今回は・・・珍しいことに思い出話ではなくリアルタイム話!
そお、もののはずみか何の因果か?
たった今リアルにやっているジュリーのコンサートのセトリ話。
こっちの水苦いぞ、今日の記事長いぞ!
でも、ま・・・やっぱり結局思い出話になるんスけどね。
みなさんも・・・というよりみなさんの方がよくご存知
今ジュリーがやってる「こっちの水苦いぞ」ツアーは
ほぼ加瀬邦彦先生追悼コンサートに他なりません。
新曲以外は全曲加瀬さん作曲のシングル曲でしたねえ。
何とライブ初ではないか?という曲もありましたなあ・・・たぶんやけど。
会場ごとにややMCは違うようですが
どの会場でも加瀬先生をしのびつつ、時にマジで泣いてるんかなあ・・・というような感じで
「加瀬さんは、エエ人やったんよ」としみじみ。
ほぼ20年ぶりに見たジュリーのライブは
久しぶり人間にとっては随分静かな、演出もシンプルなライブと映りました。
昔の派手派手の凝りに凝った演出をスタンダードと見ていたからかな。
その派手派手演出って、加瀬さんが中心だったんよね・・・
その話は本道のセトリあれこれでお話するとして。
リアルセトリは私が敢えてアップせずとも既にいろんな方が上げておられますが
それは今のライブの様子の記事が多いかと存じます。
なのでリアル解説はそのみなさんにお任せして、
ここではその歌の当時を語ってもよろしいかな?・・・ということで。
まずオープニングとしてステージに流れてくるBGMはこれですね、
じゅりわんやった時の友情物語「FRIEND SHIP」
フレンド、というよりは兄弟みたいな二人でしたが、
ある意味親子みたいでもあったかなあ~とも思います。
歌手・沢田研二の育ての親だよ、邦彦とーたん。
1.危険なふたり 1973年 詞:安井かずみ
ソロになってまず最初のビッグヒットがこれ。オリコン1位、もとい一等賞!
この歌から衣装デザインが早川タケジさんになりましたね。
素肌に白いスーツ?!・・・ってぶっ飛びました。
歌謡大賞というデカイ賞も取って、いよいよジュリー時代の幕開け?的な。
2.恋は邪魔もの 1974年 詞:安井かずみ
素肌にオーバーオールのジーンズを着て
その上にアロハっぽいシャツを着てたのが当時の衣装。
間奏の時にそのアロハを脱いでぐるぐる回してポイっと捨てる。
ちゃちゃは当時これを「上着ギンギン」と呼んでワクワクして見ていたもんです。
後半は全くやってくれなくなったけど。
レコジャケの派手さにレジに持ってくのが超恥ずかった・・・なんで?
ちなみに、この歌から井上バンドに速水くんが加わります。
3.許されない愛 1972年 詞:山上路夫
ソロデビュー2曲目のこれは時のアルバム「JULIE Ⅱ」からのシングルカット。
レコード大賞の歌唱賞に選ばれて
それまで賞レースから締め出しを喰らっていた元GSメンバーのジュリーとしては
「寝た子を起こされた気分」だったそうです。
最優秀歌唱賞に選ばれた和田アキ子さんがその時テンション上がりまくって泣きそうになり
思わず隣席にいたジュリーの手を掴んで「ジュリー、ついてきて~!」と言って
受賞のステージに一緒に上がったのは有名なワンシーン。
でも、アッコさんとジュリーとの間には浮いた噂はチラとも出なんだなwww
4.死んでもいい 1972年 詞:安井かずみ
「死んでもいいと言うのは僕の歌の中だけにしといて欲しい」
当時のジュリーの願いを込めたこのセリフの
意味と理由を知る人は今どれだけいらっしゃるのでしょう。
すみません、これについては敢えてこれ以上書かないことにします。
ただ、頑張って生きようよ、というジュリーの願いだけを汲んでください。
5.白い部屋 1974年 詞:山上路夫
前に書きましたね、麻丘めぐみさんの歌と同じタイトルで・・・てハナシwww
しみじみした歌で、加瀬さんを思うと泣ける歌ではありますが、
ちゃちゃはどーしても麻丘さんのこのネタを思い出して
しんみりできない。なんてこった。
6.追憶 1975年 詞:安井かずみ
女性の固有名詞が出て来て驚いた。ニーナって誰?的な。
ほぼ時を同じくして西城秀樹さんが「傷だらけのローラ」を歌い
ジュリーファンは女性の固有名詞を入れるアイデアのパクリだと憤慨した。
ヒデキさん、すみません。今にして思えば言いがかりもいいとこでした。
後半、「オ~、ニーナ・・・」の囁きの後の演奏、「ジャ!ジャン!!」てとこで
ジュリーがバッと目を閉じる。これが乙女心を震わせた・・・とか何とか!
しかしお子ちゃまちゃちゃは何かめっちゃ見るの恥ずかった。なんでやろう。
7.あなたへの愛 1973年 詞:安井かずみ
この次がビッグヒットの「危険なふたり」だったので地味に感じられますが
実は実に良い歌ですよ!!! 実はちゃちゃはこの歌でファンになったもん。
一般的にジュリー落ちするタイミングでは全然ないんやが。
いや、ええ歌や!! めっちゃええ歌や!!!!!!意味なく力説。
8.胸いっぱいの悲しみ 1973年 詞:安井かずみ
ほぼ時を同じくして天地真理さんが「空いっぱいのしあわせ」を歌い・・・
別にジュリーファンは憤慨しなかったけど。
この時の衣装が前曲の「危険なふたり」の派手衣装から一転
シンプルなハイネックの白いセーターになり・・・まだ暑い頃ですよ、
「夜ヒット」に出た時、司会の芳村真理さんや井上順さんが
「ジュリー、大丈夫? 暑くない?」「もっと冷房効かせて!」と叫んだりした。
ずうっと右手をズボンのポッケに突っ込んだまま静かに歌うので
ファンなりたてのお子ちゃまちゃちゃは退屈してしまっていました。
いやあ~メンゴメンゴ。
9.おまえがパラダイス 1980年 詞:三浦徳子
もうこれは何をかいわんや。間奏でケンさんがハンカチ口にくわえて膝をついたり
2番のサビでカズさんがジュリーと二人てAKGマイク握って並んで熱唱
ジュリーがカズさんの頭ぐしゃぐしゃ・・・・
これでアゲアゲにならない奴はモグリじゃ!(何のだよ・・・)
リアルタイムファンは初見でぶっ飛びましたとも。
この頃ジュリーは新曲初テレビは「夜ヒット」とほぼ決まっていたようです。
その初「夜ヒット」でカズさん落ち犠牲者(?)はカズ知れず(ほんまか?)
ちなみにちゃちゃのカズさん落ちは同年8月のコンサートツアー大阪公演です。
初の前から5列目が取れてカズさんの真ん前だったのが運の尽き。
大阪フェス出るなり同行の友達と「和彦、ええなあ!」とうなずき合ったことであるよ。
(・・・当時は「和彦」と呼んでました。なんて厚かましい。)
10.夕なぎ 1976年 詞:山上路夫 「コバルトの季節の中で」B面
リアルタイムこの選曲は泣けた。ヤバいわ。これやるか・・・・・。
ジュリー本人も語っていた通り、二度目の暴行事件で謹慎していて、
そこから帰って来た時のファンの「ジュリー、お帰り。」を
見事に代弁した曲ですもの。
そんなん、ジュリー、言われんかて
当時一緒に過ごしたファンは知ってるでえ~。
不安で不安で、戻って来てこの芸能界、社会が
ジュリーをまた受け入れて、この先歌わせてくれるんやろうか、
大丈夫やろうか、戻って来れるんやろうか・・・・
ジュリーもいろいろ考えて辛かったやろうけどファンも一緒に辛い思いしててんよ。
うちらジュリーの味方やで、帰って来てや、また応援絶対するからな!
当時のジュリ友とそう話し合い誓い合ったもんやってんで。イヤ、マジで。
さて・・・ここから4曲は新曲やそうです。
ちゃちゃは門外漢となりますので曲目だけ書いときます。
作詞は全曲ジュリー、作曲はバックの鉄人バンドの各メンバー。
11.泣きべそなブラッド・ムーン 曲:大山泰輝
12.涙まみれFIRE FIGHTER 曲:柴山和彦
13.こっちの水苦いぞ 曲:下山淳
14.臨海限界 曲:GRACE
核の話になると「太陽を盗んだ男」をチラリ思い出す。
15.ウインクでさよなら 1976年 詞:荒井由実
当時はユーミンこと荒井(松任谷ではない)由実さんに歌を作ってもらうがぷち流行。
おや、ジュリーもか?! と思ったらなんの何の、
作曲はしっかり加瀬先生ではないッスか!
で・・・・ちゃちゃが見た10月3日・・・・
イントロが終わって歌いだし・・・ハミングになるジュリー、そして
「待って!! 待って!! ちょと!待て!」
嗚呼・・・本日2度目!!の仕切り直し。ステージを3周、4周
考えながらぐるぐる歩き回るジュリー・・・。
思い出せ・・・思い出せ! だ~いじょうぶだよ~、何よ、今更(おい!)
16.バイバイ・ジェラシー 1981年 詞:三浦徳子 「渚のラブレター」B面
当時の好きな歌ベストスリーに勝手に入れる。
やあっぱ間奏のカズさんのギターソロ最強だろうと。
それにしても、井上堯之さんはこういった間奏のギターソロ
毎回アドリブっぽくてメロディーを変えることが多かったのですが
カズさんはあまり大きく変えないんだな、とこの曲で気づきました。
それからカズ・・・あああああ、当時はちゃちゃは生意気にもカズ、と呼んでました!
カズっていつも嬉しそうやなあ~、めっちゃ楽しそうやなあ、
その笑顔がめちゃ可愛いわあ~・・・とニマニマしながら見てたわよ。
(メンバーの呼び方はジュリーに準していたあの頃)
17.甘いたわむれ 1974年 詞:安井かずみ 「追憶」B面
少なくともちゃちゃはライブで初めて聴いた。
メロディーラインは加瀬さんらしい流れだな、と思います。
ジュリーにしちゃ可愛い歌じゃないでしょうか。
・・・て、おや? ズズさんの追悼コンサートでやってた?
あらあらそうか。つーか、よく思い出してみたら
1975年ごろのスタジオライブで歌うてたわ。シッツレ~!
18.恋のバッド・チューニング 1980年 詞:糸井重里
「TOKIO」に続く糸井さんシリーズ。
胃潰瘍の入院生活後、ゲッソリこけた頬で帰って来たジュリーは
青いカラコンに電飾透明ギターを抱え、囚人服を縦じまにしたような衣装で登場。
あのカラコンに目が点になった・・・ら、そのうちカラコンは金になった。
やっぱ見ている方が恥ずかった・・・・。
うちのおかんが見て「えらい痩せてしもて・・・」と盛んに気の毒がってました。
(カラコンはスルー)
カズさんのバックコーラスさくれつ。この時既にちゃちゃの視線はカズさん方向へ・・・。
19.ねじれた祈り 2000年 詞:GRACE
最近の歌なのでわからなくてスミマセン・・・次もです。
・・・最近でもないがな。
20.きわどい季節 1987年 詞:阿久悠
いや、最近ちゃうやん。カズさんのわずかな中抜けの時期ですね。
このすぐあとくらいからしばらくは知ってるんだけど。
ここからはアンコール。ちょいと着替えた程度で割とすぐに出て来て、
歌いっぱなしだったジュリーはここで長めのMCに。
会場ごとに若干違ったのかもしれませんが
この時は「加瀬さんはいろんな人に会わせてくれた」
「その一人が早川タケジ」「この近くにもあるPARCOのCMをやろうということになって」
「石岡瑛子さんに加瀬さんと三人でお目にかかった」等々・・・
石岡さんは世界的にも有名な舞台芸術家で、PARCO出版から
ジュリーのヌード写真集「水の皮膚」という本まで出ましたが、
そのCM等の撮影に関して、とある海外の小さな島での撮影時、
「裸に慣れるために着いたその時からずっとすっぽんぽんで過ごしてくださいと言われ」
「加瀬さんまで一緒にずっとすっぽんぽんになっててくれた」
・・・・・何の話や・・・・。
そして結論。
「加瀬さんはホンマにええ人なんよ。」
途中のMCでは、最近明かりが急に消えたりGRACEさんのマイクが勝手にオフったり
「加瀬さんがいたずらしてるらしいんやね」とか
歌詞を度忘れしては「加瀬さんがこの辺うろうろして・・・」
揚句「何でも加瀬さんのせいにするな」と自分でツッコミ・・・
・・・・・・・・・
今日も加瀬さんは元気でジュリーの周りをうろうろしてはったらしいですww
「だって何でもできるんやもん、魂だけやから!」
加瀬さんの訃報を聞いた時、鳥塚しげきさんと一緒に泣いたらしいジュリーではありますが
そうやって加瀬さんを慕う気持ちは変わらず。死は悼むけれど友情は変わらず、ですね。
21.TOKIO 1980年 詞:糸井重里
詳しくは前に書いた記事をどうぞ。
22.気になるお前 1973年 詞:安井かずみ 「胸いっぱいの悲しみ」B面
今だから言える? ジュリーはこの歌をリリース当時から長きに渡って歌ってますが
当初結構長いことテレビでもコンサートでも
2番の「恋はもうすぐそこまで近づいてる」の部分を
「みんながちやほやするからその気になる」と、1番と同じ歌詞で歌ってました~
・・・誰も知らせんかったんかい。
ちゃちゃ的には地味なA面が物足りなく感じて
派手なこっちをA面にすりゃええのに~と思ってたもんでした。
23.海にむけて 2008年 詞:沢田研二
ラストの一曲。しっとりと、でも雄々しく、これがジュリーと加瀬さんの物語や。
やっぱ前半の数曲は半ベソかいて歌ってたんかなあ。
演技で泣きまねするのが好きなジュリーではありますが
ホントに泣きそうな時はこらえて歌うものね。
わざと泣き入れる時とはやっぱり違ったように思えました。
長々レポ半分ウンチク半分で来ましたが・・・
カズさんですかあ???
ホンマに変わりませんねえ、あの方は。
上げる足の高さこそ低くなったけど
ソロ演奏でちゃちゃっと前に出て来てさあっと引き上げる時の足の運び
ちょっぴりお茶目に映るあのステップは
ちゃちゃの知る27歳カズさんと全然遜色ないわ~www
何故かズックを履いてはって、軽~く小走りになる後ろ姿を見て
若い頃のマイケルJフォックスみたいやと思いました。
マイケルも可愛いやん、ちっこいし。ちっこい奴のファンか、ワシ・・・。
だけど音は深い。さすがのギターテクも健在で感服です。
でも、変な言い方かもしれませんけど
若カズさんの時期(少なくとも1990年代以前)に比べて
・・・・・オトナになったねエ(なんやそら・・・)
だってあの頃のカズさんてマジで少年やったもん。
カズさんやのうてカズ!!やったもん~!
それと何がすごいて・・・鉄人バンドさんは
オリジナル音源のイメージを絶対に壊すことなく再現して見せるのがスゴイ。
たった4人なのに、あの厚みはスバラシイと思いました。
そしてジュリー・・・・歌声若いなあ~。
歌詞を忘れて何度か歌い直したのもご愛敬よ。それもらしくてww
喋ったらもう声ガラガラでケッコしんどそうなのに歌うと変わる、
その歌うと変わるってところは昔と変わらんね。
体型こそやばいけど・・・・
だって昔一緒にダークホースと呼ばれた五木ひろしさん、森進一さん、布施明さんは
みなさん今もシュッとしててタイトやもん。
まさかジュリーがこの体型になるとは絶対想像してなかったわ~。
あ、別に悪いとかゆうてるんやないですよ。ただ、想定外やったとwww
さてまたジュリーのコンサートに行くかと言うと・・・
まあ、少なくとも当分は行かへんと思います。
今回はねエ・・・加瀬さんの追悼でしたから。
でも、今回は行けて良かったな、というのは本心です。いやホンマ。
というところで、ここからは私信。
とあるジュリーのファン様、
貴重なチケットをお譲りくださってありがとうございました。
お目にかかってじかに頂戴するべきところ、
慣れない土地をうろうろしているうちに機会を逸してしまい
お会いできずじまいで申し訳ありませんでした。
ここで心よりお礼とお詫びを申し上げます。
ぴょんた様、お目にかかれて良かったです!!
ブログ・・・されてましたよね??
PC買い換えた際に見失ってしまいました。ごめんなさい!
よければURL教えてください。
渋公まで連れてってくださってアリガト~ネ~!!
いい席でした? カズさん良く見えました??
その他思いがけずお目にかかった皆様、お名前も知らずにお話だけははずんで
とても楽しかったです!!
またどこかでお目にかかれたらな・・・と思います。
そしてそしてしょあさん!!!!!!
もはや感謝の言葉もないわいな。イラスト展大盛況おめでとうございます。
いろいろと追及したい詰め寄りたいことはございましょうがwww
とにもかくにも今回多大なお世話になり
ホンマにしつこいけど重ねてお礼申し上げます。
またお会いできる日を楽しみにしております。
みなさん、ありがとうございました。
欲をついでに言えば、DY兄さんにもお会いしたかった。
しょあさんとこには来られたのでしょうか?
というわけで、今回これまで。お粗末!!
・・・・・あ~・・・・長かった。
そお、もののはずみか何の因果か?
たった今リアルにやっているジュリーのコンサートのセトリ話。
こっちの水苦いぞ、今日の記事長いぞ!
でも、ま・・・やっぱり結局思い出話になるんスけどね。
みなさんも・・・というよりみなさんの方がよくご存知
今ジュリーがやってる「こっちの水苦いぞ」ツアーは
ほぼ加瀬邦彦先生追悼コンサートに他なりません。
新曲以外は全曲加瀬さん作曲のシングル曲でしたねえ。
何とライブ初ではないか?という曲もありましたなあ・・・たぶんやけど。
会場ごとにややMCは違うようですが
どの会場でも加瀬先生をしのびつつ、時にマジで泣いてるんかなあ・・・というような感じで
「加瀬さんは、エエ人やったんよ」としみじみ。
ほぼ20年ぶりに見たジュリーのライブは
久しぶり人間にとっては随分静かな、演出もシンプルなライブと映りました。
昔の派手派手の凝りに凝った演出をスタンダードと見ていたからかな。
その派手派手演出って、加瀬さんが中心だったんよね・・・
その話は本道のセトリあれこれでお話するとして。
リアルセトリは私が敢えてアップせずとも既にいろんな方が上げておられますが
それは今のライブの様子の記事が多いかと存じます。
なのでリアル解説はそのみなさんにお任せして、
ここではその歌の当時を語ってもよろしいかな?・・・ということで。
まずオープニングとしてステージに流れてくるBGMはこれですね、
じゅりわんやった時の友情物語「FRIEND SHIP」
フレンド、というよりは兄弟みたいな二人でしたが、
ある意味親子みたいでもあったかなあ~とも思います。
歌手・沢田研二の育ての親だよ、邦彦とーたん。
1.危険なふたり 1973年 詞:安井かずみ
ソロになってまず最初のビッグヒットがこれ。オリコン1位、もとい一等賞!
この歌から衣装デザインが早川タケジさんになりましたね。
素肌に白いスーツ?!・・・ってぶっ飛びました。
歌謡大賞というデカイ賞も取って、いよいよジュリー時代の幕開け?的な。
2.恋は邪魔もの 1974年 詞:安井かずみ
素肌にオーバーオールのジーンズを着て
その上にアロハっぽいシャツを着てたのが当時の衣装。
間奏の時にそのアロハを脱いでぐるぐる回してポイっと捨てる。
ちゃちゃは当時これを「上着ギンギン」と呼んでワクワクして見ていたもんです。
後半は全くやってくれなくなったけど。
レコジャケの派手さにレジに持ってくのが超恥ずかった・・・なんで?
ちなみに、この歌から井上バンドに速水くんが加わります。
3.許されない愛 1972年 詞:山上路夫
ソロデビュー2曲目のこれは時のアルバム「JULIE Ⅱ」からのシングルカット。
レコード大賞の歌唱賞に選ばれて
それまで賞レースから締め出しを喰らっていた元GSメンバーのジュリーとしては
「寝た子を起こされた気分」だったそうです。
最優秀歌唱賞に選ばれた和田アキ子さんがその時テンション上がりまくって泣きそうになり
思わず隣席にいたジュリーの手を掴んで「ジュリー、ついてきて~!」と言って
受賞のステージに一緒に上がったのは有名なワンシーン。
でも、アッコさんとジュリーとの間には浮いた噂はチラとも出なんだなwww
4.死んでもいい 1972年 詞:安井かずみ
「死んでもいいと言うのは僕の歌の中だけにしといて欲しい」
当時のジュリーの願いを込めたこのセリフの
意味と理由を知る人は今どれだけいらっしゃるのでしょう。
すみません、これについては敢えてこれ以上書かないことにします。
ただ、頑張って生きようよ、というジュリーの願いだけを汲んでください。
5.白い部屋 1974年 詞:山上路夫
前に書きましたね、麻丘めぐみさんの歌と同じタイトルで・・・てハナシwww
しみじみした歌で、加瀬さんを思うと泣ける歌ではありますが、
ちゃちゃはどーしても麻丘さんのこのネタを思い出して
しんみりできない。なんてこった。
6.追憶 1975年 詞:安井かずみ
女性の固有名詞が出て来て驚いた。ニーナって誰?的な。
ほぼ時を同じくして西城秀樹さんが「傷だらけのローラ」を歌い
ジュリーファンは女性の固有名詞を入れるアイデアのパクリだと憤慨した。
ヒデキさん、すみません。今にして思えば言いがかりもいいとこでした。
後半、「オ~、ニーナ・・・」の囁きの後の演奏、「ジャ!ジャン!!」てとこで
ジュリーがバッと目を閉じる。これが乙女心を震わせた・・・とか何とか!
しかしお子ちゃまちゃちゃは何かめっちゃ見るの恥ずかった。なんでやろう。
7.あなたへの愛 1973年 詞:安井かずみ
この次がビッグヒットの「危険なふたり」だったので地味に感じられますが
実は実に良い歌ですよ!!! 実はちゃちゃはこの歌でファンになったもん。
一般的にジュリー落ちするタイミングでは全然ないんやが。
いや、ええ歌や!! めっちゃええ歌や!!!!!!意味なく力説。
8.胸いっぱいの悲しみ 1973年 詞:安井かずみ
ほぼ時を同じくして天地真理さんが「空いっぱいのしあわせ」を歌い・・・
別にジュリーファンは憤慨しなかったけど。
この時の衣装が前曲の「危険なふたり」の派手衣装から一転
シンプルなハイネックの白いセーターになり・・・まだ暑い頃ですよ、
「夜ヒット」に出た時、司会の芳村真理さんや井上順さんが
「ジュリー、大丈夫? 暑くない?」「もっと冷房効かせて!」と叫んだりした。
ずうっと右手をズボンのポッケに突っ込んだまま静かに歌うので
ファンなりたてのお子ちゃまちゃちゃは退屈してしまっていました。
いやあ~メンゴメンゴ。
9.おまえがパラダイス 1980年 詞:三浦徳子
もうこれは何をかいわんや。間奏でケンさんがハンカチ口にくわえて膝をついたり
2番のサビでカズさんがジュリーと二人てAKGマイク握って並んで熱唱
ジュリーがカズさんの頭ぐしゃぐしゃ・・・・
これでアゲアゲにならない奴はモグリじゃ!(何のだよ・・・)
リアルタイムファンは初見でぶっ飛びましたとも。
この頃ジュリーは新曲初テレビは「夜ヒット」とほぼ決まっていたようです。
その初「夜ヒット」でカズさん落ち犠牲者(?)はカズ知れず(ほんまか?)
ちなみにちゃちゃのカズさん落ちは同年8月のコンサートツアー大阪公演です。
初の前から5列目が取れてカズさんの真ん前だったのが運の尽き。
大阪フェス出るなり同行の友達と「和彦、ええなあ!」とうなずき合ったことであるよ。
(・・・当時は「和彦」と呼んでました。なんて厚かましい。)
10.夕なぎ 1976年 詞:山上路夫 「コバルトの季節の中で」B面
リアルタイムこの選曲は泣けた。ヤバいわ。これやるか・・・・・。
ジュリー本人も語っていた通り、二度目の暴行事件で謹慎していて、
そこから帰って来た時のファンの「ジュリー、お帰り。」を
見事に代弁した曲ですもの。
そんなん、ジュリー、言われんかて
当時一緒に過ごしたファンは知ってるでえ~。
不安で不安で、戻って来てこの芸能界、社会が
ジュリーをまた受け入れて、この先歌わせてくれるんやろうか、
大丈夫やろうか、戻って来れるんやろうか・・・・
ジュリーもいろいろ考えて辛かったやろうけどファンも一緒に辛い思いしててんよ。
うちらジュリーの味方やで、帰って来てや、また応援絶対するからな!
当時のジュリ友とそう話し合い誓い合ったもんやってんで。イヤ、マジで。
さて・・・ここから4曲は新曲やそうです。
ちゃちゃは門外漢となりますので曲目だけ書いときます。
作詞は全曲ジュリー、作曲はバックの鉄人バンドの各メンバー。
11.泣きべそなブラッド・ムーン 曲:大山泰輝
12.涙まみれFIRE FIGHTER 曲:柴山和彦
13.こっちの水苦いぞ 曲:下山淳
14.臨海限界 曲:GRACE
核の話になると「太陽を盗んだ男」をチラリ思い出す。
15.ウインクでさよなら 1976年 詞:荒井由実
当時はユーミンこと荒井(松任谷ではない)由実さんに歌を作ってもらうがぷち流行。
おや、ジュリーもか?! と思ったらなんの何の、
作曲はしっかり加瀬先生ではないッスか!
で・・・・ちゃちゃが見た10月3日・・・・
イントロが終わって歌いだし・・・ハミングになるジュリー、そして
「待って!! 待って!! ちょと!待て!」
嗚呼・・・本日2度目!!の仕切り直し。ステージを3周、4周
考えながらぐるぐる歩き回るジュリー・・・。
思い出せ・・・思い出せ! だ~いじょうぶだよ~、何よ、今更(おい!)
16.バイバイ・ジェラシー 1981年 詞:三浦徳子 「渚のラブレター」B面
当時の好きな歌ベストスリーに勝手に入れる。
やあっぱ間奏のカズさんのギターソロ最強だろうと。
それにしても、井上堯之さんはこういった間奏のギターソロ
毎回アドリブっぽくてメロディーを変えることが多かったのですが
カズさんはあまり大きく変えないんだな、とこの曲で気づきました。
それからカズ・・・あああああ、当時はちゃちゃは生意気にもカズ、と呼んでました!
カズっていつも嬉しそうやなあ~、めっちゃ楽しそうやなあ、
その笑顔がめちゃ可愛いわあ~・・・とニマニマしながら見てたわよ。
(メンバーの呼び方はジュリーに準していたあの頃)
17.甘いたわむれ 1974年 詞:安井かずみ 「追憶」B面
少なくともちゃちゃはライブで初めて聴いた。
メロディーラインは加瀬さんらしい流れだな、と思います。
ジュリーにしちゃ可愛い歌じゃないでしょうか。
・・・て、おや? ズズさんの追悼コンサートでやってた?
あらあらそうか。つーか、よく思い出してみたら
1975年ごろのスタジオライブで歌うてたわ。シッツレ~!
18.恋のバッド・チューニング 1980年 詞:糸井重里
「TOKIO」に続く糸井さんシリーズ。
胃潰瘍の入院生活後、ゲッソリこけた頬で帰って来たジュリーは
青いカラコンに電飾透明ギターを抱え、囚人服を縦じまにしたような衣装で登場。
あのカラコンに目が点になった・・・ら、そのうちカラコンは金になった。
やっぱ見ている方が恥ずかった・・・・。
うちのおかんが見て「えらい痩せてしもて・・・」と盛んに気の毒がってました。
(カラコンはスルー)
カズさんのバックコーラスさくれつ。この時既にちゃちゃの視線はカズさん方向へ・・・。
19.ねじれた祈り 2000年 詞:GRACE
最近の歌なのでわからなくてスミマセン・・・次もです。
・・・最近でもないがな。
20.きわどい季節 1987年 詞:阿久悠
いや、最近ちゃうやん。カズさんのわずかな中抜けの時期ですね。
このすぐあとくらいからしばらくは知ってるんだけど。
ここからはアンコール。ちょいと着替えた程度で割とすぐに出て来て、
歌いっぱなしだったジュリーはここで長めのMCに。
会場ごとに若干違ったのかもしれませんが
この時は「加瀬さんはいろんな人に会わせてくれた」
「その一人が早川タケジ」「この近くにもあるPARCOのCMをやろうということになって」
「石岡瑛子さんに加瀬さんと三人でお目にかかった」等々・・・
石岡さんは世界的にも有名な舞台芸術家で、PARCO出版から
ジュリーのヌード写真集「水の皮膚」という本まで出ましたが、
そのCM等の撮影に関して、とある海外の小さな島での撮影時、
「裸に慣れるために着いたその時からずっとすっぽんぽんで過ごしてくださいと言われ」
「加瀬さんまで一緒にずっとすっぽんぽんになっててくれた」
・・・・・何の話や・・・・。
そして結論。
「加瀬さんはホンマにええ人なんよ。」
途中のMCでは、最近明かりが急に消えたりGRACEさんのマイクが勝手にオフったり
「加瀬さんがいたずらしてるらしいんやね」とか
歌詞を度忘れしては「加瀬さんがこの辺うろうろして・・・」
揚句「何でも加瀬さんのせいにするな」と自分でツッコミ・・・
・・・・・・・・・
今日も加瀬さんは元気でジュリーの周りをうろうろしてはったらしいですww
「だって何でもできるんやもん、魂だけやから!」
加瀬さんの訃報を聞いた時、鳥塚しげきさんと一緒に泣いたらしいジュリーではありますが
そうやって加瀬さんを慕う気持ちは変わらず。死は悼むけれど友情は変わらず、ですね。
21.TOKIO 1980年 詞:糸井重里
詳しくは前に書いた記事をどうぞ。
22.気になるお前 1973年 詞:安井かずみ 「胸いっぱいの悲しみ」B面
今だから言える? ジュリーはこの歌をリリース当時から長きに渡って歌ってますが
当初結構長いことテレビでもコンサートでも
2番の「恋はもうすぐそこまで近づいてる」の部分を
「みんながちやほやするからその気になる」と、1番と同じ歌詞で歌ってました~
・・・誰も知らせんかったんかい。
ちゃちゃ的には地味なA面が物足りなく感じて
派手なこっちをA面にすりゃええのに~と思ってたもんでした。
23.海にむけて 2008年 詞:沢田研二
ラストの一曲。しっとりと、でも雄々しく、これがジュリーと加瀬さんの物語や。
やっぱ前半の数曲は半ベソかいて歌ってたんかなあ。
演技で泣きまねするのが好きなジュリーではありますが
ホントに泣きそうな時はこらえて歌うものね。
わざと泣き入れる時とはやっぱり違ったように思えました。
長々レポ半分ウンチク半分で来ましたが・・・
カズさんですかあ???
ホンマに変わりませんねえ、あの方は。
上げる足の高さこそ低くなったけど
ソロ演奏でちゃちゃっと前に出て来てさあっと引き上げる時の足の運び
ちょっぴりお茶目に映るあのステップは
ちゃちゃの知る27歳カズさんと全然遜色ないわ~www
何故かズックを履いてはって、軽~く小走りになる後ろ姿を見て
若い頃のマイケルJフォックスみたいやと思いました。
マイケルも可愛いやん、ちっこいし。ちっこい奴のファンか、ワシ・・・。
だけど音は深い。さすがのギターテクも健在で感服です。
でも、変な言い方かもしれませんけど
若カズさんの時期(少なくとも1990年代以前)に比べて
・・・・・オトナになったねエ(なんやそら・・・)
だってあの頃のカズさんてマジで少年やったもん。
カズさんやのうてカズ!!やったもん~!
それと何がすごいて・・・鉄人バンドさんは
オリジナル音源のイメージを絶対に壊すことなく再現して見せるのがスゴイ。
たった4人なのに、あの厚みはスバラシイと思いました。
そしてジュリー・・・・歌声若いなあ~。
歌詞を忘れて何度か歌い直したのもご愛敬よ。それもらしくてww
喋ったらもう声ガラガラでケッコしんどそうなのに歌うと変わる、
その歌うと変わるってところは昔と変わらんね。
体型こそやばいけど・・・・
だって昔一緒にダークホースと呼ばれた五木ひろしさん、森進一さん、布施明さんは
みなさん今もシュッとしててタイトやもん。
まさかジュリーがこの体型になるとは絶対想像してなかったわ~。
あ、別に悪いとかゆうてるんやないですよ。ただ、想定外やったとwww
さてまたジュリーのコンサートに行くかと言うと・・・
まあ、少なくとも当分は行かへんと思います。
今回はねエ・・・加瀬さんの追悼でしたから。
でも、今回は行けて良かったな、というのは本心です。いやホンマ。
というところで、ここからは私信。
とあるジュリーのファン様、
貴重なチケットをお譲りくださってありがとうございました。
お目にかかってじかに頂戴するべきところ、
慣れない土地をうろうろしているうちに機会を逸してしまい
お会いできずじまいで申し訳ありませんでした。
ここで心よりお礼とお詫びを申し上げます。
ぴょんた様、お目にかかれて良かったです!!
ブログ・・・されてましたよね??
PC買い換えた際に見失ってしまいました。ごめんなさい!
よければURL教えてください。
渋公まで連れてってくださってアリガト~ネ~!!
いい席でした? カズさん良く見えました??
その他思いがけずお目にかかった皆様、お名前も知らずにお話だけははずんで
とても楽しかったです!!
またどこかでお目にかかれたらな・・・と思います。
そしてそしてしょあさん!!!!!!
もはや感謝の言葉もないわいな。イラスト展大盛況おめでとうございます。
いろいろと追及したい詰め寄りたいことはございましょうがwww
とにもかくにも今回多大なお世話になり
ホンマにしつこいけど重ねてお礼申し上げます。
またお会いできる日を楽しみにしております。
みなさん、ありがとうございました。
欲をついでに言えば、DY兄さんにもお会いしたかった。
しょあさんとこには来られたのでしょうか?
というわけで、今回これまで。お粗末!!
・・・・・あ~・・・・長かった。
たくさんの偶然が重なって渋公のライブへ行けたのは、
『運命』だったのか、もしかしたら加瀬さんのイタズラだったのかもww
ところで ちゃちゃさん、
昔と全然変わらないカズさんに惚れ直さなかった?
私もぴょんたさんに会えるなんて思ってもみませんでした!
しょあさんから「ぴょんたさん来てるよ、まだいるはず!」と聞いた時は嬉しかったです~!!
せやね、絶対加瀬さんのせい・・・イヤイヤイヤ、お導きですわ。
え? 惚れ直・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?