写真は、縄文時代晩期の土版です。
右側のは、人の顔が線彫りされています。
限りなく絵に近い、平面表現です。
土版は、今でいう「お守り」のようなものだったのでは、
といわれていますが、
そこには人の生死にかかわる思いがこめられているように見えます。
この「お守り」がつくられてから2500年以上経っています。
この間、人は無数に生まれ、死んでいっています。
100年後には、今この地球上に生きているほとんどすべての人が死んで、
生きている人は入れ替わっているわけです。
そう考えれば、自分の無を受けとめることもできるのかもしれない…
土版を手にしながらそんなふうな思いにとらわれました。
土器作家の熊谷幸治さんの展示会がおわり
先日彼と一緒に、アーティストのAさんの事務所に納品に行ってきました。
あいにくAさんは不在でしたが、スタッフの方に事務所を案内してもらいました。
一番驚いたのは、Aさんが寝泊りするプライベートルーム。
入口からちょこっと拝見しただけですが、
デスクと小さなソファー、壁一面の本棚、
無造作に置かれた古いモノが入っている箱、「お守り」の束がありました。
普通の会議室といってもいいような簡素な部屋でした。
そういえば昔、政治運動が盛んだったころ、
活動に専念している人を「職業革命家」と呼んでいたことがありましたが、
その彼らが寝泊りしていた部屋を連想したほどです。
アートで闘っている人の部屋だなあと思いました。
Aさんが、何をつくり、残していくのか、残していけるのかは、
全く分らないのですが、裏表のない生き様が感じ取れました。
自閉的な自分を省みて、もう少し前向きに生きてもよいのかな?
という気持ちにさせられた刺激的なひとときでした。