ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ぷゆん

2012年01月14日 21時46分35秒 | ジャンガリアン
「ぷゆこ」というのはかつてうちにいたジャンガリアンハムスターの一匹。
茶々の子どもで、いまだにうちの人気ナンバーワンを誇っています。

ホンマの名前は「小麦」といいます。
生まれる前から今度生まれてウチに残す子の一匹は「麦」と名づけようと決めていました。
で、生まれた一匹に予定通り「麦」とつけようと思ったのですが・・・
毛色ノーマルが三匹いたので大きいほうから順に「大麦」「麦」「小麦」と仮に名づけ、
そのうち真ん中の「麦」は他のきょうだいの毛色パールホワイトとともにペットショップに引き取ってもらい
「大麦」は「五行」と改名(ホントは春の七草のゴギョウが語源)
そして残った「小麦」は・・・結局小さめなのでそのまま「小麦」で、通称「小麦ん」に。
「ぷゆん」は口癖・・・みたいなもん。

・・・それがへんてこな「ぷゆこ」になったのはこれまたわけわからん”わけ”があります。

その頃かーたんの茶々はキャラクター化の一環(?)で
アタマに「タケコプター」ならぬ「ちゃちゃこぷたー」をつけて
「ぷりぷりぷり・・・」と空を飛ぶと言う設定になっていました。
で、その子どもの小麦んも同様に「ぷりぷりぷり・・・」と飛ぶはずが
幼くて舌ったらずで「り」の発音ができず「ぷゆぷゆぷゆ・・・」と飛ぶのだと言う話になり
ぷゆぷゆ飛ぶ子なので「ぷゆこ」というヘンなニックネームを冠されたのでした。

どーでもいい話ですが、一応ご紹介。



では、今も思い出を語られるその「ぷゆこ」の写真集ご披露です。
とっても大人しく、じっとしててくれるので写真が撮りやすい子でした。
写真を加工したのは長女です。


捕まえられつつスパゲッティーを失敬する。ボケボケやな・・・。


・・・・・マジで寝ています。


4コマ?・・・ひとり白いのがまじっとる・・・??
てかソレ、きょうだいの五行と嫁さんにと買って来た
なっちーこと”なずな”やな。
しかもその隣、右下はたぶん茶々。きらーん。


ガッツリ


お野菜大好き「もっと野菜を食べやさい~!」あれれ。白内障だ・・・。


・・・・・寝てます。たぶん。脳が。(あるのか?)


ぜんまいぷゆこ。通称ぜんぷ。ぜんまいは実はアンテナ。動力はオキシライド乾電池。
(オキシライドはアルカリ電池以来の電池大革命的開発とか言われたけど
すぐに廃れてエヴォルタに取って代わられましたな。
何やってんの、松下さん・・・じゃなくてパナ○ニックか。)
ぜんまいはCGですよ。念のため。ホンマに付けたわけではありません。

最後に・・・次女作ぷゆこ×30。待受?壁紙の背景???・・・何これ。

よくみると一匹だけ”スパイぷゆこ”が・・・表情が違います。


ぷゆこ×120・・・・だから何これ。
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KAIGO.介護 巻の百三十一 ゆうてみるもんや 

2012年01月12日 21時42分42秒 | 介護な日々
2010年5月上旬~

あまりに長引くOS病院生活。何しろ個室でないと他の患者さんの迷惑になる。
で、個室差額は1日1万5千円ほど・・・シティホテル並みやがな!!!
どっから出るねん、その入院費!!!!
ちょっと大変すぎるので事務局にその旨相談に行きますと、
な、なんと・・・・
「個室に入ってくださいとお願いしたのはこちらですし、
受け入れ先の病院の準備が整わないという特別な状況でもありますので
5月からの個室差額は請求しないということに致します、安心して療養してください」と・・・

なんとありがたい・・・・・!!!!!!!!

経済的な負担はぐぐっと減ってそれはそれはたいへんありがたいのですが
やはり実家近くで介護士さんがたくさんいらっしゃるIC病院へ帰りたいことは変わらず。
ですので、ずっとOS病院からお願いはしてくださっていたのですが
こちらからも強くお願いすることに致しました。
・・・てか、正直早よしてくれ~~~~~~~~

イヤイヤ・・・それは冗談として

ちい兄が書いたお願いFAXを送ってみました・・・

曰く、交替で母に付き添っているけれど経済的にも体力的にも限界です、
住み慣れた土地で自宅にも気軽に帰れるIC病院に早く戻りたいです・・・
ベッドの空き状況などいろいろ事情もございましょうが・・・云々

な、な、なんと・・・・
「準備が出来そうなので11日に転院してください。」と返事が・・・!

・・・・・・・・・・・・・。
OS病院もIC病院も・・・・・・・・・・・ゆうてみるもんや!


2010年5月10日 

帰れるとなると帰る気満々・・・イヤ、帰る気はもともと満々。
記憶はあいかわらず大混乱。我々の従姉のM子従姉さんK子従姉さんのことを
「まだ24、5歳やろ?」・・・「もう60半ばやで」に「へえーっ!!」と大いに驚く。
「お父さん(夫)は会社行ってまだ帰ってけえへんのか?」
「久しぶりに仕事に行きはったな」・・・イヤ、去年死んだし。
「晩まで帰らん、よく昼時は帰っとったが今日は帰らへんやろ」とわざと言うと納得していました。
そしていつも通り荷物を心配。「持って帰れるか?」「置いたあると落ちつかん」
「明日は荷物持ってうちの方へ帰れるで」と言うと
「へえー!!!!!!!!」と更に大いに驚いていました。


夕方N先生が覗かれました。

「ちょっとだらだらしてしまいましたが、気をつけてお帰りくださいね。」
退院(正確には転院ですが)後の通院はなし、
何か(ガンの再発とか他の重い症状)あったら
その時はIC病院を通していつでもまた来てくださいということで。

そう、思いがけず長かったOS病院暮らしもようやく終わって明日はIC病院へ帰りましょう。

それにしても、ホンマ、なんでもゆうてみるもんやね。差額いらんて。すぐ転院できますて。
・・・あ、イヤごねてませんよ~! ゴリ押ししてませんよ! 正直にお願いしただけです。
はい、ゆうてみるもんでっせ。
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KAIGO.介護 巻の百三十 GWもいつも通り・・・

2012年01月09日 10時12分15秒 | 介護な日々
2010年ゴールデンウィーク突入・・・

とっくに転院のお許しが出ているのにIC病院のベッドが空かず
なかなか転院できないでいたら、もう半月を過ぎて5月に入ってしまったじゃないですか~。

5月2日のお兄の記録のひとくだり。

換気のためドアを開放しているとN先生が覗いて下さる・・・
そして10秒talk”(IC病院からの回答が)まだですねん、
もうしばらく居て下さい。スンマセン”
talkと言うより、一言speechですナ!



2010年5月5~6日

昼間は毎度の日常でありましたが、夜ちい兄がいるときに
「死ぬときどうなるんやろ?」と尋ねたそうで。
「しゅーっと抜けて気分爽快になるらしいで」と言っておいたら
その時はなんともなかったそうなのですが、
ちい兄が帰ろうとした時急に混乱したらしく・・・

「明日仕事やから」と言うと
「仕事なんかせんでもええ、日雇いでもええやんか」と・・・
なだめて帰宅したそうですが1時間もすると病院から「興奮してはります」と電話が・・・。
電話で話をしたそうですが中々通じず、最終的には
「安定剤飲んでもらいます」でおさまりつけたようでした。
翌朝になっても興奮おさまらず、自分で柵を外してベッドから落ちたらしく
昼間はスタッフステーションに置いてもらってたようです。
その後もなかなか落着かなかったということで、
夕方病院から私宛に電話が入りました。
なだめると少し大人しくなっていたようですがなかなか納得せず・・・。
急いで病院へ駆けつけましたら・・・爆睡しておりました・・・。
騒ぎ疲れたのでしょうかね~・・・熱まで出たようで。
今晩はステーション脇の看護室に泊まってもらい
また興奮したら安定剤を飲ませます、でひとまず落着き、
私は9時過ぎにやっと帰れました。ああ、やれやれ・・・。

2010年5月7~8日 ゴールデンウィークもあけちゃったよ


「転院する時は何もない状態(下痢とか発熱もない安定した状態)で
行って欲しいです」とのオコトバ。

そして日々お仕事もらってました。

話すことは自分の両親の話が多くまだ生きていると思っていたり
食事は文句言いつつ食べたり食べなかったり・・・但しオヤツは別。

しかしいつになったら転院できるねん?!
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なおりました。

2012年01月07日 22時28分40秒 | 徒然雑記&連絡帳
昨年12月にぶっとんでしまった複合機が直りました。
イヤ、実はとっくに修理に出して直ってたんですが、
なかなかカットを描くヒマがなくて・・・・
優先順位から行くと年賀状を作って刷る作業の方が先だったもんで・・・

んで、今日はいくらか描き溜めしましたんで、これからはカット入れていきます~。
(最近の介護の記事にもカット入れました・・・ので見てんか~。)

余談ですが・・・・

関西弁では「しまう」「元あったところに戻す」ことを「なおす」と言います。

って、コレ方言やったんですね!!
割と最近まで知りませんでした。

正確には劇場版「名探偵コナン」の「水平線上の陰謀(ストラテジー)」を観て初めて知りました。
焼死体が身に着けていた腕時計を平次とコナンが調べるシーンがあり、
それを大阪人の平次がコナンに「ほな、それなおしといて」と言い
コナンがビックリして「え? 俺が修理するのかよ?!」と返すのです。
「ちゃうちゃう、元のところへ戻しといてっちゅう意味や」
「なーんだ、そうか・・・」
みたいな・・・このちょっとした会話は推理の際の伏線にもなってたのですが、
大阪梅田の三番街シネマ(当時)でこれを見たのは・・・

あのJR福知山線(宝塚線)の脱線事故があった年でした。

いつも映画はたいがいJR伊丹駅前の
ダイヤモンドシティというところにある東宝シネマに行くのですが
この年はあの事故でJR線が不通になっており、伊丹に行けませんでした。
だので阪急電車で梅田まで行ったのでした。

大変な事故でしたねえ・・・。
実は実家に帰るときにいつも乗っていた線だったんです(今もちょいちょい使います)。
事故のあった日の午後、まだ全然認知症のかけらもなく、
足腰もしっかりしていた母から電話があり、
「あんたアレ乗ってへんかってんな。大丈夫やろうとは思うたけど心配なってな~。」
と言ってたのを覚えています・・・。
次女が今通っている高校の、当時3年生の生徒さん(センパイですね)も何人か、
あの日はUSJへの遠足の日で、事故にあって亡くなられたそうです。
電車の突っ込んだマンションは今も傷跡を残して建っています。

もうずいぶんたちましたが、改めて事故で亡くなった方々のご冥福と
今も後遺症に苦しむ人々のご回復を祈りたいと思います。
どんなものでも傷というのは中々治らないものですわね・・・。


ちょっと・・・ていうかどんどん話がそれましたが・・・


ま、ともかくこれからも頑張って
愉快なカットを入れていきたくおもひますのでよろしくなのです。
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創作小説 SUNSET CHAPTER12 PART.3

2012年01月07日 21時50分49秒 | 創作小品
 まだ1時にはなっていない。まだもう少し時間があるはずだ。だけどあのヒトはやって来た。待ちきれなかったのだろう。いや、それは俺も同じだ。10年ぶりに見る顔だけど…見覚えは強烈にある。もっと若い頃の恐ろしい形相、涙でくしゃくしゃの顔、そして10年前の寂しそうな顔、困惑した顔、焦った顔…。笑顔がない。あっても苦々しい笑い。苦渋に満ちた、苦虫を噛み潰したような顔、そしてすまなさでいっぱいの顔…。ありとあらゆる負の感情を表した顔はすべて知っているような気がする。
このヒトの、その真逆の表情を俺はまったく知らない。愛想笑いも負の顔だろう。晴れやかに笑ったらどんな顔になるんだろう? いや、そもそもこのヒトにはそんな顔があるのだろうか…。でもそれは俺も同じだったかもしれない。心から晴れやかに笑えること――いやいや、俺は…今の俺はそれができると思う。出来るようになったのだ
いつの間にか…きっかけはよくわからないが、明確にいつからとは言えないが、全国各地を放浪していろいろな人と巡り会い、いろいろな話を聞き、施設や学校の先生に死ぬほど怒られ――つまり心底俺を心配してくれた人の心に触れることができ――それから実の妹にも会えて、その父親にも受け入れてもらい、マスターに実の息子のように愛され、更に常連さんにもかわいがってもらい、仲間や友達、親友(悪友、バカ友とも言うが)もでき…。そしてみゆ希がいる。将来のことを本気で考えたい相手がいる。おそらくそのひとつひとつの積み重ねで、いつの間にか心から笑えるようになって行ったのだと思う。係わりあったすべての人々のお陰だ。
もちろん中には気の合わない奴もいたし、腹立たしく思う奴もいた。嫌いなタイプの人間もいた。もちろん逆の立場もあっただろう。俺を見てイヤな奴だと思う人もいただろうし、嫌われたことだってきっとある。でも、そういう人たちと係わりあう中で得た物だってきっとあると思いたい。反面教師的なところもあれば、嫌だけどあれは見習うべきと思えることもあったはず。まあ、それで感謝しろといわれたら正直ムカつくけど。
とにかく、今の俺は本当に幸せだと思う。これで心から笑えないとしたら、俺の周りの素晴らしい人たちに申し訳が立たない。言い訳もできない。これで悲劇のヒーロー気取るとしたら、とんでもないジコチューだ。
今俺に向かってやってくるそのヒトはどうなんだろう? とても…そんな感じではないように思う。心配してくれる人がいるのに、愛してくれる人がいるのに、そのヒトはそれに応えていないように思う。いや、愛されることを拒否しているようだ。それが自らに課した罰なんだろうか。そしてこのヒトはその罰を少なくとも20年以上受け続けているのだ。それは――少なくとも俺が このヒトを受け入れられない限り、続くのだろうな…。
そのヒトは俺から少しはなれたところで立ち止まり、懐かしそうな、そしてすまなさそうな、更に少しだけ嬉しそうな顔で俺を見た。俺はできる限り無表情で迎えたつもりだけれど、それはどう映ったのやら。
「和行さん…。」
彼女はまずそう言った。俺は少しだけ会釈した。
「ありがとう、メッセージくれて…。嬉しいわ…こうして会ってくれて。10年ぶりですね。からだは大丈夫でしたか? あの時は大変なことになってしまったけれど…。」
「ええ…。大丈夫です。」
本当はその後も何度か同じような発作を起こしているけれど、俺はそれは言う必要はないと思った。今大丈夫なんだからいいだろう。今…別に気分は悪くない。もっとも良くもないが。インフルエンザのせい? それもあるかもしれないが。
…と、思っているうちに咳が出る。潮風をまともに受けたからか…。一度出ると少し咳き込む。仕方ないか。風邪でもインフルでも治るのに一週間はかかるというしな…。今日で5日目、はっきり言ってまだ完治してはいないだろうな。二日には熱だけは下がったんだけど…。
「大丈夫? 風邪を引いているんじゃ…。」
「いや…咳だけです。もうほとんど治っているのでご心配なく。」
「そうですか? でも、無理はしないでくださいね。」
 彼女はそう言って俺を気遣ってから話を本題に戻した。
「ごめんなさい。…あの時、私はあなたを苦しめただけで、介抱すらできずにそれきりになってしまって。本当にごめんなさい。」
それから彼女は深く頭を下げた。でも俺はそれには答えず、
「行きましょうか。あっちで話しましょう。」
と、浜辺へ降りる階段へ向かった。


・・・TO BE CONNTINUED.
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