若衆歌舞伎で初めて三味線を弾いたのは、
狂言師杵屋勘五郎の孫、喜三郎です。
猿若勘三郎率いる猿若座が京から江戸に下った当初は、
当時江戸の繁華街だった中橋南地(今の京橋辺り)に櫓を上げたのですが、
その後旧吉原近くの禰宜町(ねぎまち・日本橋堀留町辺り)に移転させられました。
喜三郎はおそらくここで遊女の弾く三味線小歌に感化され、
狂言小歌に三味線を合わせて弾き始めたのだろうと思われます。
これが評判となったため、勘五郎は喜三郎を狂言方から三味線弾きに転向させ、
三味線入り若衆歌舞伎を売り出すことにしたのです(1633年)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/56/4d8269398be9dfeddc1b0842154022ce.jpg)
若衆歌舞伎図
狂言師杵屋勘五郎の孫、喜三郎です。
猿若勘三郎率いる猿若座が京から江戸に下った当初は、
当時江戸の繁華街だった中橋南地(今の京橋辺り)に櫓を上げたのですが、
その後旧吉原近くの禰宜町(ねぎまち・日本橋堀留町辺り)に移転させられました。
喜三郎はおそらくここで遊女の弾く三味線小歌に感化され、
狂言小歌に三味線を合わせて弾き始めたのだろうと思われます。
これが評判となったため、勘五郎は喜三郎を狂言方から三味線弾きに転向させ、
三味線入り若衆歌舞伎を売り出すことにしたのです(1633年)。
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若衆歌舞伎図