ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

あの頃のKAZZ~セトリあれこれ①

2016年09月22日 14時53分53秒 | KAZZあれやこれや
出たで~! 全国1000万(イミフ)柴山和彦さんフリークの皆様、
お待たせしました・・・・か?(知らん!)

カズさんの、ジュリー以外の人のコンサートセトリもこの際アップしてみようの巻です。

期間としては1985年~1988年ごろですか、ほん短い時間ですが
ジュリーのバックを中抜け(結果的に、ですが)していた時期、
カズさんはどこで何をしていたか??
他のみなさんのライブのバックをつとめてはりました。

前にもチラと紹介しましたが、多くは大沢誉志幸さん。
そして鈴木さえ子さん、松尾清憲さん・・・あたりですね、
ちゃちゃが頑張って行ったライブは。

すでに散逸したものも多いので記録もわずかしかないけれど、
こんなんやってはってんで~、なセトリをご紹介しようかな、と。

手始めはやっぱり大沢誉志幸さんですかね・・・かなり行ったんですけどな・・・
なんか、ほとんど資料が残ってなくて・・・あやつはコンサートパンフもなかったしな。
一応FCにも入ったんですが、その会報ももう手元にござらん。
あればセトリ載ってたんですけどね・・・・

とて、ジュリーと同じく当時のちゃちゃめもがわずかに残っておりますんで
それを元にいたしませう。

てなわけで、初回はやはり自称誉っちゃん(よっちゃん)、大沢誉志幸さんから。


カズさんが大沢さんのバックをしてたのは1983年デビュー当初の
ライブハウスでのミニコンサートの時が最初、
少し間をおいてEXOTICSが活動停止した1984年暮れ~1985年ごろから
1989年ごろまでは確実にやってましたが
ジュリーのバックに復帰した1988年あたりから順次ジュリーサイドにシフトしたみたいで
気がつきゃ大沢くんはいつのまにやら「歌手生活は引退」していた・・・
まあ、その後また復活して最近また歌手活動して、まれにゲストでカズさんも参加してますが。

まずはラジオで放送されたものから。
出典不明ですが、1984年1月15日放送のTBSラジオで
バックバンドというほどではないが演奏したメンバーはその名を「オージンズ」といい
ベース;吉田建、ギター;柴山和彦 ドラム;上原豊
・・・EXOやん・・・・でも後は違う、
キーボード;大村雅朗!! スゴイ人がやってたんだ~! 
名作曲家でしたがなんと46歳で早逝されました。残念すぎる・・・
コンピュータプログラマー;松武秀樹!!! あの富田勲さんの直弟子ともいわれる天才のお一人。
YMOのMは一説にこの人のイニシャルだと言われています。都市伝説だけど。
(ちなみにYは矢野顕子さん、Oは大村・・・雅朗さんではなく憲司さん。
この人も49歳の若さで亡くなりはったな・・・合掌)

とにかく初期のライブのバック、豪華すぎ?!


で、放送されたセトリは以下の通りです。

1.彼女には判らない(Why don’t You know)
これがデビュー曲ですよ。「そして僕は途方に暮れる」ではないよ。
2.ハートブレイク・ノイローゼ
3枚目のシングル
3.I Loved You・・・
2枚目のアルバム「SCOOP」より。
4.Check Please
出典不明
5.サディスティックCafe
ファーストアルバム「まずいリズムでベルが鳴る」より
6.Jokeでシェイク
同上。


その後カズさんが本格的に参戦したのは1985年夏のコンサートツアーから。
題して「ARABLE(アラブル) Ⅲ」から。
ARABLEてのは「荒ぶる神々」的に使われる「荒ぶる」からとったそうです。
大沢くんは決まったバックバンドはなくて、
その都度集まったセッションメンバーにテケトーなバンド名をつけてて
だからメンツもそのたびに若干変わっておりました。
最終的に一番長くいたのは結果的にカズさんだったようです。
セッションバンド名は「MOOCHIE BOOMIE(ムーチーブーミー)」
メンツは単独でバンド活動していた「PINK」のメンバー中心、プラスカズさん。


で、記録のあるのはこの後の1985年冬のライブツアー。
「ARABLE SPECIAL」です。
ちゃちゃの行ったのは1985年12月14日 AT大阪フェスティバルホール。
さっそくセトリアップしませう。

1.e-Escape
2.キッスはそこまで
3.SCOOP
4.レプリカモデル
5.サディスティックCafe
6.I Loved You・・・
7.スロウダンス
8.その気×××(mistake)
4枚目のシングルで資生堂サマーキャンペーンテーマソングでした。
「太陽にほえろ!」のスポンサーだったのでよく聞いたわ~
9.盗まれた週末
10.ウーレイ
11.ガラス越しに消えた夏
ラッツ&スターの鈴木雅之さんに提供した曲。
12.in―Fin―ity
13.ラ・ヴィアンローズ
吉川晃司さんに提供した曲をアコギバージョンで。
14.そして僕は途方に暮れる
5枚目のシングルで大沢くんの代表曲。日清食品カップヌードルCMソングっすね。
15.彼女はfuture-rhythm
16.CONFUSION
17.ジュークボックスは傷ついてる
18.Jokeでシェイク
19.Lady Vanish
20.彼女には判らない(Why don’t You know)

出典は1、2、5、18、20が1STアルバム「まずいリズムでベルが鳴る」

3、6、7、17、が2NDアルバム「SCOOP」

8、10、14、16が3RDアルバム「CONFUSION」

4、9、12、15、19が4THアルバム「in―Fin―ity」

・・・というように、均等に網羅しているという気配りの選曲??

意味不明のタイトルが多いけれど、安心してください、歌詞を見てもイミフですwww

大沢くん曰く「歌詞はメロディーを歌うためのものなので、意味はいらない」んだそうで。
半分くらいは銀色夏生さんの作詞で、後は本人作、作曲は全部本人かな。
そして本人曰く自分はソウル歌手なんだそうな。
確かにめちゃめちゃソウル大好きでしたもんね、大沢くんて。
そしてカズさんも負けず劣らずソウル大好き人間だったことがここで判明した。

セッションメンバーは
ギター;柴山和彦 ベース;メッケンこと荻原基文(もとふみ)
ドラム;伊藤真規 キーボード;コタちゃんこと小滝満
サックス;;ぐっちゃんこと矢口博康 そしてコンピュータ;松武秀樹

セッションバンド名も一応ありました、その名も「ダンドリーズ」・・・なんやそら・・・。
ラメ入りの消防服みたいなロングコート姿のユニフォームで全員おそろだったのを
おぼろげに覚えております。
当時大沢くんは渡辺プロ系の事務所所属でしたので
その辺でジュリーに楽曲を提供し、その縁でカズさんと繋がったみたい。
ナベプロはジュリーの独立もあって社運を吉川晃司さんに全面に賭けてたので
大沢くんの方へはあまり資金提供がなくセルフプロデュース中心だったようです。
だからバンドメンバーも伝手を辿って集めていた様子。
頑張ってたんやね~。FCもほぼ私設応援団みたいな手弁当手作り感アリアリで
でもその分大沢くんやメンバーとファンとの距離は短く
会報にはカズさんの記事がてんこもりてした。ジュリーではありえない近さ!
初期の会報はワープロ打ちの記事をモノクロ印刷して同人誌みたいだったわ。

ちなみにちゃちゃは結構盛んに投稿して、結構載りましたww
イラストや自作のパズルも何回か載ったな~。なんもくれへんかったけど。
文通コーナーにも載ってけもらって、
ネットのない時代、そうやってファン友達を作ったもんでした。
イマドキ文通コーナーなんてありえへんね、個人情報だだ漏れ。
そんなんで悪さする人もいなかった平和な良き時代でしたわ・・・。


おおっとなんか長くなったので今回これまで。

大沢くんセトリはまだあるので次回に続きます。

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