ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

なおりました。

2012年01月07日 22時28分40秒 | 徒然雑記&連絡帳
昨年12月にぶっとんでしまった複合機が直りました。
イヤ、実はとっくに修理に出して直ってたんですが、
なかなかカットを描くヒマがなくて・・・・
優先順位から行くと年賀状を作って刷る作業の方が先だったもんで・・・

んで、今日はいくらか描き溜めしましたんで、これからはカット入れていきます~。
(最近の介護の記事にもカット入れました・・・ので見てんか~。)

余談ですが・・・・

関西弁では「しまう」「元あったところに戻す」ことを「なおす」と言います。

って、コレ方言やったんですね!!
割と最近まで知りませんでした。

正確には劇場版「名探偵コナン」の「水平線上の陰謀(ストラテジー)」を観て初めて知りました。
焼死体が身に着けていた腕時計を平次とコナンが調べるシーンがあり、
それを大阪人の平次がコナンに「ほな、それなおしといて」と言い
コナンがビックリして「え? 俺が修理するのかよ?!」と返すのです。
「ちゃうちゃう、元のところへ戻しといてっちゅう意味や」
「なーんだ、そうか・・・」
みたいな・・・このちょっとした会話は推理の際の伏線にもなってたのですが、
大阪梅田の三番街シネマ(当時)でこれを見たのは・・・

あのJR福知山線(宝塚線)の脱線事故があった年でした。

いつも映画はたいがいJR伊丹駅前の
ダイヤモンドシティというところにある東宝シネマに行くのですが
この年はあの事故でJR線が不通になっており、伊丹に行けませんでした。
だので阪急電車で梅田まで行ったのでした。

大変な事故でしたねえ・・・。
実は実家に帰るときにいつも乗っていた線だったんです(今もちょいちょい使います)。
事故のあった日の午後、まだ全然認知症のかけらもなく、
足腰もしっかりしていた母から電話があり、
「あんたアレ乗ってへんかってんな。大丈夫やろうとは思うたけど心配なってな~。」
と言ってたのを覚えています・・・。
次女が今通っている高校の、当時3年生の生徒さん(センパイですね)も何人か、
あの日はUSJへの遠足の日で、事故にあって亡くなられたそうです。
電車の突っ込んだマンションは今も傷跡を残して建っています。

もうずいぶんたちましたが、改めて事故で亡くなった方々のご冥福と
今も後遺症に苦しむ人々のご回復を祈りたいと思います。
どんなものでも傷というのは中々治らないものですわね・・・。


ちょっと・・・ていうかどんどん話がそれましたが・・・


ま、ともかくこれからも頑張って
愉快なカットを入れていきたくおもひますのでよろしくなのです。
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創作小説 SUNSET CHAPTER12 PART.3

2012年01月07日 21時50分49秒 | 創作小品
 まだ1時にはなっていない。まだもう少し時間があるはずだ。だけどあのヒトはやって来た。待ちきれなかったのだろう。いや、それは俺も同じだ。10年ぶりに見る顔だけど…見覚えは強烈にある。もっと若い頃の恐ろしい形相、涙でくしゃくしゃの顔、そして10年前の寂しそうな顔、困惑した顔、焦った顔…。笑顔がない。あっても苦々しい笑い。苦渋に満ちた、苦虫を噛み潰したような顔、そしてすまなさでいっぱいの顔…。ありとあらゆる負の感情を表した顔はすべて知っているような気がする。
このヒトの、その真逆の表情を俺はまったく知らない。愛想笑いも負の顔だろう。晴れやかに笑ったらどんな顔になるんだろう? いや、そもそもこのヒトにはそんな顔があるのだろうか…。でもそれは俺も同じだったかもしれない。心から晴れやかに笑えること――いやいや、俺は…今の俺はそれができると思う。出来るようになったのだ
いつの間にか…きっかけはよくわからないが、明確にいつからとは言えないが、全国各地を放浪していろいろな人と巡り会い、いろいろな話を聞き、施設や学校の先生に死ぬほど怒られ――つまり心底俺を心配してくれた人の心に触れることができ――それから実の妹にも会えて、その父親にも受け入れてもらい、マスターに実の息子のように愛され、更に常連さんにもかわいがってもらい、仲間や友達、親友(悪友、バカ友とも言うが)もでき…。そしてみゆ希がいる。将来のことを本気で考えたい相手がいる。おそらくそのひとつひとつの積み重ねで、いつの間にか心から笑えるようになって行ったのだと思う。係わりあったすべての人々のお陰だ。
もちろん中には気の合わない奴もいたし、腹立たしく思う奴もいた。嫌いなタイプの人間もいた。もちろん逆の立場もあっただろう。俺を見てイヤな奴だと思う人もいただろうし、嫌われたことだってきっとある。でも、そういう人たちと係わりあう中で得た物だってきっとあると思いたい。反面教師的なところもあれば、嫌だけどあれは見習うべきと思えることもあったはず。まあ、それで感謝しろといわれたら正直ムカつくけど。
とにかく、今の俺は本当に幸せだと思う。これで心から笑えないとしたら、俺の周りの素晴らしい人たちに申し訳が立たない。言い訳もできない。これで悲劇のヒーロー気取るとしたら、とんでもないジコチューだ。
今俺に向かってやってくるそのヒトはどうなんだろう? とても…そんな感じではないように思う。心配してくれる人がいるのに、愛してくれる人がいるのに、そのヒトはそれに応えていないように思う。いや、愛されることを拒否しているようだ。それが自らに課した罰なんだろうか。そしてこのヒトはその罰を少なくとも20年以上受け続けているのだ。それは――少なくとも俺が このヒトを受け入れられない限り、続くのだろうな…。
そのヒトは俺から少しはなれたところで立ち止まり、懐かしそうな、そしてすまなさそうな、更に少しだけ嬉しそうな顔で俺を見た。俺はできる限り無表情で迎えたつもりだけれど、それはどう映ったのやら。
「和行さん…。」
彼女はまずそう言った。俺は少しだけ会釈した。
「ありがとう、メッセージくれて…。嬉しいわ…こうして会ってくれて。10年ぶりですね。からだは大丈夫でしたか? あの時は大変なことになってしまったけれど…。」
「ええ…。大丈夫です。」
本当はその後も何度か同じような発作を起こしているけれど、俺はそれは言う必要はないと思った。今大丈夫なんだからいいだろう。今…別に気分は悪くない。もっとも良くもないが。インフルエンザのせい? それもあるかもしれないが。
…と、思っているうちに咳が出る。潮風をまともに受けたからか…。一度出ると少し咳き込む。仕方ないか。風邪でもインフルでも治るのに一週間はかかるというしな…。今日で5日目、はっきり言ってまだ完治してはいないだろうな。二日には熱だけは下がったんだけど…。
「大丈夫? 風邪を引いているんじゃ…。」
「いや…咳だけです。もうほとんど治っているのでご心配なく。」
「そうですか? でも、無理はしないでくださいね。」
 彼女はそう言って俺を気遣ってから話を本題に戻した。
「ごめんなさい。…あの時、私はあなたを苦しめただけで、介抱すらできずにそれきりになってしまって。本当にごめんなさい。」
それから彼女は深く頭を下げた。でも俺はそれには答えず、
「行きましょうか。あっちで話しましょう。」
と、浜辺へ降りる階段へ向かった。


・・・TO BE CONNTINUED.
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