もちろん遊女は遊女歌舞伎の時代から舞台で三味線を弾いていいますが
それは石村検校の本手組から派生した、遊里独自の三味線小歌というものです。
六条柳町の遊女雲井が、巷で流行っている小歌に三味線の伴奏をつけて
歌い始めた「弄斎・ろうさい」というのがその始まりです(元和頃・1615年〜)。
弄斎は京の遊里で大流行し、京遊女の江戸下りで吉原にも大流行、
それが「江戸弄斎」といわれて京に逆輸入され、洛中に大流行したのです。
後に柳川検校が三味線組歌に取り入れ、さらに後に八橋検校が箏曲「雲井弄斎」に取り入れるなど、
「弄斎」は元禄(1688〜)頃まで流行したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/e5/181e2a9e9780ea44a3a4b990700a1e2c.jpg)
島原遊郭
それは石村検校の本手組から派生した、遊里独自の三味線小歌というものです。
六条柳町の遊女雲井が、巷で流行っている小歌に三味線の伴奏をつけて
歌い始めた「弄斎・ろうさい」というのがその始まりです(元和頃・1615年〜)。
弄斎は京の遊里で大流行し、京遊女の江戸下りで吉原にも大流行、
それが「江戸弄斎」といわれて京に逆輸入され、洛中に大流行したのです。
後に柳川検校が三味線組歌に取り入れ、さらに後に八橋検校が箏曲「雲井弄斎」に取り入れるなど、
「弄斎」は元禄(1688〜)頃まで流行したという。
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島原遊郭