教会の兄弟(クリスチャンは同じ信仰を持つ男性を兄弟、女性を姉妹と呼ぶ)が亡くなって、二週間がたった。
朝、倒れて、救急車で運ばれたが、蘇生することはなかった。70歳になったばかりだった。
心臓にステントを入れているということだったけれど、とても活動的で、疲れたように見えることはなかった。何でもよくできる人だった。ジーパン姿で金槌をふるいクリスマスの舞台を作っているときも、キッチンで大きな鍋にカレーを作っているときも、小粋なベスト姿でマジックを披露するときも、蝶ネクタイで結婚式の司会をするときも、明るい笑顔のその姿は、ダンディで、「絵になって」いた。
もともと役者、演出家だった彼は、聖書劇のミニストリーに使命を燃やしていた。教会では、毎月最初の日曜日、聖書を題材にした短いスキットを上演していた。
芝居について、パフォーマンスの世界全般から、具体的な舞台の演出、役者の演技の付け方まで、実によく知っていた。
けっして、威張らず、誇らず、押し付けずの演出家だった。にわか脚本家のさとうに対しても、ときに「脚本家はどうお考えですか」などと、意見を問われるので、そのたびに、しどもどする私だった。
十年を超えるその活動は、実を結び始めていた。素人劇が、見ごたえのある聖書の「世界」を浮かび上がらせるようになっていた。
「いつか、本格的な舞台で、二時間枠くらいの劇を上演できればいいですね」というのは、無責任な私で、彼は決して大きな目標を夢見るような言動はしなかった。
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棺の中の彼は、ほほ笑んでいた。式全部が終わって、花を手向けるため彼の近くに歩み寄る人たちの前で、すっと目を開きそうだった。
「ああ、終わった? なかなか良かったよ。ごくろうさん」と言いそうであった。
でも、棺のふたは覆われ、彼は運ばれていった。
泣いている人がたくさんいて、それをリアルだと認めないではいられなかった。
次の日曜日の礼拝の日も、涙なみだだった。
彼が支えていた彼のご家族6人はもちろん、彼に支えられていた教会が、号泣しているかのようだった。
合掌!