もう少し前の話になりますが
朝刊を開いて東海林修さんの訃報を知りました。
享年85歳でいらしたでしょうか。そんなお年だったとは存じませんでしたが
「へえ・・・」と思ったのも束の間、更に下の段に淡々と
井上堯之さんの訃報も掲載されていて今度は「えっ・・・」となりました。
亡くなられた日は違いましたが、同じ日の朝刊にお二人の訃報が載っていようとは。
お二方ともジュリーとは一時期ではありますが深くかかわられた御仁。
まずは謹んでご冥福をお祈りいたします。
東海林さんはジュリーが、タイガース時代後半から
解散後ソロデビューした初期の頃のアレンジを一手に担っていた方でございます。
特に印象深いのはソロアルバムとしては2枚目だけれど
実質ソロ活動初のアルバムと言っていい「JULIE Ⅱ」のアレンジでしょうか。
全楽曲を編曲されておられました。1971年12月21日リリース・・・
わあ・・・・・・47年も前なの?? まじですか?
あれはねえ・・・・本当に素晴らしかったですねえ。
(今、拝聴しながらこれ、書いてます→大昔記事にしましたので良ければコチラを。ジュリーの記事ちゃうけど。)
殊に高評価の後シングルカットされた「許されない愛」
多くの人がこれがジュリーのソロデビュー曲だと勘違いしたほどの名曲です。
もちろん「危険なふたり」もですよ!!
ああ、どちらも作曲は加瀬邦彦さんでしたねえ・・・
当時はまだアレンジャーの社会的評価は今では考えられない程低く、
シングル盤などではその編曲者の名前をクレジットしないこともあったほど。ヒデエな。
お子ちゃまちゃちゃは編曲とはどういうものか
誰に聞いたか何かで読んだのか記憶がないのですが
ともかくどういうことをする人かと言うことは知ってて
この扱いの酷さにおこちゃまながら憤慨していたものです。
その社会的評価の低さは1970年代後半まで続いた気がします。
そんな中でこのアルバムのアレンジを素晴らしいと思えたちゃちゃはマセガキだったのですねえ。
さて、そのおこちゃまちゃちゃは「東海林」が読めず「トウカイリンて凄い名前やな~」と思っていました。
ナツメロ番組でかの東海林太郎さんの懐かしの映像をやっているのを見て
初めて「あれってショウジって読むんや!! へえええええええ!」と知った。
逆に言えば東海林太郎さんより先に東海林修さんを知っていたということです。なんやねん、コイツ。
ちなみに現在の「笑点」のテーマ曲アレンジも東海林さんだったと言うことは訃報で初めて知りました・・・
他にも名だたる名曲の作・編曲やシンセ奏者としても数々の名演奏も手掛けてらっしゃいました。
詳報はWikiででもご確認ください。
ともかくも、ちゃちゃとしても感慨深いというと少々語弊がありますが
いろんな作品をありがとうございました、ゆっくりお休みくださいと申し上げます。
さて、もう井上堯之さんについてはいわずもがな、
東海林さんとほぼ同時期にジュリーを陰に日向に支えてくださった御大でいらっしゃいます。
だいぶ前に胃の全摘手術を受けられたとは聞いておりましたが
最期は敗血症で亡くなられたとのこと、随分しんどかったのではとお察しします。
享年77歳、亡くなるには不足と言うご年齢ではないのかもしれませんが
もう少し長生きしてくださればなあ、とも思います。
まあ、ご病気でおられたのなら長く苦しまれるのもせんないなあとも思いますがなあ・・・
ジュリーを演奏家、プレイヤーとして支えたのは1971年初頭から1979年末までほぼ10年間でありましたが、
井上堯之バンドとしてはジュリー以外、ショーケンの出演ドラマや
それに関連して「太陽にほえろ!」シリーズの音楽、またその流れのTVドラマ音楽も広く手掛けておられました。
メインはジュリーだけれど、でも案外ジュリーのレコードの演奏は少なくて
TV出演も思ったより少なく、曲によっては一度もいなかったこともありました。
そして、ジュリーの楽曲も大野克夫さんはかなりの曲提供をされていましたが
案外井上さんの曲提供は少なかったのですよねえ・・・。
安井かずみさんが亡くなられた時は「Zuzu Songs」と銘打って追悼コンサートが行われ
その時ジュリーは冗談半分に「加瀬さんや大野さん、井上さんが亡くなった時もやります。
どうせオレよりさきやろ」などとのたもうておりましたが
そして加瀬さんが亡くなられた時、銘打つことはしませんでしたが実質追悼コンサートと言っていいライブをされました。
特に行くつもりはなかったちゃちゃだったが不思議な運命に導かれて行きましたがな、それ。記事はコチラと、コチラも。
大野さんに至っては・・・イヤ、まだ元気やけど、あのひとは(あの人はそうそう死なんやろw)
一回では到底やりきれないほどの曲数があるのですが
意外と井上さんは少ないような気がしますな・・・正確にカウントはしてませんが。印象として・・・。
とはいえ、あらゆる面でジュリーを支え続けた、欠かせない存在の人であったのは間違いないでしょう。
もちろん日本の音楽史にもその名を刻む偉大なミュージシャンであられました。
詳しくはこちらもWikiリンク貼っときます。
ちょっと昔のレコード・・・はすべてCDに買い直してしまいましたが
聞き直してお二人を偲び、ご冥福をお祈りいたします。
・・・寂しいことです・・・。
朝刊を開いて東海林修さんの訃報を知りました。
享年85歳でいらしたでしょうか。そんなお年だったとは存じませんでしたが
「へえ・・・」と思ったのも束の間、更に下の段に淡々と
井上堯之さんの訃報も掲載されていて今度は「えっ・・・」となりました。
亡くなられた日は違いましたが、同じ日の朝刊にお二人の訃報が載っていようとは。
お二方ともジュリーとは一時期ではありますが深くかかわられた御仁。
まずは謹んでご冥福をお祈りいたします。
東海林さんはジュリーが、タイガース時代後半から
解散後ソロデビューした初期の頃のアレンジを一手に担っていた方でございます。
特に印象深いのはソロアルバムとしては2枚目だけれど
実質ソロ活動初のアルバムと言っていい「JULIE Ⅱ」のアレンジでしょうか。
全楽曲を編曲されておられました。1971年12月21日リリース・・・
わあ・・・・・・47年も前なの?? まじですか?
あれはねえ・・・・本当に素晴らしかったですねえ。
(今、拝聴しながらこれ、書いてます→大昔記事にしましたので良ければコチラを。ジュリーの記事ちゃうけど。)
殊に高評価の後シングルカットされた「許されない愛」
多くの人がこれがジュリーのソロデビュー曲だと勘違いしたほどの名曲です。
もちろん「危険なふたり」もですよ!!
ああ、どちらも作曲は加瀬邦彦さんでしたねえ・・・
当時はまだアレンジャーの社会的評価は今では考えられない程低く、
シングル盤などではその編曲者の名前をクレジットしないこともあったほど。ヒデエな。
お子ちゃまちゃちゃは編曲とはどういうものか
誰に聞いたか何かで読んだのか記憶がないのですが
ともかくどういうことをする人かと言うことは知ってて
この扱いの酷さにおこちゃまながら憤慨していたものです。
その社会的評価の低さは1970年代後半まで続いた気がします。
そんな中でこのアルバムのアレンジを素晴らしいと思えたちゃちゃはマセガキだったのですねえ。
さて、そのおこちゃまちゃちゃは「東海林」が読めず「トウカイリンて凄い名前やな~」と思っていました。
ナツメロ番組でかの東海林太郎さんの懐かしの映像をやっているのを見て
初めて「あれってショウジって読むんや!! へえええええええ!」と知った。
逆に言えば東海林太郎さんより先に東海林修さんを知っていたということです。なんやねん、コイツ。
ちなみに現在の「笑点」のテーマ曲アレンジも東海林さんだったと言うことは訃報で初めて知りました・・・
他にも名だたる名曲の作・編曲やシンセ奏者としても数々の名演奏も手掛けてらっしゃいました。
詳報はWikiででもご確認ください。
ともかくも、ちゃちゃとしても感慨深いというと少々語弊がありますが
いろんな作品をありがとうございました、ゆっくりお休みくださいと申し上げます。
さて、もう井上堯之さんについてはいわずもがな、
東海林さんとほぼ同時期にジュリーを陰に日向に支えてくださった御大でいらっしゃいます。
だいぶ前に胃の全摘手術を受けられたとは聞いておりましたが
最期は敗血症で亡くなられたとのこと、随分しんどかったのではとお察しします。
享年77歳、亡くなるには不足と言うご年齢ではないのかもしれませんが
もう少し長生きしてくださればなあ、とも思います。
まあ、ご病気でおられたのなら長く苦しまれるのもせんないなあとも思いますがなあ・・・
ジュリーを演奏家、プレイヤーとして支えたのは1971年初頭から1979年末までほぼ10年間でありましたが、
井上堯之バンドとしてはジュリー以外、ショーケンの出演ドラマや
それに関連して「太陽にほえろ!」シリーズの音楽、またその流れのTVドラマ音楽も広く手掛けておられました。
メインはジュリーだけれど、でも案外ジュリーのレコードの演奏は少なくて
TV出演も思ったより少なく、曲によっては一度もいなかったこともありました。
そして、ジュリーの楽曲も大野克夫さんはかなりの曲提供をされていましたが
案外井上さんの曲提供は少なかったのですよねえ・・・。
安井かずみさんが亡くなられた時は「Zuzu Songs」と銘打って追悼コンサートが行われ
その時ジュリーは冗談半分に「加瀬さんや大野さん、井上さんが亡くなった時もやります。
どうせオレよりさきやろ」などとのたもうておりましたが
そして加瀬さんが亡くなられた時、銘打つことはしませんでしたが実質追悼コンサートと言っていいライブをされました。
特に行くつもりはなかったちゃちゃだったが不思議な運命に導かれて行きましたがな、それ。記事はコチラと、コチラも。
大野さんに至っては・・・イヤ、まだ元気やけど、あのひとは(あの人はそうそう死なんやろw)
一回では到底やりきれないほどの曲数があるのですが
意外と井上さんは少ないような気がしますな・・・正確にカウントはしてませんが。印象として・・・。
とはいえ、あらゆる面でジュリーを支え続けた、欠かせない存在の人であったのは間違いないでしょう。
もちろん日本の音楽史にもその名を刻む偉大なミュージシャンであられました。
詳しくはこちらもWikiリンク貼っときます。
ちょっと昔のレコード・・・はすべてCDに買い直してしまいましたが
聞き直してお二人を偲び、ご冥福をお祈りいたします。
・・・寂しいことです・・・。