ノアの小窓から

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死に打ち勝つ信仰、高原剛一郎牧師のお話

2018年04月08日 | 聖書


「聖書と福音」というラジオ番組をご存知ですか。
 関西と福島にあるラジオ局です。
    ■ラジオ関西 毎週日曜 朝 7:45-8:00 558Khz
    ■ラジオ福島 毎週日曜 朝 8:30-8:45 1,458Khz

 ネットでも、FBでも見ることができます。
 わかりやすくて、温かいお話満載のこのサイトを、最近は忙しくてあまり開かなかったのですが、
 今日は、一つご紹介させてください。
 メッセンジャーは高原剛一郎牧師です。 
このメッセージは、2012年のものです。今も放送されていますので、明日は18年4月の放送分を掲載します。


   ❀ ❀ ❀



「死に打ち勝つ信仰」

 おはようございます。高原剛一郎です!

 さて、今年2012年は、アメリカの大統領選挙の年です。今の大統領はオバマさんですね。そして、この、オバマ大統領が生まれた年に大統領に就任した人物にジョン・F・ケネディという人がいました。実は、彼のお父さんは大変な野心家であったのです。四人いる息子の誰かをどうしても大統領にしたいと常々思っていました。しかし長男は、飛行機を操縦中空中爆発で亡くなります。


 次男のジョン・F・ケネディは史上最年少で大統領になりますが、ダラスというところで暗殺されてしまいます。三男のロバート・ケネディは、その五年後大統領予備選挙の最中に暗殺されてしまうのです。末っ子の、エドワード・ケネディは、脳に得体のしれない腫瘍ができて亡くなります。ジョン・F・ケネディの息子は、飛行機が墜落してなくなり、ロバート・ケネディの息子はスキーで樹木に激突して亡くなるんです。彼の一族は十三人が変死を遂げているんですね。それで、アメリカでは、悲劇のケネディ家とか、ケネディ家の呪いなどという人もいるほどです。
 ところで、このケネディ家という華麗なる一族と、わが高原家には一つの共通点があるのです。実は、私の一族も先祖はみんな亡くなってしまったのです。わが家系は、先祖代々全員、最後は死んでしまったのです。もし、一族が死んだことをもって、呪いの家系というなら、人類の中で呪われていない家系など、いないのではないのでしょうか。


悲劇が悲劇で終わらない家族

 ところでもう一つのファミリーを私は紹介したいのです。ケネディ家以上に、死に憑りつかれたかのように見える人と、その家族です。その人の名は、クラシック音楽の大家、ヨハン・セバスティアン・バッハという人です。彼のお父さんの時代、ドイツでは、三十年戦争という争いがありました。ドイツの国内で、ドイツ人同士が、三十年間戦争したんです。三十年というのは、太平洋戦争の七倍です。その間、国中に戦死者があふれかえりました。国土が荒らされ、ペストという伝染病が蔓延し、なんと国の人口が、五分の一になるのです。バッハの家族も例外では、ありませんでした。バッハが、九歳の時、お母さんが亡くなり、十歳の時には、お父さんを亡くします。八人兄弟の末っ子だった彼は、上にいた四人の兄弟たちを亡くします。十三年間連れ添った、妻は彼を残して、他界します。再婚した妻と先妻との間に生まれた二十一人の子供たちのうちの十人は、彼の目の前で死んでいったのです。親にとって、何よりつらいのは、自分よりさきに子供たちが亡くなっていくことではありませんか。彼は、それを十回も経験したんです。


悲しみの中で湧き上がる賛美
 孤児として育ち、最愛の妻に先立たれ、十人の子供を死なせた彼の人生は、一言でいうなら、死に呪われた人生のようです。ところが、バッハには人生に対する苦さというものがないんですね。それどころか、自分に人生を与え、兄弟たちを与え、妻を与え、子供たちを恵んだ神への賛美が、生涯途切れることがなかったのです。彼は毎週新しいカンタータを作曲し、音楽を神からの賜物と喜び、その作品の楽譜には「神に栄光あれ」とサインがなされていました。自分に与えられた音楽の才能をフルに活用して、彼は、死があふれかえっていた、この時代に喜びの歌を紡ぎ続けたのです。彼が、身のまわりの状況に心を折られることなく、正気を保ち続け、人生を肯定することができたのは、聖書によって、確たる死生観を確立していたからです。聖書には、死と命についてこう書いてあるんです。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」



聖書が語る「死」と「いのち」
 ここには、三つのことが語られています。

 第一に、死の原因とは何かです。人はなぜ死ぬんでしょう、死ぬ命を持って生まれてきたからです。では、どうして、命には、死がプログラムされているんでしょう。命の造り主に対して、人が関係を断ち切っているからなんですね。人類最初の人間が、神に反逆したために死が入ったのです。この死が入り込んだ命が先祖代々私たちに受け継がれているというのです。
 私は先日全身麻酔をして、手術を受けました。麻酔から覚めた私はふと気が付くと両足に見慣れないストッキングを履かされているではありませんか。さらに空気圧縮装置で二十四時間もの間、両足のマッサージが続いたのです。いったいなんでそんなことをするんでしょう。絶食絶飲のうえで、長時間同じ姿勢のままで寝ていると、足に血栓という血の固まりができやすくなるんですね。この血の固まりが肺静脈にまで行くと血栓が詰まってしまい、呼吸困難になるんです。小さな血の塊が肺への血管をふさいでしまうことで、死に至ることすらあるというのです。それと同じように命のルーツである神と人間との間に罪という遮蔽物が立ちはだかることによって、神からの命や祝福がせき止められてしまうのです。この神との絶縁が、人間に死をもたらしたのです。


神が備えた死の解決方法

 第二に、神は死を解決するために、イエスキリストを送ってくださったということです。
 バッハは死の原因を知っていましたが、同時に、神がその解決のためにしてださったことをも知っていたのです。彼は、自分を怒りっぽく、頑固者で人間関係においては、不器用で欠点を持つ人間だということを自覚していましたが、決して神から憎まれているとか、嫌われてるとか、呪われてるというふうには考えなかったのです。なぜなら、自分の罪や短所や悪い部分は全てキリストが十字架の上で引き受けてくださったことを知っていたからです。罪に対する刑罰はひとつ残らずキリストが、あの十字架の上で代わりに引き受けてくださったのです。だから、刑罰は、すでに全部、終わっているんです。神と自分との間に残っているのは、愛だけだということをバッハは知っていたのです。
 十人の子を失って嘆いた彼は、一層神を褒め称えるようになったと言われています。なぜなら、神もまた、ご自分の子供をあの十字架の上で、亡くしてくださったからです。大切な人を亡くしたものの気持ちは、大きな喪失を経験した者でないと分かりません。神は私たちの悲しみを理解できるのです。全知全能だから理解できるというだけでなく、神自らが大切な一人子をあの十字架の上で亡くしてくださったからです。


死を乗り越えさせる希望

 第三に、神が用意してくださったものがここには書かれています。キリストは十字架にかかって後、三日目に死を突き破ってよみがえられました。この死を飲み込む命を永遠の命というのです。この永遠の命を神は、私たちに用意してくださっているんです。キリストにあって、死んだ人は必ず永遠の命を携えて、永遠の命にふさわしい天国に行くのです。

 我が家は、同じマンションの二階と三階に住んでいます。手狭なのでそのようにしたんです。三階で食事をとったら私は二階にある書斎に降りていきます。そのとき三階に部屋を持っている子供たちは、いちいち送別会をしたり、涙に泣き崩れたりするというようなことはありません。いつでも会えるところに行くときの別れは深刻にならなくてもよいのです。クリスチャンにとって、天国とは、必ず行ける魂の故郷なのです。このように神の下さる永遠の命は人間に死を乗り越えさせる希望となるのです。
 どうぞあなたも、ぜひこのイエスキリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めします。










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2 コメント

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墓碑 (旅山)
2018-04-09 11:07:40
私の、明治生まれの父は生前から墓の用意をしており、その際墓碑に自らの文字で「我は復活なり、生命なり。我を信ずる者は死すとも生きん」(ヨハネ11:25)と刻んでいます。
4~5年前に訪れた時(四国松山)は、その文字も苔で覆われ、読みづらくなっていました。
写真を知人に見せると「隠れキリシタンの墓か?」と言われました。
歳月のたつのはほんとに早いものですね。
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素晴らしい信仰ですね。 (さとうまさこ)
2018-04-09 19:08:46
明治のキリスト者は、深いところで救いを理解されているように、思います。あやからせていただきたいです。たとえ地上の墓が草の中でも、「草葉の陰」でないところで、復活を待っていられるのですから、すばらしいですね。
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