46-「軒端の松」(1845・弘化2年)
「花の友」(4月6日記載)でも触れたが、
三味線曲での宣伝ソングで、今度は新酒の売り出しだ。
江戸新川の酒問屋が「軒端の松」を売り出した。
1841年、老中首座に就いた水野忠邦による天保の改革は、
奢侈禁止、贅沢品の製造販売禁止、
料理茶屋の隠れ売女・女浄瑠璃・女髪結い・私娼・
賭博等、ことごとく禁止。寄席、芝居小屋にも規制が及ぶなど、
徹底的に庶民の楽しみを奪うものだった。
江戸三座を、日本橋葺屋町から浅草聖天町に強制移転させたのも水野。
庶民に総スカンを食っていた水野が、こともあろうに病気で職を辞し、
この年(1845年)、渋谷の下屋敷で隠居療養に入ったのだ。
万歳!
江戸の町に笑いが戻り、以前のようにのびのびとした日常が帰って来た。
そんな満を持しての新酒発売。
酒屋の主人は贔屓の杵屋勝三郎(2世)に曲を作らせた。
酒の宣伝なのだから、当然ともいえるが、
“酒の銘づくし”で、女心を拗ねてみた。
『一筋な 女心を汲みもせで
ほんに浮気な男山
つい言うことも つとどなき
言葉に角の剣菱や
愛想もこそも 七ツ梅
粋な心についたらされて
嘘と知りても 誠に受けて
末は白菊 花筏』
● 私の一途な心も知らないで、まったく男は浮気者なんだから。
つい何気なく言うことも、言葉のはしばしに角がけんけん。
愛想もこそもあったもんじゃない。
でも、粋な心意気についほだされて、嘘と知りつつ真に受けてしまったの、
後は野となれ、散る桜。
男山・剣菱・七ツ梅・白菊・花筏が売れ筋、酒の銘。
“軒端の松”を飲みながら、「軒端の松」を鑑賞する。
水野がいてはできない贅沢だ。
〓 〓 〓
tea breaku・海中百景
photo by 和尚
「花の友」(4月6日記載)でも触れたが、
三味線曲での宣伝ソングで、今度は新酒の売り出しだ。
江戸新川の酒問屋が「軒端の松」を売り出した。
1841年、老中首座に就いた水野忠邦による天保の改革は、
奢侈禁止、贅沢品の製造販売禁止、
料理茶屋の隠れ売女・女浄瑠璃・女髪結い・私娼・
賭博等、ことごとく禁止。寄席、芝居小屋にも規制が及ぶなど、
徹底的に庶民の楽しみを奪うものだった。
江戸三座を、日本橋葺屋町から浅草聖天町に強制移転させたのも水野。
庶民に総スカンを食っていた水野が、こともあろうに病気で職を辞し、
この年(1845年)、渋谷の下屋敷で隠居療養に入ったのだ。
万歳!
江戸の町に笑いが戻り、以前のようにのびのびとした日常が帰って来た。
そんな満を持しての新酒発売。
酒屋の主人は贔屓の杵屋勝三郎(2世)に曲を作らせた。
酒の宣伝なのだから、当然ともいえるが、
“酒の銘づくし”で、女心を拗ねてみた。
『一筋な 女心を汲みもせで
ほんに浮気な男山
つい言うことも つとどなき
言葉に角の剣菱や
愛想もこそも 七ツ梅
粋な心についたらされて
嘘と知りても 誠に受けて
末は白菊 花筏』
● 私の一途な心も知らないで、まったく男は浮気者なんだから。
つい何気なく言うことも、言葉のはしばしに角がけんけん。
愛想もこそもあったもんじゃない。
でも、粋な心意気についほだされて、嘘と知りつつ真に受けてしまったの、
後は野となれ、散る桜。
男山・剣菱・七ツ梅・白菊・花筏が売れ筋、酒の銘。
“軒端の松”を飲みながら、「軒端の松」を鑑賞する。
水野がいてはできない贅沢だ。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚