青葉山の散策の途中、隅櫓の再建建物の向かいを覗いてみた。ちょっとした広場がありそこには白い像が建っていた。支倉常長像だ。当時の名前は支倉六右衛門常長、書物によって長常と書かれたものがあり、どちらが本物なのか定かではない。かつて歴史の足跡をたどる小さな旅をしたことがあり、常長の墓もたずねたことがある。
北山の光明寺の一角にその墓はある。どういうわけか、支倉の墓は県内の他の3っか所にもあり何か不思議な感じがする。
政宗の時代、家康に対抗し全国制覇をもくろんだ政宗、キリシタンに帰依し宗教の力も借りて全国進出をもくろんだようだがその一環として支倉を欧州に派遣した。長い旅路の後、支倉はローマに至る。旅先の修道院での宿泊や中々、宿泊料をだれが負担するか論議はあったようだが、ローマに到着している。洗礼を受け帰国の途につく。
かなり苦労はあったようだがフィリピン経由で何とか日本にたどり着く。仙台市博物館には洗礼を受けた支倉常長の祈りの図も保存されていて、輸送途中、絵を折り曲げて保存したためその折り目が残ったまま公開されている。今博物館は大規模改修工事。3月まで見ることができない。どんな展示になるか大幅な展示替えが行われるようで今から楽しみだ。