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ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

あの頃のKAZZ~セトリあれこれ④

2017年05月10日 22時09分08秒 | KAZZあれやこれや
柴山カズさんのセトリのお話~

今回は知る人ぞ知る松尾清憲さんのライブセトリをご紹介。

の、前に松尾清憲さんとは?・・・
実はちゃちゃ、正直、よう知りません。

今を去る数十数年前、柴山和彦さんご本人に
「今、どんな人のバックやっておられるのですか?」と尋ねた際
「今度松尾清憲くんっていう人のね、ライブに出るの。
良明(ムーンライダーズの白井りょうめい)くんと、
アキラ(EXOTICSで一緒した西平彰くん)もいっしょにね。
大阪はね、バナナホールに出るよ。」
とおせーていただき、喜んでホイホイ出かけたちゃちゃでありました。

バナナホールと言えば今年開館ならぬ閉館10周年だそうで
閉館10周年記念ライブを行うそうですな。
10年間取り壊しもせんとそのままやったんや・・・

ちなみにジュリーがデビュー前のファニーズ時代に出演していた
大阪なんばにあった「ナンバ一番」も閉鎖後なっがーーーーーーーーいことそのままやったらしい。

閑話休題。

とりあえず松尾君のアルバムなりなんなりを入手して予習して臨んだバナナホール。
(残念ながらカズさんはレコードの演奏はノータッチだった・・・)
コンサートホールと違って段差は低いわステージ近いわで
「おお、ライブハウスとは何とよきところかな」と感心したのでありました。
だって、あのカズさんが、ジュリーや大沢では手の届かない高みにいるカズさんが
そこにおんねんもん。手エ伸ばしたら突き倒せる距離やで!(突き倒してどうする)

席は自由で早いもん勝ちやし。
友人と二人で行ったその時は、もうだいたい席は埋まってたけど、
ほら、男性客はそんなに前に行かないし、女性客はひとところに固まるでしょ?
チラホラ一つ席が浮いている・・・のでちゃちゃと友人は別れてゲリラ戦で潜り込んだのであった!

すでに酔って出来上がっているお姉様の一軍と少し話をしましたが
東京・名古屋・大阪・福島の4か所で開かれたこのライブをコンプリートされるそうで
確か4人のうち二人はカズさんの、もう二人はアキラくんのファンだったような気がする。
ああ、あの時の方々は今いずこでどうしておられるのでしょう。これぞ一期一会でございます。

えーっと・・・閑話休題その2。
セトリ、行きます。
時は1986年5月28日・・・わっちゃ~・・・30年以上たってんのかーいい!!
題して「松尾清憲 セッション ウイズ サーティ ラヴ」

1.30-0 THIRTY LOVE
当時お酒のCMソングとして使われ、そのお酒が30度だったので
こういうタイトルになってるのやそうな。テニスのスコア30-0と引っ掛けてもいます。
これはウィキにも載ってへんな・・・
2.アスピリン・ノイローゼ
3.PLASTIC LADY
4.For Your love
柴山さんのコーラスがジュリー時代よりのファンには嬉しい一曲だった。。。
5.ヤンガー・ガール
6.TEA FOR YOU
7.ふたつの片想い
8.シャングリラ
9.イノセント・アイズ
10.ハイヒールでタイトロープ
11.愛しのロージー
これがデビュー曲
12.THE LIMIT LOVE
13.僕らのハックルベリーフィン
14.さよならはヴァニラ色
15.ムーンライト・ランデヴー
16.5月のSUICIDE
17.エスケイプ・ドライブ

以上・・・1時間半ほどではなかったでしょうか。
どこからアンコールだったのかわかんないんですが
一旦引っ込んでアンコールに出てきた際、メンバーみんなで
そのライトウイスキー「30-0」の瓶を手にし、指でふたをしてシャカシャカ振って
・・・たぶん炭酸系だったのでせう、ぱあっと客席に向かって飛ばしたのですが
そのとき良明さんの振ったウイスキーがちゃちゃの目に入りまして・・・
猛烈に染みて痛かったのをちゃちゃは30年以上たった今も根に持っています。
これがカズさんだったら嬉しかったのになあ~~~~~・・・・・・チクショー
宝酒造でしたかな・・・このライブでは飲み放題でテーブルの上にどっさり載ってました。
それでくだんのお姉様がたはとっとと出来上がっておられたのだな。

このライブ時のカズさんはこれとよく似た格好をしていた記憶があります。

ジュリーの「ストリッパー」の時の衣装です。
カズさんはなんか赤が似合ったのよ。


カズさんの言うことにゃ、カズさんはその前より良明くんとはマブダチで
一緒にユニット組んで「ステレオブラザーズ」などと称していたのですが
その辺の繋がりで松尾くんとやることになったそうで。
松尾くんは元々ムーンライダーズの鈴木慶一くんとダチであったそうで、
だから良明くんとも近しい仲であったようです。
で、松尾くんがライブで「ツインリードギターが欲しい」と良明くんに相談したところ
じゃあカズさんにやってもらうべ、ということになったらしーです。
ちなみにカズさんは「松尾くん」松尾くんはカズさんを「柴山くん」と呼んでました。
年は松尾くんのがいっこ上ですかね。良明くんはカズさんより2つ年下。
アキラくんについては何でこの時いたのかわかりません。
カズさんよりは先にかかわってたらしいですが。
この時のアキラくんは確かストパー?で肩までのロン毛にしていて
確か確か新婚ホヤホヤであったとそのファンのお姉様がたに聞きました。


などとゼンブくんづけで記事を書くちゃちゃは何様だー


今もお元気でライブにトークショーにご活躍のようで何より。
今も良明くんと一緒してはるんやね~。FBもツイッターもされてるようです。

次回はダチ繋がりで何度も出て来てますが鈴木さえ子さんのセトリでも挙げようかと思います。


でわ今回これまで! お粗末!
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あの頃のKAZZ~セトリあれこれ③

2017年05月01日 13時15分11秒 | KAZZあれやこれや
すみません、カズさんのお話は半年以上振りですね。。。

半年前から声優の神谷浩史さんに現在完了進行形で走っておりまして
ついついついついカズさんやらジュリーやらが押しやられて
真に申し訳ない。

で、神谷ってる合間を縫いまして。


カズさんと大沢誉志幸くんのお話でしたわね。
その最後のセトリ紹介としてコレ挙げときましょう。
題して「大沢誉志幸スペシャルイベント」・・・何のことやらタイトルだけではわからんけど。
これは1990年3月19日ですから、今から何と27年も前のライブですね。

ちゃちゃは大沢くんのライブ座席はええとこが多くて、
まあ、ジュリー程競争率高くないせいでしょうけど、
一度は渋谷公会堂の前から2列目なんてこともありました。
ようは覚えとらんのですがこの27年前のライブもかなりええ席取れた気がします。
場所は大阪城ホール。
そしてこの時はサプライズゲストが出演したという・・・それは??

それは後のこととして、
時のアルバムはSerious Barbarian(シリアス・バーバリアン)三部作。
1989年から3枚続けて半年ごとのリリースでしたが
時の話では、3枚同じコンセプトでシリーズ作品を本人曰く”勝手に”出したということで
”社長”に凄く怒られたとか何とか・・・・
事務所の社長が誰だったのかようわからんのですが
それに対して一応詫びはしたけれど、既成事実を作っちゃってやり切ったとの噂。
そして本人曰く(てかFC会報の自筆コメントで)
「私は今まで本気で他人に頭を下げたことがありません」と・・・
・・・これは若気の至りなのか、それとも照れ隠しのヒールぶった洒落なのか・・・

・・・まあ、古い話です。

ともかくセトリ行きましょう。
1.Scoop
2.I'M not living (But) I'M not dying
3.inFinity
4.そして僕は、途方に暮れる
5.その気×××(mistake)
6.恋人と言えない~COLD & HOT 
7.Stop & ギミーラブ
8.ハートブレイク・ノイローゼ
9.ジュークボックスは傷ついてる
10.まずいリズムでベルが鳴る
11.ゴーゴーヘブン

ここまででちょっと注釈。
1・8・9はアルバム「Scoop」から
2は「LIFE」
3は「in・Fin・ity 」
4・5は「CONFUSION 」
6「Serious BarbarianⅡ」
7「Serious Barbarian」
10「まずいリズムでベルが鳴る」
11「SCRAP STORIES」収録で
アニメ「シティーハンター」の第3期OPとしてバージョン違いのシングルでも発売。
・・・全然アニメと合ってなかったとはちゃちゃ周辺の声。
・・・今見てもやっぱり合ってないな、大沢の声が浮きまくってる(個人の感想です)

さて、ここでお待ちかねのスペシャルゲストの登場!!
これ以前にも確か4人くらいでの公演を行った時にも飛び入りの如く現れて
大沢ファンにも関わらず大沢よりもウケたゲストとは
あの、あの!! 何と吉川晃司さんでありました!!
登場するなり思いっきし黄色い声援が怒涛の如く巻き起こり
このライブの主役をかっさらって行ったのだった・・・

生で見る吉川クンはガチでカッコイイです。めちゃめちゃ体格ええしね、足の長さが格段に違う(誰と?)
ステージの縁に腰掛けたその足の長さ!!
オーラが違いましたわ、失礼かも知らんが、思わずみんな、惚れたね、あれは(笑)

その吉川くんで
12.Space Oddity
その後は二人で大沢くん提供曲
13.ラ・ヴィアンローズ
14.No No サーキュレーション

おおいに盛り上がった大阪城ホールでありました。
お前ら誰のファンやねん?!


さて、大沢くんとカズさんのライブセトリはこんだけしか記録がないのんでありますが
他に未確認情報がございます。ていうか、出所も実態もまるでわからん
当時ですらわからんかった情報で、まことしやかにファンの間でのみ流通した
幻の音源があります。知ってる人がいたら教えて欲しいッス。

それは「Shot gun」というタイトルの曲で
歌詞らしい歌詞はなく、曲の合間に大沢くん他複数の声で「ショットガン~」とスキャットのように歌うだけで
演奏は1989年頃の大沢くんのセッションバンド「エル・タバスコス」と思われるのですが
当時めちゃめちゃコアなファンの方からちゃちゃも録音だけもらいました。
どうリリースされたのかも不明でカップリングと思しき
「That It For the other one」という曲もあります。
(・・・これ、英語としておかしくね??)

カズさんのお話と言うより大沢くんのお話だけになってしまいました。失礼を。
ま、セトリの紹介ですから、平に、平に~~~!

てなわけで、次は大沢くん以外の人のセトリに行ってみたいと思います。
(いつになるかわからんけど・・・💦)
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あの頃のKAZZ~セトリあれこれ➁

2016年10月29日 20時49分24秒 | KAZZあれやこれや
カズさんセトリ、大沢くん編の続きです~。

ARABLE SPECIALのセトリ紹介を前回致しましたが
少々追記・・・というか
その時の衣装カットをば。
記録が残っておりましたゆえ・・・まあ、こんな感じですってことで。



中に着ていたものははっきりしないんですが、
とにかく白・・・というよりはラメっぽいコートみたいなのを着てました。
他のライブはきれいさっぱり忘れちゃいましたがタブン他は私服。
この時のみユニで、みんなこのコート着てました。大沢くんも。
少なくともこのライブではカズさんはまだ化粧してて
曰く「癖になっちゃってて、化粧しないと乗れないんだよねwww」

ちゃちゃの直撃インタビューで語っておられたお言葉です。

さて、この頃大沢君はラジオ番組をいくつか持ち番組としてやってて
その一つに東京放送系の音楽番組で「サウンズ・ウイズ・コーク」てのがありました。
ウィキでみても詳細は不明で、しかも歴代DJに大沢の名前がない!!
・・・とほほですね。

でも、1984年ごろから86年にかけて大沢くんがDJやってたのは確かだぞ!
だって録音がちゃちゃ手元にあるんだもん。

ジュリーがゲストに来たことがあって、それが1984年。
その時カズさんのことがちょっと話題に出て
アシスタントの女性アナが「そのカズさんというのは?」と聞いたのに応えて・・・
大沢「あのー、EXOTICSのギタリストでね」
女性アナ「あ、ギターの人ね」
ジュリー「そうそう」
大沢「中々・・・ひょうきんな人なんですよね。」
ジュリー「はい、楽しい人です。」
はい。楽しい人です。

そして1985年にはそのカズさん本人がゲスト出演。
中でも印象的なアホ話がこれ・・・
カズ「(ツアーで)青森に行った時の話、板前がね、泣いて喜んだって言う」
女性アナ「どういう?」
大沢「カズさんがね、こう、魚をさばくワケですよ。上手にね。」
カズ「そうそうそう」
女性「へえ~!」
カズ「目玉なんか舐めながらね」
・・・何の話ですか・・・。

これについてはちゃちゃインタビューでカズさんが
「昔ちょっと勉強したことがあるの。板前になりたくてね・・・だってカッコいいでしょ?」
マジデスカ・・・??

そーいやカズさんてさ~、特技かなんかに「少林寺拳法」とか書いてて、聞いたら
「ああ、ほんのちょっとだけやったことある。ホントにほんのちょっとだけね。
カッコイイから、でも、ほとんど冗談。ていうか90%冗談。」
という風に、ちょっとだけ憧れてかじってすぐやめるパターン・・・多くね??
中学の時に体操部に入ってたのもきっと東京オリンピック見て
カッコイイな~とか単純に思ったんだろな~、きっと。
高校に入った時はもうやらなかったそうだから。
バンドだけは長続きしてプロになれたわけだからそれで十分スゴイッスけど。

閑話休題。

続いて時系列順に行きますと、1986年夏はツアーではなく
「THERE’S A LOT GOING ON」と銘打ったスタジアムライブを
今は亡き?大阪球場と神奈川の川崎球場の2か所で開催しています。
ところが! その川崎球場でのライブで、アンコール直前に大沢くんは酸欠でダウン!!
救急車で慶大病院に担ぎ込まれる事態に・・・!! 幸い大事には至りませんでしたが・・・

その頃はNHK-FMの名番組「サウンドストリート」のDJもやってまして
その番組中、ダウンしてしまった時の録音を流して
「皆さんにご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と謝罪が・・・。
私は無事に完遂した大阪球場に行き楽しんで終わりましたが
川崎球場に行った関東地方の友人は大ショックを受けて帰ったことでありました・・・

残念ながらこのライブの記録は散逸してしまってセトリは不明。
ただ、インターバルあたりでカズさんがアコギで
「イパネマの娘」を演奏してたことのみ覚えています。
ちなみにこのライブタイトル、ソウル歌手の誰かは不明、
どなたかのツアータイトルか曲のタイトルか何かからまんまパク・・・取ったものだったらしい。

1987年はツアー活動再開・・・したっけ・・・。多分した。
この頃からバンド名が数年間「エル・タバスコス」に固定。
メンバーは毎回多少入れ替わりましたがカズさんだけはずっといました。
・・・まあ、カズさんもそのうちジュリーにシフトして
被った時期はジュリー優先にして大沢くんの方は欠席してたみたいですが。

その1987年12月19日放送のラジオ番組
「ローディ・ライブコンサート」でのセトリを紹介しませう。
1.Go Go ”Trouble” Heaven~ゴーゴーヘブン
2.スカしたBeatで
3.ダンスをしようぜ
4.フランス海岸
5.そして僕は途方に暮れる
6.まずいリズムでベルが鳴る
7.ウーレイ
1~4は時のアルバム「SCRAP STORIES」から。

通称「途方」はナンバーワンヒット曲、6は1stアルバムからタイトル曲
そして7は「途方」と同じく3rdアルバム「CONFUSION」から。
番組DJはお馴染み!!井上堯之さん!!
そしてカズさん紹介時に井上さん曰く「オレ結構お世話したよね!」とのお言葉が・・・
「お世話されました・・・」としか言えないカズさんであった。

「ローディ・ライブコンサート」には1989年11月18日放送にも出演してました。
その時のセトリをば・・・
1.G
2.REAL ACTION
3.CONFUSION
4.君の住む街角
5.ハートブレイク・ノイローゼ
6.STANDERD LOVER
7.STOP&ギミーラブ
8.ゴーゴーヘブン
この年はアルバムを2枚出してて、それもシリーズもので
「Serious Barbarian」無印から翌年のⅢまでの3枚、
大沢くん曰く同じコンセプトとタイトルで3枚出したら
「(たぶんEPIC SONYの)社長に怒られた」。(でもやめなかった。)
7はその無印から、1と2と6はⅡから。4はシングル(通常アルバム未収録)
他は従来のアルバムからの選曲となっておりました。

無印







さてさて、大沢くんのセトリはまだありますので次回、もっかいやります。
ホンマはもっともっとあってんけどね、ジュリー程きちんと残してませなんだ。スマソ。

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あの頃のKAZZ~セトリあれこれ①

2016年09月22日 14時53分53秒 | KAZZあれやこれや
出たで~! 全国1000万(イミフ)柴山和彦さんフリークの皆様、
お待たせしました・・・・か?(知らん!)

カズさんの、ジュリー以外の人のコンサートセトリもこの際アップしてみようの巻です。

期間としては1985年~1988年ごろですか、ほん短い時間ですが
ジュリーのバックを中抜け(結果的に、ですが)していた時期、
カズさんはどこで何をしていたか??
他のみなさんのライブのバックをつとめてはりました。

前にもチラと紹介しましたが、多くは大沢誉志幸さん。
そして鈴木さえ子さん、松尾清憲さん・・・あたりですね、
ちゃちゃが頑張って行ったライブは。

すでに散逸したものも多いので記録もわずかしかないけれど、
こんなんやってはってんで~、なセトリをご紹介しようかな、と。

手始めはやっぱり大沢誉志幸さんですかね・・・かなり行ったんですけどな・・・
なんか、ほとんど資料が残ってなくて・・・あやつはコンサートパンフもなかったしな。
一応FCにも入ったんですが、その会報ももう手元にござらん。
あればセトリ載ってたんですけどね・・・・

とて、ジュリーと同じく当時のちゃちゃめもがわずかに残っておりますんで
それを元にいたしませう。

てなわけで、初回はやはり自称誉っちゃん(よっちゃん)、大沢誉志幸さんから。


カズさんが大沢さんのバックをしてたのは1983年デビュー当初の
ライブハウスでのミニコンサートの時が最初、
少し間をおいてEXOTICSが活動停止した1984年暮れ~1985年ごろから
1989年ごろまでは確実にやってましたが
ジュリーのバックに復帰した1988年あたりから順次ジュリーサイドにシフトしたみたいで
気がつきゃ大沢くんはいつのまにやら「歌手生活は引退」していた・・・
まあ、その後また復活して最近また歌手活動して、まれにゲストでカズさんも参加してますが。

まずはラジオで放送されたものから。
出典不明ですが、1984年1月15日放送のTBSラジオで
バックバンドというほどではないが演奏したメンバーはその名を「オージンズ」といい
ベース;吉田建、ギター;柴山和彦 ドラム;上原豊
・・・EXOやん・・・・でも後は違う、
キーボード;大村雅朗!! スゴイ人がやってたんだ~! 
名作曲家でしたがなんと46歳で早逝されました。残念すぎる・・・
コンピュータプログラマー;松武秀樹!!! あの富田勲さんの直弟子ともいわれる天才のお一人。
YMOのMは一説にこの人のイニシャルだと言われています。都市伝説だけど。
(ちなみにYは矢野顕子さん、Oは大村・・・雅朗さんではなく憲司さん。
この人も49歳の若さで亡くなりはったな・・・合掌)

とにかく初期のライブのバック、豪華すぎ?!


で、放送されたセトリは以下の通りです。

1.彼女には判らない(Why don’t You know)
これがデビュー曲ですよ。「そして僕は途方に暮れる」ではないよ。
2.ハートブレイク・ノイローゼ
3枚目のシングル
3.I Loved You・・・
2枚目のアルバム「SCOOP」より。
4.Check Please
出典不明
5.サディスティックCafe
ファーストアルバム「まずいリズムでベルが鳴る」より
6.Jokeでシェイク
同上。


その後カズさんが本格的に参戦したのは1985年夏のコンサートツアーから。
題して「ARABLE(アラブル) Ⅲ」から。
ARABLEてのは「荒ぶる神々」的に使われる「荒ぶる」からとったそうです。
大沢くんは決まったバックバンドはなくて、
その都度集まったセッションメンバーにテケトーなバンド名をつけてて
だからメンツもそのたびに若干変わっておりました。
最終的に一番長くいたのは結果的にカズさんだったようです。
セッションバンド名は「MOOCHIE BOOMIE(ムーチーブーミー)」
メンツは単独でバンド活動していた「PINK」のメンバー中心、プラスカズさん。


で、記録のあるのはこの後の1985年冬のライブツアー。
「ARABLE SPECIAL」です。
ちゃちゃの行ったのは1985年12月14日 AT大阪フェスティバルホール。
さっそくセトリアップしませう。

1.e-Escape
2.キッスはそこまで
3.SCOOP
4.レプリカモデル
5.サディスティックCafe
6.I Loved You・・・
7.スロウダンス
8.その気×××(mistake)
4枚目のシングルで資生堂サマーキャンペーンテーマソングでした。
「太陽にほえろ!」のスポンサーだったのでよく聞いたわ~
9.盗まれた週末
10.ウーレイ
11.ガラス越しに消えた夏
ラッツ&スターの鈴木雅之さんに提供した曲。
12.in―Fin―ity
13.ラ・ヴィアンローズ
吉川晃司さんに提供した曲をアコギバージョンで。
14.そして僕は途方に暮れる
5枚目のシングルで大沢くんの代表曲。日清食品カップヌードルCMソングっすね。
15.彼女はfuture-rhythm
16.CONFUSION
17.ジュークボックスは傷ついてる
18.Jokeでシェイク
19.Lady Vanish
20.彼女には判らない(Why don’t You know)

出典は1、2、5、18、20が1STアルバム「まずいリズムでベルが鳴る」

3、6、7、17、が2NDアルバム「SCOOP」

8、10、14、16が3RDアルバム「CONFUSION」

4、9、12、15、19が4THアルバム「in―Fin―ity」

・・・というように、均等に網羅しているという気配りの選曲??

意味不明のタイトルが多いけれど、安心してください、歌詞を見てもイミフですwww

大沢くん曰く「歌詞はメロディーを歌うためのものなので、意味はいらない」んだそうで。
半分くらいは銀色夏生さんの作詞で、後は本人作、作曲は全部本人かな。
そして本人曰く自分はソウル歌手なんだそうな。
確かにめちゃめちゃソウル大好きでしたもんね、大沢くんて。
そしてカズさんも負けず劣らずソウル大好き人間だったことがここで判明した。

セッションメンバーは
ギター;柴山和彦 ベース;メッケンこと荻原基文(もとふみ)
ドラム;伊藤真規 キーボード;コタちゃんこと小滝満
サックス;;ぐっちゃんこと矢口博康 そしてコンピュータ;松武秀樹

セッションバンド名も一応ありました、その名も「ダンドリーズ」・・・なんやそら・・・。
ラメ入りの消防服みたいなロングコート姿のユニフォームで全員おそろだったのを
おぼろげに覚えております。
当時大沢くんは渡辺プロ系の事務所所属でしたので
その辺でジュリーに楽曲を提供し、その縁でカズさんと繋がったみたい。
ナベプロはジュリーの独立もあって社運を吉川晃司さんに全面に賭けてたので
大沢くんの方へはあまり資金提供がなくセルフプロデュース中心だったようです。
だからバンドメンバーも伝手を辿って集めていた様子。
頑張ってたんやね~。FCもほぼ私設応援団みたいな手弁当手作り感アリアリで
でもその分大沢くんやメンバーとファンとの距離は短く
会報にはカズさんの記事がてんこもりてした。ジュリーではありえない近さ!
初期の会報はワープロ打ちの記事をモノクロ印刷して同人誌みたいだったわ。

ちなみにちゃちゃは結構盛んに投稿して、結構載りましたww
イラストや自作のパズルも何回か載ったな~。なんもくれへんかったけど。
文通コーナーにも載ってけもらって、
ネットのない時代、そうやってファン友達を作ったもんでした。
イマドキ文通コーナーなんてありえへんね、個人情報だだ漏れ。
そんなんで悪さする人もいなかった平和な良き時代でしたわ・・・。


おおっとなんか長くなったので今回これまで。

大沢くんセトリはまだあるので次回に続きます。
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KAZZ in ファッションショー⑨

2016年07月10日 15時26分31秒 | KAZZあれやこれや
ずいぶんと長~いことほったらかしておりました。ぺこぺこ。
カズさんことギタリスト・柴山和彦さんの衣装シリーズ最終回です。

なかなかアップしなかったのは描き直しをしていたため。
正確には色の塗り直し・・・・

古い古いビデオ画像を元にしていたため
すっかり色あせた?画面は確認もおぼつかない。
てか、ビデオをDVDにダビング整理したものを見ているので
その画面を探し出すのはなかなかにてーへんで。
何しろ、DVDだと録画できる時間の長さが雲泥の差ですからな、
DVD一枚にビデオ何巻分入るんだか。

それはさておき。
ともかく最後に「渡り鳥はぐれ鳥」であります。

この歌のエピソードは前にも書きましたとおりです→コチラ

で、これが時のカズさんのコスチューム。

これはジュリーとおそろ、ていうか色違いッスね。
ジュリーの衣装は青系のダークグレイでした。

これこれ。帽子被ってたんやね。
主に中はTシャツを着てましたが・・・この写真は判然としませんが
ごく最初は普通に襟のあるワイシャツだった。
ホワイトシャツが語源のワイシャツ、白でなくてもワイシャツとはこれいかに。

ジュリーもカズさんもこの衣装はリリース始めの頃に何度か着たけど、
もう一着の方がよく着てた気がします。

そのもう一着はコレ。
な~んか、なんの変哲もない淡いブルーグレー系のスリーピースです。


ジュリーの方は白いスーツだった。

これッスね。

バックに映っているのはブラスセッションのヒトビト3名。
この時は演奏のないパートで、一緒に振り付けをしてらした。
残念ながらどなたかは不明・・・・。
新田一郎さんではなかろ。

それと、この歌ではやんなかったと思いますが、
この2つ目の衣装のこのイラストカズさんのやってる奏法、ワザは
ピックで弦を右から左でギイイイーーンとスクラッチするワザ、
その名も「ピックスクラッチ奏法」(まんまやんけ)と言うものでカズさんの得意技の一つです。
ちなみに別名「ピックポルタメント」。井上堯之さんはぜってーやらなかった。
カズさんで初めて見た感想は今で言う「カッケー!!」でした。
井上さんは常に正攻法と言うか、あまりいろんな変わった奏法は使いませんでしたが
カズさんはトレモロアーム使ったりスクラッチしたり
更にジュリーではやんなかったかもですがボトルネック奏法とか
あと、歯で弾く、背中で弾く??といった邪道も駆使して
ミーハーファンにとってはきゃあきゃあモノでしたwww

さて、とゆーわけで、最後は短かったですが
カズさん衣装シリーズはこれにてお終い。

お粗末!
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