景
photo by 和尚