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ブリキ星通信

店主のひとりごと

ブリキ星通信/2008年12月

2008年12月07日 | 2008年

今年もわずかになってしまいました。
毎年のことですが、ブリキ星の秋は、企画展がたて込んで 、
いつダウンしても不思議でないほどの忙しさになります。
家族からは「どうしてもっとゆったりとしたペースでできないのか」
と言われ続けているのですが、どうも、それができなくて…

さて、写真の継ぎはぎだらけの茶碗ですが、これは非売品です。
以前、勝見充男さんが『骨董屋の非賣品』(晶文社)という本を出版され、
グリコのおまけから仏教美術にいたるまで、
いかにも著者らしい愛蔵品を沢山載せていましたが、
私にも約10点ぐらいの非売品があって、これはその中のひとつ。
初期伊万里(1610年~1650年頃)の茶碗の残欠です。
この茶碗を見せてもらったときは衝撃的でした。
一瞬にして魅了され、感嘆の声を上げてしまいました。
その場に居合わせた絵の作家さんが、
その尋常でない感激振りに驚いたほどです。
「生まれて初めてこんなものに出会ったよ」と、家で見せました。
「いつも、生まれて初めてって言ってる…どこがいいのか、
 もっと具体的に言ってみて」と 、妻は言います。
そんなこと説明できるわけがありません。
イイからイイのです。
スゴイからスゴイのです。
「生まれて初めて」というような出会いが刺激的なのです。
古いものでも新しいものでもその感覚は同じなのです。
この茶碗をつくったのは、朝鮮半島から渡ってきた、
多分強制連行されて来た陶工たちでしょうか。
こんなにプリミティブでモダンな造形をつくりだした人たちに
感謝します!

ブリキ星通信/2008年11月

2008年11月05日 | 2008年

早いもので、「オランダ蚤の市」開催(11/22~26)の
季節がめぐってきました。
今年で5回目になります。
先日、最後の船便<第7便>が到着しました(写真)。
荷物を開けるときのワクワク・ドキドキ感はなんとも言えません。
仕入れは、オランダに20年近く在住している
清水さんご夫妻にお願いしています。
お二人はオランダ中の蚤の市を歩き回って、
面白いガラクタを探し、それもなるべく安く手に入れるために、
大変な苦労をされています。
清水さんは、「楽しんでやっているのよ」と言っていますが。
この数年は為替レートの変動に悩みが多いですね。
それでも、古陶磁器・雑貨・玩具などなど、
渋いものからポップなものまで、
今年も楽しいものが沢山集まってきました。
もし自分だけの感覚で集めたとしたら、
ひどくひとりよがりな狭いものになってしまうでしょう。
清水さんご夫妻の感覚におまかせしてよかったな、
と思っています。
オランダと日本は、古くから文化の交流が
あったせいでしょうか、
「異国のもの」というよりも、親しみを感じるものが多いです。
秋の一日、お立ち寄りいただければ嬉しく思います。

話は変わりますが、先月13,14日と京都に行き、
2日目滋賀県にあるミホミュージアムに
行ってきました(雨だった)。
石山駅から50分、がら空きのバスに乗って到着。
何か変? と気づいてぼう然。
月曜祝日の火曜日は休館だったのです。
それでもバス停付近には雨の中にテントが張られて、
車椅子の方や介助者の方たちで賑わっています。
そう、その日は障害のある方たちへの特別な開館日だったのです。
でも、係りの人の親切な計らいで入館の許可をいただいて無事、
「大和し美し 川端康成と安田靭彦」展を
ゆっくり鑑賞することができました。
川端康成のコレクションでは、玉堂の名品よりも、
草間彌生さんの絵のほうが好きですね。
「不知火」というタイトルがつけられていている作品で、
漁火とか孤灯というより、もっと強烈な力を感じました。
草間彌生の無名時代の作品で、
川端さんがたまたま入った銀座の画廊で買ったのだとか。
川端康成を再認識しました。

ブリキ星通信/2008年10月号

2008年10月05日 | 2008年

暑さが去って秋風が吹き始めたころ、
やっと収納庫の整理をしました。
そこで見つけたのが懐かしい絵。
大島静江さんの油絵です(写真)。
もう十数年前に亡くなられた方ですが、
静江さんは若い頃からお花が大好きで、
「花屋さん」をやっていました。
彼女と出会ったのは、
私が地方公務員でケースワーカーをやっていたときです。
その頃の彼女は、病気で手足が不自由になっていました。
でもいつも花の絵を描いていました。
病気が進行して、手で筆を持つのがままならない状態に
なってからも必死で描いていました。
絵を見ながら、その頃の静江さんの姿が思い出されます。
この絵は彼女の元気な頃のものです。
何でもない花の絵ですが、気持ちのよい絵だと思います。
ただただ花が好きでたまらないという気持ちから、
こんなにもいい絵が生まれるのかと、新鮮に感じました。

静江さんは、詩人の大島博光さん
(ネルーダ、アラゴン、エリュアールなどの訳詩でも有名。
 2006年に95歳で逝去)の夫人でもあります。
静江さんが亡くなられたとき、訪れた私に、
「記念に好きな絵を選んでください」と言って、
大島博光さんがくださった絵でした。
後に、詩人は静江さんに捧げる鎮魂歌『老いたるオルフェの歌』
という詩集を著しました。
あまりにも哀切に満ちていて、私には読めなかったのですが…
先日、大島博光さんの故郷信州の松代に、
「記念館」ができたことを新聞で知り、
長野に行く楽しみが増えました。

もうひとつ、最近見て心に残った作品があります 。
六本木の森美術館で展示されている(11月3日まで)、
荒木珠奈さんのインスタレーションです。
同じ会場で紹介されているフランスの作家の作品は
足早に通りすぎ、最後の部屋にたどり着いて、
荒木さんの作品世界に入ったときは衝撃的でした。
生きとし生けるものすべてが、産まれて、栄えて、死んでいく…
この生命のありようが、竹と蜜蝋で表現されている壮大な作品です。
もしかしたら、人は生まれかわることができるかもしれない、
という気持ちにさせられて、人一倍「無」に対する不安感が強い私は、
じわ~っときてしまいました。

ブリキ星通信/2008年9月号

2008年09月03日 | 2008年

残暑厳しい折り恐縮ですが、「地獄絵」の話題から・・・
「悪いことをすると地獄に行くぞ」とか、
「ウソをつくとエンマさまに舌を抜かれるからね」とか、
子どもの頃よく脅かされました。
太宰治も、幼いとき女中のたけにお寺に連れて行かれ、
地獄絵を見せられて振るえ上がったという話があります。
太宰が見た「地獄絵」は、
赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされた人、
蛇にからだを巻かれて苦しがっている人、
血の海や奈落の底があったりとか、
地獄の不気味さがいっぱい。
子どもが見たら泣き出すこと必定でしょう。

写真の「地獄絵」は江戸中期頃のもので、
ちょっとマンガチック。
大人が見れば、閻魔さまや地獄の鬼さんも可愛く見えます。
細かく見ていくとユーモラスで思わず笑ってしまいます。
こんな「楽しく魅力的な地獄絵」もあるのですね。

一方、中世の地獄草紙は実にリアルで、
今見ても気味悪く迫力があります。
それだけ人々の生活が「生き地獄」と
隣り合わせだったからかもしれません。
それを思い知らせてくれたのは、
『大和誕生と水銀ー土ぐもの語る古代史の光と影ー』
(田中八郎著、彩流社、2004年)という本。
著者の田中八郎さんは、先月の奈良・大和路の旅で宿泊した
「ペンション・サンチェリー」の主人です。
この本では、奈良の大仏建造によって
水銀中毒が増大した様子が縷々述べられています。
平城京には5千人とも5万人ともいえる水銀中毒患者が
ひしめいていた、奈良の都の晩年は、
あたかも「地獄」を垣間見るかのような悲惨な状態だった・・・
だから平城京は廃止になって都を京都に移したのだ、とも・・・
大仏と水銀中毒の話は昔、杉山二郎さんの本で読んだことがあったので、
うなづける部分がありました。
この本の「まえがき」にはこんなことも書かれていました。
節義の事例を日本史になぞってみると
「命がけでも守るべき正義・信条・節義が
危機に立ち至ったときの行動には、内通・裏切り・寝返りが多く、
勝ち馬に乗れるか乗れないかをもって人間価値観の判定基準とする」、
「その所業の全てが大和時代に創設された」と。

ウーム、人間はそんな昔から権謀術数を繰り返しているのか~
夏休みが終わって、大和・まほろば、よかったなあ、
という想いにひたっていた頭を、コツンとたたかれたようです。

ブリキ星通信/2008年8月号

2008年08月11日 | 2008年

毎日毎日、暑いですね。
夏休み、炎天下の奈良・大和路を歩いてきました。

京都にはよく行くのですが、奈良は15年振りでしょうか。
京都は日常と非日常の組み合わせが刺激的なのですが、
奈良は日常の中に古代を感じることのできる地です。
山之辺の道(三輪から天理まで)や飛鳥を歩いていると、
あちこちにこんもりした森=古墳があって、
川が流れ、田んぼがあって、
道端には鶏頭(けいとう)が咲き、
トンボが群れをなして飛んでいます。
真夏の太陽をあびて真っ赤に咲き誇っている鶏頭の花は
万葉の時代に伝来したとか。
クーラーなど無い子どもの頃の夏景色を思い出しながら、
歩いて歩いて……
山之辺の道で印象に残ったのは、大神神社と長岳寺。
三輪山を拝した大神神社の境内では、
絵画教室の生徒さんたちと思われる絵
(柴田貴子奉納と記されていた)が展示されているのに
目が行きました。
どれもが素直で気分のよい絵。
どこかで見たような記憶が…… 
そういえば、昭和天皇の皇后の絵も、このような絵でした。

最後の5日目に巡った飛鳥は、
もっとも古代の謎を感じさせてくれました。
いたるところにある石の造形物。
誰が眠っていたのかもわからなくなった石棺や石室、
飛鳥時代の噴水施設だった大きな石人、
亀や猿の形をした石。
古代日本には石の文化があったのですね。
高松塚古墳の壁画もレプリカですが、
発掘当初の模写画がいい雰囲気でした。

写真(上)は、吉備姫王墓にある猿石。
写真(中)は石舞台古墳。
外からは巨大な石が積み重なっているだけですが、
中は高さ4.7メートルもある横穴式石室。
蘇我馬子の墓だったのではといわれています。
写真(下)は川原寺遺跡。
この何もないところがいい。

4泊5日の旅での宿泊先には恵まれました。
1日目「かんぽの宿奈良」は平城宮跡のすぐ隣で、
展望室からはライトアップされた朱雀門と夜景が一望。
2、3日目は桜井駅近くの「ペンションサンチェリー 」。
<フランスの田舎風料理>がとびきり美味しい !!
4日目は飛鳥の「B&BAsuka」。川原寺遺跡の近く。
英国アンティーク家具しつらえのおしゃれで清潔な宿。
懐かしいポップスが流れる食堂での朝食がよかった。

さて、食いしん坊の私の、おいしいもの一等賞は、
室生寺に行く途中、大野寺のそば、「やまが」で食べた葛きり。
葛きりは、法隆寺門前と岡寺参道でも食したけれど、
ここが本物(もっとも値段が他とは違う)。
小さい頃、病気の時に食べさせてもらった
「くず湯」の味と香りがよみがえってきました。