日本バプテスト連盟花小金井キリスト教会
藤井秀一牧師のフェイスブックへの投稿です。
「沈黙」が上映されるので、改めて背教について考えてみた。
信仰を捨てるというのは、可能なのだろうか。
(写真はさとうが、入れたものです)
たとえば、あなたの親を、親と信じるのをやめよと言われて、
親の顔を書いた絵を踏んだからと言って、
自分が親から生まれたことを、信じなくなれるものなのだろうか。
信じていないふりしかできないんじゃないかな。
親から生まれたという事実は、踏み絵をふもうが、
「あなたなんか親じゃない」と口で言ってみようが、変わりようがないのだから。
同様に
天の親に愛されて、この地上に生まれてきたという事実は
生まれてきた側の人間が、何をしようとも、否定しようのない神の出来事なのだから、
それを人間の側から、捨てるとか、捨てさせるという行為は、
原理的に不可能なんじゃないかな。