ノアの小窓から

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神の国第3課(抜粋)2

2017年03月24日 | 聖書




                      

                           イースターは教会で!! 


神の国             
第3課

神の国の到来


Ⅰ. 到来の宣言と現れ


Ⅰ.A. キリストの誕生



Ⅰ.B. キリストの働き
  キリストの働きは、神の国が到来して、今ここに存在しているということの証明でした。キリストが直接言及しておられるところでは、悪霊を追い出し、病気をいやす働きが、神の国の到来の証明であるとされていますが、キリストの働きと教えの全体から調べると、その他のあらゆる働きが、神の国の証明であることが明らかです。(マタイ12:28、ルカ11:20) 実際、キリストのもたらした神の国は、悪魔の支配のあらゆる分野に及んでいます。(第1課 「悪魔の支配の実態」を参照)


自然の世界

  キリストは神の権威をもって、大嵐(おおあらし)を叱(しか)りつけてお静めになりました。これは悪魔に支配され、人間にさまざまな災害をもたらすようになった自然を、神の支配、神の国が取り戻すことをお示しになったのです。(マタイ8:23-27) その他にも、キリストは自然界、すなわち、物理的・生物的分野での力ある業をくり返し、神の国の到来を明らかにされました。(マタイ14:15-21、22-33、15:32-38、17:27、21:18-21)


霊の世界

  聖書には、キリストが、 悪霊とか汚れた霊とか言われている、多くの霊たちを完全に打ち破って、人間を解放してくださった話が、たくさん記されています。キリストが追い出した悪霊どもを調べて見ると、精神病(せいしんびょう)に関わるものが一番多く、(マタイ17:14-18、マルコ5:2-20、他) 次に耳が聞こえず物が言えないという状態(じょうたい)に関わるものが多く、(マタイ9:32-33、12:22、他) その他は、人間に取りついていたというだけで、どのような害を与えていたかは不明です。(マタイ15:21-28、他) また、ひとりの人に多くの悪霊が取りついていた例も、一度ならずありました。

  キリストは、これらの霊に出会ったとき、お願いしたり、なだめたり、だましたり、犠牲を献(ささ)げたりせず、かならず、神の権威をもって叱りつけて追い出されました。神の国がすでに来ていたのです。注目すべきことは、これらの霊が、キリストが神の子であり、その権威と力には逆(さか)らえないと知っていたことです。(マルコ1:23-26、3:11、5:2-20、他)


人間の世界

  人間は、悪魔と悪霊どもの直接の力だけではなく、罪の結果としての、人間的弱さにも拘束(こうそく)されています、それで、老若男女、貧富、教育、文化、人種の別を問わず、人間は自分の願っているような人生には遠く及ばない、不本意(ふほんい)な毎日を過ごしているのです。功成り、名を上げ、富を築(きず)いて、人のうらやむところまで昇りつめたというような人でも、人間としては貧しく生きている場合が少なくありません。

  人生にとってもっとも大切なものに、人間関係があります。はなれ小島で、一生ただ一人で暮らして行くのなら、名誉も地位も学歴も富も、ファッションも高級車もぜいたくな家も不要です。これらは皆、人間関係、つまり人間は社会的動物だということから生じてくる必要です。そして、この人間関係に大きく関わってくるのが、人間性です。この人間性というところで、人間は自分自身をどうすることもできないのです。競争心、闘争心、うらやみ、ねたみ、憎しみが、美しい人間関係をこわしてしまいます。疑惑、嫌悪、裏切り、心変わりが、せっかくの幸せを台無しにしてしまいます。物欲(ぶつよく)、名誉欲、性欲、食欲が度を越し、正常な生活を不可能にしてしまいます。

  だれもが、愛とやさしさ、信頼と思いやり、協調(きょうちょう)と平和を望んでいながら、実際にはそれができない。自分をコントロールして秩序ある生活を願っていながら、それができない。そこが問題なのです。このできないということが、悪魔の支配の中にいて、自分自身を治める自由もない、人間の惨(みじ)めな姿なのです。

  キリストはこの方面において、いちじるしい働きをなさいました。人間性の弱さに、痛み、苦しみ、人生を台無(だいな)しにし、人間関係を破壊(はかい)してしまったあらゆる種類の人々を、神の力と権威でまったく作り変え、「できる者」にして、神の支配、神の国の到来を明確にお示しになったのです。多分、この点で一番ドラマティックなのは、ルカ19:1-10に記録されている、ザアカイという人物の物語でしょう。(ぜひ読んでください)。 また、たんに人間性の弱さ、悪癖(あくへき)から解放するというだけではなく、キリストは混乱(こんらん)した哲学や思想に代えて、新たな世界観と人生観を与え、人間本来の生き方も、できるようにしてくださったのです。



※※※ まとめ ※※※  キリストの誕生は、悪魔に支配されているこの世と、支配に苦しんでいる人間に対する、神の直接介入でした。絶対の聖さを持つ神が、そのままの栄光の姿で人間世界においでになったのでは、救いが必要な人間が、その罪のために滅(ほろ)んでしまいます。そこで、神としての栄光を捨て、人間の姿で生まれてくださったのです。また、キリストの働きは、神の国の到来の証明でした。キリストは数々の力ある業によって、この世に、すなわち自然の世界と霊の世界、そして人間の世界に、神の国、神の支配が到来していることを、明確にお示しになったのです。 








 


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