安達吟光(嘉永6〜明治35・1853〜1902年)の
「大江戸芝居年中行事」の5、「ワキ狂言」だ。
書き入れ
「ワキ狂言
三座とも三番叟の次に ワキ狂言を演ず
一番太鼓に夜明けを告げ ワキ狂言に日の出を拝すというくらいにて
舞台まだ暗く 人の顔もろくろく見えず 今その次第をいわぐ
中村座は大江山にて頼光の鬼退治 市村座は七福神の舞
守田座は甲子待に 福の神の来るという いずれも古雅なるものなり
出勤の役者は稲荷町(大部屋)の下廻り 囃子方は三枚目より見習いまでの内
これを勤む 大ていなる芝居好きも 此のワキ狂言はことごとく見るもの稀なりとぞ
千村しるす」
書き入れによると
この図は市村座の「七福神」だ。
この曲は長唄に伝存している。
いかな歌舞伎好きでも、早朝のワキ狂言を観るものは稀だった、
というのが面白い。
「大江戸芝居年中行事」の5、「ワキ狂言」だ。
書き入れ
「ワキ狂言
三座とも三番叟の次に ワキ狂言を演ず
一番太鼓に夜明けを告げ ワキ狂言に日の出を拝すというくらいにて
舞台まだ暗く 人の顔もろくろく見えず 今その次第をいわぐ
中村座は大江山にて頼光の鬼退治 市村座は七福神の舞
守田座は甲子待に 福の神の来るという いずれも古雅なるものなり
出勤の役者は稲荷町(大部屋)の下廻り 囃子方は三枚目より見習いまでの内
これを勤む 大ていなる芝居好きも 此のワキ狂言はことごとく見るもの稀なりとぞ
千村しるす」
書き入れによると
この図は市村座の「七福神」だ。
この曲は長唄に伝存している。
いかな歌舞伎好きでも、早朝のワキ狂言を観るものは稀だった、
というのが面白い。