人の心には多くの計画がある。
しかし、主のはかりごとだけが成る。(箴言19章21節)
これは、私が抱いている多くの計画の中から、
主の御心にかなった計画だけが成るという意味ではありませんね。
自分が持っている計画とは関係のないものであっても、
主が私にご計画をもっておられるかもしれないと、謙遜に受け止めることですね。
あなたにとっては、やみも暗くなく
夜は昼のように明るいのです。
暗やみも光も同じことです。
それはあなたが私の内臓を造り、
母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。
あなたは私に、奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、
しかも、その一日もしないうちに。(詩編139篇12節~16節)
ある牧師が、神の自由と人間の自由をわかりやすくたとえて話してくださいました。
私たちは金魚鉢の金魚。私たちは金魚鉢の中では何をしようと自由である。
泳ごうと食べようと、跳ねようと眠ろうと・・。
しかし、神は、金魚鉢と水を準備して、その中に金魚を入れ、それを持ち運び、
水を取り替えたり、餌を与えたりして養い、
また、それを持ち運び、どこに置くか決め、必要なら水を空けて金魚ごと捨てる自由もお持ちの方です。
神の自由と人間の自由では、次元が違うのです。
まさに目からうろこが落ちるたとえでした。
主を恐れることは知識の初めである。(箴言1章7節)