ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

映画「戦場のピアニスト」

2021年08月13日 | 観る

これは、2021年1月6日に投稿した記事の再録です。その時点ですでに再録記事でしたが、もう一度、さらに加筆してださせてください。

 

100年以上前の激レアピアノでノクターン第20番(遺作)を弾いてみた結果/Chopin Nocturne No.20 cis-moll

   演奏しているのは、昨日もご紹介したヒビキpianoさんです。

 

 今は、8月15日の終戦記念日を考える時期です。でも、これは日本を取り巻いていただけの戦争ではなくて、大きく第二次世界大戦の一つの局面でした。

 第二次世界大戦は、世界中で、非戦闘員をも巻き込んで8000万人が死んだと推定されている惨事でした。

 星の数ほどの苦しみや悲しみの物語が噴出していたにちがいありません。映画「戦場のピアニスト」は、その一つに過ぎないかもしれませんが、「人とは何か」「なぜ人は争うのか」「ユダヤ人問題」「神の視点」など、いやでも思いを広げるテーマでした。

 この映画の主人公は実在したポーランド系ユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンで、この映画は彼の自伝をもとに作られたものです。

 

      ★★ ★★ ★★

 2021年1月6日

 かつて、映画「戦場のピアニスト」について、小さなエッセイをこのブログに載せました。

 それを、再録させてください。理由は、この映画にとって大きな意味のあるピアノ演奏を見つけたからです。当時は、映画の中でこの音楽を聞き、それに感銘を受けながら、その曲名に当たることもなく、音源を捜すこともありませんでした。

 今回U-tubeの音楽サイトを見て回っているうちに、聞き覚えのあるピアノ曲に出会いました。ヒビキPianoさんという若手ピアニストの演奏でした。

 「戦場のピアニスト」の感銘は、この曲とセットでなければ、完全とは言えないと気が付き、遅ればせながらこの演奏をお借りし、紹介させていただくことにしました。

 

 

2014年10月3日

戦場のピアニスト

  いつもなら眠りに落ちている時間に、深夜映画を観てしまった。

     「戦場のピアニスト」

2002年劇場公開された頃に観ています。
題材もストーリーも、とても重苦しい戦争映画なのに、
心の奥に、どこかリリックな影を刻印するような感動があった。
と、記憶しているのだけれど、細かな筋書きはほとんで忘れていた。

第二次世界大戦で、ヨーロッパ戦線ということになれば
まず、ナチスの偏執狂的な悪を外すことはできないでしょう。とりわけ、
ユダヤ人撲滅作戦としか言いようがないユダヤ人に対する迫害は、
目をおおうばかりのものだったのです。そして、

この映画も、ピアニストであって、社会的には非力と見えるような
一人のユダヤ人青年が、
ナチスのユダヤ人狩り、ゲットー、ガス室へと続く果てのない弾圧の中で
かろうじて逃れ、隠れ、生きる話です。

            
◎  ◎  ◎

これは、実在したユダヤ系ポーランド人・ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を脚色して映画化したものだそうです。

といっても、ピアニストとしての活動はほとんど出てきません。
逃げ回る彼が夜、まどろむとき、手の指がピアノのキーをたたくかのように、動くだけです。

彼も、最後にはナチの将校に見つかり、あわや・・・という瀬戸際で、ピアニストであったために窮地を逃れるのです。

彼を見つけたナチの将校は、彼がピアニストであるかどうか
確かめるために廃墟にあったピアノを弾かせるのです。

その素晴らしい演奏に、将校はくぎ付けになり、彼を生かし、食糧まで届けてくれるのです

◎  ◎  ◎


身分証明書(アイデンティフィケイション)という言葉が何度か出てきます。

もとより、逃亡中のシュピルマンにそのような証明書はありません。けれども、ピアノを弾くことで、彼は自分のアイデンティティを証ししたのです。

これは、身分証明というものが何であるかを、言い表していると思いました。

私たちは、身分証明書――政府や会社やどこかの権威ある団体が
客観的に自分の存在を保障してくれるものを渇望するのですが、

権威のあるだれかが発行する「紙切れ」ではない自分。
「自分は、これだ」と言えるものなど、私にはあるのかしらと考えさせられる
クライマックスでありました。


それにしても、旧約聖書の中で(旧約聖書・列王記。歴代誌)
すでにイスラエル十部族が民族離散の憂き目にあい、
その後、大国の植民地でありながらも
なんとか、ユダヤを国家として再建、存続させていたユダヤ人。

紀元七四年のユダヤ戦争で、ローマ帝国に完全に敗北し、それ以降、第二次大戦終了後の現イスラエル共和国の成立まで、国家がなかった国民なのです。


国(領土と政府)を失い、国民が散り散りになって
1900年間もアイデンティティを保つとは、本当にすごいとしか言いようがありません。迫害を生き延びてきた彼らを支えていたのは、いったい何なのか。この問いは、重いけれども、それだけに光の見えるものではないでしょうか。
 
 
        byまさこ

 

       

 

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